「或る『小倉日記』伝」について       伊藤 いち子 

    第28回芥川賞 1952年(昭和27年下半期) 正賞:時計 副賞:5万円  

【選者評】

● 丹羽文雄
「ある『小倉日記』伝」は文章もしっかりしていてこの人はもう出来上っている。~中略~この小説は鴎外におんぶしていると私が評した。一方に鴎外のイメージを描いてこの小説をよむ場合と、無名の人間の過去をさがして読まれる小説の場合と、いずれがとくかという意味であった。

● 舟橋聖一
受賞と決まった二作については、私一個人としては、何ンらの感銘もない。ただ二作のうちではどっちがいいかと、司会者に訊かれたので、その中で云うなら、「或る『小倉日記』伝」のほうだと答えておいた。

● 石川達三
「或る『小倉日記』伝」を佐藤、川端は高く評価したが、私には面白いと思えない。丹羽氏も認めない態度であった。私は「ある『小倉日記』伝」に光ったものを感じ得ない。これは私小説の系統に属するもので、その系列を辿って来た選者には高く認められるのであろうかとも思った。

● 瀧井孝作
「或る『小倉日記』伝」は青空に雪の降るけしき、と形容したいような、美しい文章に感心しました。内容は、無名の文学青年の伝記で、大したものではないのによくまとめてあるので面白い、と見ました。

● 佐藤春夫
特異な取材をあざやかな組み立て方でじっくりと処理して落ち着いたソツのない文章もよい。省筆でなく正筆だけにこの方が「喪神」よりも判りはいいだろうが、描写式でなくこの叙述の間に情景のあざやかなこの作の真価を知ることも少しは手間がとれるものがあろう。

● 川端康成
特に触れている選評記事がない。理由として、「夜の河」は「或る『小倉日記』伝」と共に、私の目当ての作品であったが、佐藤春夫氏から私の作品に似ているといわれて、私は発言の不自由を感じた、と書かれている。

● 宇野浩二
「或る『小倉日記』伝」もやはり、芥川賞に程遠い。しかし強いて云えば、「或る『小倉日記』伝」の方が、いくらかほど近いであろう。

● 坂口安吾
「或る『小倉日記』伝」は、これまた文章甚だ老練、また正確で、静かでもある。一見、平板のごとくでありながら、造形力は逞しく、底に奔放達意の自在さを秘めた文章力であって、小倉日記の追跡だからこのように静寂で感傷的だけれども、この文章は実は殺人犯人をも追跡しうる自在な力があり、その時はまたこれと趣きが変りながらも同じように達意巧者に行き届いた仕上げのできる作者であると思った。


『或る『小倉日記』伝」

  あらすじ

 先天性障がいを持つ田上耕作が軍医として小倉に赴任していた森鴎外の日記が紛失したままなので、この3年間の空白を調べようと当時を知る人を訪ね聞き取りをしていく。しかし戦争が始まり、症状がすすみ寝たきりになり、50年暮れについに息を引き取るが、その翌年2月「小倉日記」の原本が発見される。

実在の田上耕作は明治33年生まれで、生地は熊本県ではない。障害の程度も十分に社会生活が可能の身体である。そして、昭和20年空襲で没している。

 それに対し清張は、明治42年福岡県で生まれている。清張自身は障害者ではないが、20代の頃は世間に受け入れられなく、挫折感を持つこともあったと思われる。阿刀田高は「田上耕作の仕事にヒントを得て作った松本清張のフィクション」と言っている。 

【松本清張について】

1909年12月21日 福岡県生

1951年 週刊朝日の懸賞小説に「西郷札」が3等入選

1952年 三田文学賞に「ある『小倉日記』伝」を発表。第28回芥川賞受賞

1953年 上京

1957年 「点と線」

1960年 「砂の器」

1992年 死亡。肝臓ガン。享年82歳





 「或る『小倉日記』伝」

  皆さんの感想           2014・9.8   記録: 清水 悦子

★昔読んだことがあり、最近再読。清張はあまり読んでいない。これはのちの作品の原型。陽のあたらない日陰者、身体的に劣っているのが主人公。田上を身体障がい者にした。当時の日本は身体障がい者に冷たい。障がい者にすることにより際立たせた。障がい者のコンプレックスは、清張も学歴、容貌でコンプレックスが強い人で、重ね合わせた。彼の思いが出ている。田上は鴎外の身になって隠れた謎、真実追求をした。作者は田上を通して自分の思いを描いている。清張は社会派。

★一度読んだことがある。清張に50代ではまった。清張は社会派。この作は社会派と違うが他の作品の原点。鴎外を調べていく過程が面白い。前は印象があまりなかったが、今回は登場人物がよく描かれている。読んで良かった。

★「点と線」「砂の器」を読み、この作で芥川賞。清張の原点。田上が実在の人物で驚いた。
清張を投影。社会派、弱者、生い立ちが貧しい、不幸。作品は面白い。少しずつ丹念に調べていく、本物が現れる。感動的な中味。耕作は肉体的なハンディがあり、母の深い愛情がある。二人が歩く所は「砂の器」で父子が遠い所まで歩く場面と同じで感動的。山田てる子に親切にされてありえないと思いながら結婚を思う。母子の愛情の深さを感じた。寝たきりになり、伝便屋、鐘の音、最後の言葉が小説としてうまくまとめてある。調査は推理小説でスリルがある。亡くなるシーンはドラマ的。いい作品。

★2度読んだ。明治の人の生活を織り込む。足で辿る。伝便屋の一文を見出し取り組む。親が子を思う行動力に感心。調査させることによって耕作とふじの生き方を書いているのでは。

★「点と線」「砂の器」を読んだ。耕作が何を感じ、何を求めたのか。おおぜいの名前が出てくるので、とまどった。耕作の友人、江南に借りた本に伝便屋があり、鈴の音が出てくる。耕作を母が励ましたことも一生懸命になる原因。調査したが最終、鴎外の日記が出てきた。ふじの父は政党員。複雑で事情がよくわからず書き出した。清張の他の作品につながる。

★ふじはいとこ同士の結婚で、近親結婚は障がいが出ると言われるので、耕作に出たのでは。こどもに障がいがあると、健常なこども以上に愛情をかける。自分も出産時、こどもがうっ血で黒かったので、一生、この子のために生きたいと思った。その後、普通のこどもに育ったがふじの気持ちがよくわかる。江南が温かく見守るのがいい。

★学生時代か就職してからか、読んだ記憶がある。その後、再読していない。昔、つまらないと思いそれきりになった。年齢、経験を持って今の年齢で読むと、いい作品と認めざるをえない。清張は社会派。地道に調べて作品にした。平板の如き坂。強い文章力がある。

★文の長さが丁度よい。一気に読めた。障がい者を応援する母の愛。無理なくいい。最後に発見されるしめくくりも良い。障がいにめげず調べ、知らずに死んだのはしあわせ。以前は予防接種がなく、小児マヒになったりした。今は障がい者がいてもまわりが温かく応援して、いい時代になった。

★清張の作品は「砂の器」「点と線」「昭和史発掘」など多く読んだ。これは他作品の原点。普通、推理小説は一度読むとそれきりだが、何度読んでもよい。「砂の器」は映画も良く、映画音楽のレコードも買ったほど。ふじと耕作が歩く姿は、「砂の器」の父子が歩くのと似ている。構成も文章も上手。耕作は障がいがあったが打ち込めるものがあって幸せだったと思う。母は美人、耕作は違っていて対比もうまい。昨年、小倉にある松本清張記念館に行った。発行した多くの本や書斎があり、映画「黒地の絵」「顔」などが上映されたりしていて、とても良かった。(持参した記念館パンフと2014年8月31日付読売新聞の「或る小倉日記伝」を参考に回覧)




 
 感 想                     若林 孝之

 今月の対象作品では、耕作に対するふじの母性愛に感銘。障害のある子どもに対しての親の愛情が並々ならぬものであることは日頃から承知しているところです。それにしても、耕作の探究心の強さと、それを理解し支援するふじの愛情の深さがこの作品を支えていることは確かです。

 今回他に読んだ清張作品について簡単に触れ、次になぜ清張は鴎外に惹かれるかについて考えてみたいと思います。 

 半生の記  「川北 電気株式会社」の給仕時代の辛さといえば、中学校に入った小学校時代の同級生に途上で出遭うことだった。---横道に逃げたものだった。
 自然主義作家にはそれほど惹かれなかった。そのころの私は小説には小説らしいものを求めていたようである。「西郷札」が週刊朝日の懸賞小説の三等に入選した。「初めて書いたその小説が直木賞候補になったことが私に野心を持たせた。「三田文学」を編集しておられた木々高太郎氏に掲載誌を送ったところ、何か書くようにいってこられた。二度にわたって原稿を送ったが、どちらも掲載された。あとの「或る小倉日記伝」が芥川賞になった。この下書きを書いているときは夏だった。六畳,四畳半、三畳という元の兵器廠の工員住宅に住んでいたが、妻と子五人は隣の蚊帳の中に一緒に寝ている。もう一つの隣では老父母が寝息を立てていた。私は渋団扇で蚊を追いながら原稿を書く。ときどき、暗い台所で水をのんだ。

 鴎外の婢(ひ)  文筆家の浜村幸平が原稿を頼まれ、鴎外の小倉日記に記載された鴎外家の女中さんのその後について調査し始めるというストリー。 

清張が鴎外に愛着心を抱く理由  

⓵ 地縁  鴎外が清張の生まれ育った小倉に、左遷されてきたこと

⓶ 鴎外の生まれは、島根県。清張の福岡県とは、近い。例えば、江戸っ子漱石とは地理的な距離感だけでなく、漱石一流の都会的な軽妙洒脱さにも違和感があったろう。

⓷ ともに簡潔な文体の持ち主。

⓸ ともに歴史に関心が深く、的をはずさぬ史眼を持ち、考証に労を惜しまなかった。

    鴎外は史伝物 「渋江抽斎」「北条霞亭」「伊澤蘭軒」

    歴史小説  「阿倍一族」「高瀬舟」「堺事件」「栗山大膳」等

    清張は歴史小説「徳川家康」「陸行水行」「眩人」等          

  論説  「古代史疑」「謎の源流」[私説・日本合戦譚」「史観宰相論」等     



  感 想                 川地 元康

 小倉日記伝を読んで、悲しい物語ですね。耕作が人並以上の知性を持っているだけに、周りの好奇の目、憐みの目に、強い拒否感を感じていたようです。自分の肉体をわざと人前にさらしているようで、自分ほど手を覆うようにしてかばっているものはない、の文章に、彼の苦悩が表れているようで、ただお気の毒としか言いようがない気がしました。

彼は家作の五つぐらいの女の子と遊んだ頃が一番幸せだったのでしょうか。だから鴎外の小説の伝便の鈴の音の小説にひかれ、鴎外にひかれ、最後の言葉が鈴の音が聞こえる、につながり、この小説の全体の流れが、計算されたものだと感じました。

好きな鴎外と彼の小倉時代の日記が無いことが、彼を小倉時代の鴎外の生活を調べることへと駆り立てたのでしょう。耕作が女の子との思い出を大切にしていたことは、彼は好きな人との暮らしをもっとも望んでいたと思われる。でも自分は愛する人を、自分の障害ゆえに、獲得できないことを悟っていたようですね。それはつらいことでしょうね。てる子さんに縁談を断られてから一層躍起になって調査に励んだ、とあるのに、親子の寂しさが感じられます。みんなを見返してやる、と言う気持ちで始めた調査も何度も空しさに襲われたのは、耕作は第一に愛する人と暮らしたい、と言う気持ちがあったのじゃないかと、思いました。

実は私も6,7歳ぐらいのころ近所の女の子といつも遊んだ思い出が有ります。当時女と遊ぶと、男友達から、あーおんなと遊んどると、からかわれたんですが、ままごと遊びで赤ちゃんの役をやらされるのが恥ずかしかったのですが、でも毎日遊んだ記憶が有り、その子が大好きだったと思います。小説のようにとつぜん引っ越してしまい、しばらくボーとしていた思い出が有ります。あれが初恋なのか、ちょっと違う気がしますが、今でもはっきり覚えています。

この物語を一層悲しくさせているのが、耕作の母です。小さい時からの医者がよい、夫を亡くした生活の心配、耕作の将来の心配、お嫁さんの心配、耕作の調査の手伝い、そして生きがいだった耕作の死、彼女の寂しさと、遠い親戚に引き取られる彼女のこれから、食い詰めた彼女を暖かく、迎えてくれそうもなく、まことに可哀そうと思います。

この物語に救いがあるなら、いよいよ生活に困窮してきたときの、耕作の死、彼に女の子との一番幸福の時代があったこと、最後に鈴の音がするといい、彼女に逢えたのではないかと想像できること、そしてできたらお母さんも、耕作との暖かい親子の生活の思い出と穏やかな老後が有るといいですね。

とても計算された、全部が繋がっている物語の気がしました。でも、なぜこのような体の不自由な子が出来るのか、神様を信じている子に聞いた事が有ります、不公平じゃないかと。こたえに驚いたことが有りました。神様に選ばれたんです、この役は貴方しかできないと、貴方は神様から大役を仰せつかったのです。ひっくり返りました。生物学でいえば、種が絶えるのを防ぐ為、出来るだけいろんな人が出来るように、設定されている。天才も出れば、体の不自由な人も出来ると、言われています。不幸を背負った人はまことにかわいそうと思いますが、幸い現代では福祉が整い、生活は出来るようになり、幸いだと思います。



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