【まえがき】

 木崎さと子『青桐』を 岡本恵子 さんのレジュメをもとに話し合いました。語り手充江の許にやってきた叔母は乳がんの末期、彼女の死に至るまでの数ヶ月、彼女を取りまく肉親や親族の人びとの心理的葛藤を女性の目を通して流麗な筆致で描く芥川賞作品です。(安邦記)


【レジュメ】


木崎さと子 『青 桐』    報告者  岡本 恵子


【著者略歴】

 昭和14年 旧満州新京市に生まれる。 

 東京女子大学短期大学部卒業

 結婚と同時に渡仏し、昭和54年までアメリカ、フランスに滞在する。

 昭和55年「裸足」で第51回文学界新人賞受賞

 「裸足」「火炎木」「離郷」「吹き流し」「白い原」が第84回より連続5回の芥川賞候補となり、

「青桐」で第92回芥川賞を受賞する

 

【あらすじ】

  充江は、両親を早くに亡くし兄と一緒に母の実家で叔母に育てられる。叔母も夫を早くに亡くし、当主を失った旧家は没落していく。叔母は我が子の成長にともない東京へ出て行く。

  曽木の本家の屋敷跡の離れに突然東京から叔母と従兄の史郎がやってくる。充江は史郎に対する自分の心の変化にとまどいながらも叔母と史郎のために離れの掃除をする。庭に叔母が大切に移し植えていった梧桐を見て自分の心の変化に気付く。充江は小さい頃に顔に火傷をし、その事が充江の性格に微妙に影響をあたえていて、人たちにまじるのが苦手で兄の家の手伝いをしているだけの生き方をしている。

  充江は史郎への心の思いにとまどいながらも、叔母の病気の看護を引き受ける。叔母の病気に立ち向かう姿に接し、死に対する凛とした生きざまに色々思い悩む。叔母の死の直前に、自分の火傷が叔母のせいではないかと聞き、心乱れる。一人の死を前に、家族それぞれの人間性が描かれている。庭にある梧桐一本に、それぞれの深い思いがあり、未来への生への光が示されている。

 

【報告者の感想】   岡本 恵子 

 読み始めたとたんに文章のするどさを感じた。

 充江の史郎に対する複雑な心の変化がよく描かれていたと思う。

また、叔母の死を前にしての生き方を受け入れることが、充江にしても家族にしてもそれぞれ受けとめ方に人間性が表われていて、難しいものだと思う。

文中での「梧桐」と表題の「青桐」の違いを私は読み取ることが出来ませんでした。奥が深くて非常に難しい一冊でした。


【みんなの感想】   (記録  安藤邦男)

・がんを放置した時の末路は大変厳しいものがあることを知っているが、あまりそれが書かれていないと思った。

・最後の結末は大変明るく締められていたので、読後感はよかった。

・叔母は青桐の精となって充江を見守っていくものだと思った。

・ケアハウスにも行かず、自分の家で生涯を終える叔母の気持ちはよく分かる。

・充江の史郎に対する気持ちなど、心理描写がすぐれている。

・芥川賞作品は心理描写が多いのだなと思った。

・現在、作者はどんな作品を書いているのか、読みたい気がする。

・2度読み、1回目は題材が嫌だと思ったが、2度目は文章がうまいし、よく書けていると思った。

・時代が違うのかも知れないが、光江は働いていないし、考え方も古いし、やや違和感があった。

・最後は史郎への愛がなくなるとあったが、そんなに早く冷めるものかと疑問を持った。

・叔母の生き方などには、著者の宗教的な思想が反映されているように思った。

・題名の「青桐」から、叔母のりんとした高貴なイメージを受けた。

・顔の傷から劣等感があって、素直になれない充江の気持ちがよく描かれている。

・実子の春子は史郎の嫁と違って、母の気持ちを受け入れている様がよく分かる。

・春子は充江の傷の原因は叔母でないと聞き、わだかまりも解けて手術しようかという明るい気持ちになるのはよかった。

・狭い場所でわずか二ヶ月という短い期間での物語だけに、心理の描写が凝縮されている。

・人間心理には愛と憎しみというアンビバレントな一面があって、それがよく描かれている。

・史郎に対する気持ち、顔の手術をしたくないという気持ちなど、女性ならではの描写に感心した。

・いつも感想を書いてこられる川地さんの文章は素晴らしいので、ホームページを是非読んで欲しい。

・心の奥ひだまで描写するのはやはり女性の目だと思う。

・芥川賞の選者の評をご覧入れますのでお聞き下さい。以下その文章を再掲します。


【『青桐』芥川賞受賞時の選評】 (若林孝之さんの提供による)

 84回候補作品「裸足」を読んだとき、この人は必ず芥川賞をとる人だと思った。読後の感じが、よかった。さらりと書かれていた、ものほしそうな候補作晶がが多かったせいかも知れない。「青桐」を読んでいて、突如癌特有の臭いに接して息をのむ思いがした。それだけでもこの小説はみごとだと思った。

安岡章太郎
 こんどの作品で彼女は初めて自身の内部に根付いた文体を獲得した。この作品の本当めモチーフは癌ではない。いまは消滅してしまった地主という階級、その名残りをかろうじて保持していた人たちが消えて行くという歴史がこの作品の主題であるように私には思われる。

遠藤周作
 副人物の一人一人の描写が丁寧に書きこまれている。書きにくい人物(叔母)をあえて中心においた。ただ彼女がどうして自然という考えを自らの人生に受け入れたかは、もう少し詳しく書いてほしかった。

三浦哲郎
 粘り強い筆で主人公の気持ちの揺れを丹念に書き込んでいる。

吉行淳之介
 叔母の「自然に逆らいたくない」という態度は、充江の整形手術を拒む気持が重なってくる。こういう重い問題を持ち込むには、余程の覚悟と計算が必要だが、ここでは提起された問題の内容自体がすでに曖昧である。

開高健
 いかにも古風だけれども着実で、こまかくて、しぶとくテーマに食い下がり細部をよく噛みしめている。ケレンもハッタリも無いが、常識の説得力がある。私としては以前の作品にあった煌めきを買いたい。今後の作にそれを期待したい。

丸谷才一
 私の好みに合わない。片恋・火傷・癌という三つの不景気な仕掛けで、不景気な物語を織り成そうというのが作者の狙いであった。癌の話で言えば、医者に見せないで死んでゆくという覚悟の人ときちんと付き合っていない。倫理と無倫理にこの作者は関心を寄せているだろうか。どうもそんな風には見えなかった。そういう無関心と無責任から生じるものがこの作品の奇妙にぼんやりした色調なのである。この種の叙情性ないし感傷性は私には向かない。もし医者にかからせないなら、その分だけこの老女に対して義理を果たさなければならない。小説家は作中の人物に対して充分に責任をとらねばならない。

中村光夫
 古風ながら筆力を十分にうかがわせる文体です。しかし、癌に冒されながら、現代の医学を拒否して、自然死を選ぶ叔母と叔母を看とる姪の  心理は、やや平板のそしりを免れません。そこに、作者の人間をみる眼の甘さが、よくも悪くもあるので、読後の感動が希薄はその為でしょうか。


【わたしの感想】    川地 元康

 両親を亡くし寂しさを感じながら、叔母を頼り慕いながらどこか遠慮があり甘えきれないさみしさ、顔に火傷の跡が出来たため、これがコンプレックスとなり、人と付き合うことを避ける性格となり、独り膝を抱えボーと叔母を待っている変わった少女時代を過ごした充江、30歳を過ぎ婚期を逃しそうな自分、兄の一家の家事をしながら、何か満たされない自分、史郎を絶望的に恋い慕う自分、叔母に尊敬と恩義を感じながら、本当の親子の信頼感で結ばれた関係になれない寂しさ、恋に憧れながら顔の傷のため積極的になれない自分という、非常に悩ましく切ない気持ちの持ち主、そんな充江のことを、わかり易く、複雑な女心も交え、鮮やかに描かれているのに感心しました。

とくに史郎や浩平など、自分の甘えたく思っている人に対して、つい感情的に言い過ぎてしまうところなど、梨香に対して少しいじわるするところなど、女性の特徴をよく掴んでいるのに感心しました。

昔は癌と言う病は死の病でした。手術の技術も未熟で、殆どの人が手術をしても亡くなっていきました。そのため、死病とあきらめ、一切の手当を断る人もいました。

私の義理の父もそうでした。故郷を訪れ、会いたい人に会い、家族に死後のことを頼み、入院も断り、家族のそばに居たいと、最後までトイレは自分で行き、朝起きた時亡くなっていました。

物語の叔母も教養のある人だったので、自分で癌だと悟って、死の覚悟をしたのだと思います。だから最後の時を愛する子供の所で、孫の世話をして過ごしたいと考えたと思います。

でも、叔母はいよいよ最後が近いことを悟り、故郷に帰り、自分の人生を見つめ、「きっと会ったことも無い、誰かのため、か知れんわねえ」の言葉通り、その人に会いに来たのだと思いました。見つめる青桐にその姿を見ていたのかもしれません。亡き夫、両親、いえ神か仏か、人を超えた存在だと思います。子供たちを独り立ちさせ、義理の兄弟も、分け隔てなく育て上げ、自立させた自分に満足し、今苦痛に耐え、死にゆく自分を愛しく思い、よく頑張りましたね、大変でしたねと、慰めを受けた気がしました。

人をいっぱい愛した人は喜んで神様をまっすぐ見つめることができると言われますが、彼女は自分で納得のいく、よい人生だった気がします。

充江が、浩平に、火傷させたのは叔母だと聞いて、それまで尊敬し、慕っていた叔母への思いが、変わってしまうところに、作者の人や人生を見る目の確かさを感じました、

うわさ話でその人のイメージが変わることはよくあることで、怖いことですね。それに、噂はしばしば不確かのことがありますから、気を付けたいですね。

充江が、いつも冷静な晴子から、やけどさせたのは、やはりおたけ婆さんだと聞き、叔母は義理の母だという心の闇が、浩平に見まちがえをさせたとわかり、叔母への不信が解けてよかったと思いました。

叔母は腐臭を放ちましたが、その最後は立派で美しく、清楚で、名もない蝶のように飛んでいったように思えます。充江はその尊敬する叔母から、その美しい生き方を受け継ぎ、会ったこともない、誰かのために生きる決心をしたようで、とてもよかったと思いました。

たぶん手術を受け、自分も結婚し、子供を持ちたいと思った気がしました。愛されることを待つより、愛したいと思った気がします。

愛情深く、欲のない叔母でも、実の親子の情愛は特別で、無意識のうちに出てしまうものですね。でも、これは本能的なもので仕方がありませんね。叔母の偉さは、理性的に子供を、平等に接したことです。だから義理の浩平も充江も叔母を尊敬し、愛し、慕ったのだと思いました。

充江が手術することを勧められたとき、顔に傷があるのが私で、この傷が私を作ってきたこと、叔母と史郎の愛をいつまでも慕い待っている、この私自身を愛おしいと思っていると、書いてありました。

私も人見知りがひどく、社交的な人に憧れましたが、もしそうなっていたら、たぶん本好きな私にはならず、別の自分になっていた気がします。

彼女も顔に傷がなければ、別の充江になっていた気がしました。自分の性格のため、損をしたり、苦労を背負い込むことがあっても、そんな自分が好きで、自慢のこともよくあることですね。こんなところも、作者の人を見る目、人生を見る目の確かさが感じられました。

会ったこともない、誰かのためということは、たくさんの人が感じることだと思います。たとえそんなことを思わない人でも、思わず神様に祈ったりして、無意識のうちに、その存在を感じていると思います。いや存在していると言うより人が必要としていると思います、私も自分で生きて来たと思うより、誰かに背を押されてきたと、最近つくづく思っています。主人公の女性のさみしさ、悩み、せつなさ、思いが鮮やかに描かれていることに感心しました、顔に傷を負った彼女には幸せになって欲しいと願わずにおれませんでした。