【レジュメ】

宮本 輝著「泥の河」 201 52―9      信藤 もと子

あらすじ】

昭和3 0年の大阪の黄土色の汚い川べりが舞台。食堂の常連の馬車引きが荷物の下敷きになりひき殺される。

8歳の信雄は何日も雨ざらしになった荷物の傍で、傘もささず立ちっくしている少年と友達になる。少年は引越したばかりで、舟にすんでいるという。少年の名前は喜一、姉は銀子という。信雄の父の晋平は夜、舟に行ってはいけないという。

喜一と銀子が信雄の食堂に遊びにくるようになる。ある日、食堂で客から、喜一が廓舟の子といわれる。パンパンという意味はわからなかったが、蔑みが舟の親子に浴びせられているのだと信雄は思った。

喜一が泥まみれの鳩の雛を見つける。ところが豊田の兄弟がよこせと言ってくる。 そして「お前のお母はん、パンパンやろ、ここからでていけ」とののしる。喜一は雛を握りつぶし、兄弟に投げつけた。

天神祭りの夜、喜一がおもちゃのロケットを盗む。信雄は泥棒といって喜一を責めると泣きながら、ごめんな、ごめんなと、まとわりついて離れない。喜一は信雄に、蟹の巣があるから、見せてあげるという。そして面白いことを教えたるといい、大きな茶碗に油を注ぎ、その中に蟹を浸し、火をつけた。信雄は火事になると思い、蟹を追いかけたとき、何気なく母親の部屋の窓から中を覗いてしまった。人間の背中が母親の上で波打っていた。信雄は大声で泣いてとびだした。

その夜以来、喜一と逢っていなかった。新潟へ行くことが決まったが、喜一に別れを言えずにいた。いよいよ明日、店を閉めるという日、舟がどこかへ行こうとしているのを見る。信雄は走って何度も「きっちゃん」と呼びかけるが、どんなに大声で呼びかけても舟の母子は応えてくれなかった。

 

【感 想】    信藤 もと子

大変、哀れである。母親が生きていくために淫売をして生活している。姉と弟は学校にも行っていない。とても悲惨である。

信雄の心理描写が非常にうまい。喜一が天神祭りで盗みをしたり、鳩の雛を握りつぶしたり、蟹に火をつけ、おもしろがっているのを見て、信雄は恐ろしいし、異常かもしれないと思う。

姉や母親に対しては、異性に対するあこがれのような感情がある。毎日のように舟の家を訪ねていったのは、母親のそばに行きたいからであった。だから、思わず暗闇で母親と目があってしまい、見てはならない光景を見て、大声で泣いて飛び出していく様子が目に浮かんでくる。

そして母子との別れがやってくる。舟に向かって叫んでも母子は応えてくれない。舟が流れていくその先に、未来が見えない。

印象に残ったのは、銀子が「お米がいっぱい詰まっている米びつに手エいれて、温もってるときがいちばんしあわせやい、、、うちのお母ちゃん、そない言うてたわ」という言葉、そして喜一が直立不動になって「ここは御国を何百里、離れて遠き満州の 赤い夕陽に照らされて、友は野末の石の下」と、歌詞全部を意味もわからず得意げに歌うところである。戦争の悲惨さと晋平の深い哀しみが伝わってくる。

映画では、加賀まり子が母親を演じていて、妖しい美しさがとても印象的であった。

年末にNHKで消えたこどもたちという特集があった。そこでは、貧困や虐待、親の精神疾患で学校へ行くことができない子供たちがいたし、車の中や公園で暮らしている子供たちもいた。悲しい現実が今でも実際に起こっていることに、言葉がなかった。

作品と作者紹介】

1977年(昭和52)に太宰治賞を受賞。昭和30年は高度経済成長がはじまる直前の時代で、まだ馬車引きや水上生活者が残っていた。作者は20年前を回想して、生きることの哀しみを泥の河周辺の風景に描いた。「泥の河」「蛍川」「道頓堀川」は「川三部作」と呼ばれている。

20代半ば頃から不安神経症に苦しんだり、こどもの頃から辛酸をなめてきた経験と、心弱く苦しみ傷つく人々を見つめる視線から「人間にとって幸せとは何か」を文学的なテーマとして追求している。最近では、疲れ果て深く傷ついた読者を文学の力で再生に向かわせている。

 

【年 譜】

1947年(昭和22)3月6日、兵庫県神戸市に生まれる。

1952年(昭和27)大阪のキリスト教系の幼稚園に入園するが半年で退園

          その後、大阪市立曽根崎小学校に入学。

1956年(昭和31)父の事業のため、富山市豊川町に転居。

1957年(昭和32) 父の事業が失敗したため、兵庫県尼崎市に転居。

1969年(昭和44) 父が借財を残して死亡

1970年(昭和45)追手門学院文学部卒業。

その後、広告会社に勤務するが、サラリーマン生活に

強い不安を感じ、退社。小説を書き始める。その後、

池上義一に出会い、作家としての指導を受ける。

1977年(昭和52)自身の幼少期をモチーフにした「泥の河」で第13回

太宰治賞を受賞してデビュー。

1978年(昭和53)「蛍川」で第78回芥川賞を受賞。

その後、結核療養のため休筆。

1987年(昭和62)「優駿」で第21回吉川英治文学賞。

2004年(平成16) 「約束の冬」で第54回芸術選奨文部科学大臣賞文学部門。

2009年(平成21) 「骸骨ビルの庭」で第13回司馬遼太郎賞。

2010年(平成22) 秋の紫綬褒章。

 

出席者による感想】     記録者 淸水悦子 

☆表現は必ずしもこの通りではありません。

*私はS18年生まれで作者と年齢があまり違わない。小さい頃の思い出に重なる。女性の心理がうまく書いてある。

*戦後、庶民は大変な暮らしだった。田舎に住んでいたのでこのような実情を見たことがなく、貧困など知らなかった。馬がかわいそう。喜一と銀子の舟は廓舟だった。喜一と信雄の生活の差を知り、信雄はしあわせと感じた。舟が離れて行き、別れの場面は心を打つ。感動した。鯉はおじいさんを呑んでしまった。

*状況描写がすごい。こども同士の思いやり、温かい雰囲気がよく伝わる。哀愁も漂う。大きな鯉は何を象徴するのか。

*泥の河で棲息している鯉はその時代を眺めている。鯉は実在か。鯉が大きな役割をはたしている。

*鯉は、信雄の気持ちを語った。代弁している。喜一と信雄の秘密の共有。泥の中で育つ逞しさ。

*映画をモノクロで観た。切ない。かわいそう。辛い。私は中区で生まれて堀川がすぐ近くにあった。筏や製材所があり、馬が通っていた。中学校の美術の写生でポンポン舟に見とれた。風景はわかったつもり。鯉は大きな象徴。蟹に火をつける所は読んでいてやめてと叫んだ。

*馬が通っていたのを見たことがある。戦争からせっかく生きて帰ったのに死ぬ人、戦争で傷を負った人を浮き彫りにした。貧しさの中でも工夫して自分でできることで生きていた。昔はこどもの遊びで、自然の生き物を工夫して雀をとったりした。私もハエをばらばらにして生命の大切さを学んだ。そうした人は犯罪を起こしていない。作者の経験が良く描かれている。出て来る人が心やさしい。学校へ行けないふたりに、信雄の両親は手品やかき氷をふるまったり、服を着せてくれたりして差別をしない。喜一の母も黒砂糖をくれるなどやさしい。作者がやさしい。底辺に生きている人を書いてほのぼのとしていい作品。銀子が服を貰わないのは、プライド、ひとつ超えてはいけないということがある。鯉は信雄にしか見えない。

*蛙を解剖したことがある。蟹に火をつけるのは残酷な気はなかった。今と違う。当時は生き物は遊びの道具。描写の巧みさ。喜一と大事に育てられた信雄との対比がある。

*小説と映画はどちらを先に読むか、イメージが融合する。お化け鯉は少年同士の秘密。重要な場面。守り神みたいについていく。私はS33年生まれなので、この頃のことはまだ想像できる。そのうちに古典になる。情景描写がうまい。比喩がきれい。

*自分より上か同世代の作者の小説は読んでいるがこの作者は初めて。視覚的で情景が目に浮かぶ。描き方は違うが、映画「キューポラのある町」も底辺に近い人に焦点を合わせている。監督は大学の1年先輩か。明るさのある終わり方をしなかった。馬車で人が死ぬ場面は悲劇の幕あけで印象的。馬、蟹、鳩、鯉など動物をうまく使っている。鯉は狂言回し。主を踏んでいく馬の哀しみが非常に印象的。視覚的。色彩、光に敏感。うまい表現。樋口一葉の「にごりえ」を思い出した。新潟へ行くのは、行く手に明かりがあり、家族に希望がある。白の雪のイメージがきれい。大阪で育ったので地名が懐かしい。

*比喩のうまさ。自分史を書いているが書き留めておきたいくらい。文章がうまい。こどもと大人の交流。うどん屋での大阪弁の客とのやりとり、父と子、母と子、昔の方が、親子の結びつきがあった。河、橋、舟の3点セットがある。普通の家庭と違い、異次元の世界で話を際立たせる。河はいろいろ感じさせる、橋は、ある地域と別の地域を結びつける。新しい世界と旧い世界。物語を際立たせる。この作者は初めて読んだ。すごい名作。

*描写がうまい。作品の流れに抵抗感がない。幼い頃をモチーフにした。

*哀切。すばらしい作品。描写がうまい。何度読んでもよい。子供の心理が描かれている。鯉は泥の河に住んでいる。貧困、悪を象徴する。この子たちがその後、どうなるか、喜一はヤクザになり、銀子は身売りされているかもしれない。今なら児童虐待で問題になる。映画と小説がぴったり。監督の舞台挨拶を聞いた。中川運河で撮影した。この作品と、「幻の光」「錦繍」が、私の選ぶ作者の3大名作。舟を追っても止まらないから余韻が残る。

*皆さん、よく読んでいる。映画に感動して原作を読んだ。描写がすばらしい。巧みに書いている。TV化、映画化されたものが多く、映画「草原の椅子」を観たが大変良かった。

 

【感想】        川地 元康

いつもお店に来てくれる知り合いの人の悲惨な死、折角戦争を生き残ったのに、あっさり亡くなったことに、信雄のお父さんは大きなショッククを受けたみたいですね。

何気なく惰性で生きる私たちを、いつも死はハットさせ、人生の儚さ、悲しさ、無常を感じさせ、人生の意味を問いかけてきます。私たちが明日をも知れない存在であることを知らされます。

でもこの物語の切ない悲しさを感じさせるのは、喜一一家の暮らしぶりです。父を失い子供を育てるため、父の残した船を住居に、春を売ることを生業としたのは、何も恥ずべきことでもないと思います。でも、世間から厳しい嫌悪の目を向けられ、子供らに学校にも行かせられなく、満足な服や靴を買ってあげられない貧しさ、軽べつの目と貧困の中一家がひっそりと身を寄せ合い、生きている姿が、なんとも言えない悲しさとさみしさを感じさせます。

自分たちが、決して受け入れられない存在であることをわかっていて、ひっそり生きる一家の姿が、私には悲しく美しく感じられました。そして何もかもわかっていて、喜一や銀子を受け入れ、深い同情と愛情を注いだ信雄一家の存在が、この物語を格調高いものにしています。

両親の愛情を受けて育った信雄と厳しい環境の中に生きた喜一の生き方の違いがうまく描かれています。喜一の母の働く姿にショックを受けた信雄が、しばらく行かなくなり、それが喜一一家が信雄一家と付き合うことを諦めさせたのでしょうか。

最後の信雄の呼びかけに答えないことに、なんとも言えない悲しさを感じました。でも、喜一の分身として巨大な鯉が姿を現し、まるで信雄に別れを告げに来たかのような展開が、とても素敵な幕切れになっていますね。

それと関西弁と関西人らしい冗談、魚を市場に釣りに行くと、神風出てこいのところが、物語を深刻にせず、ソフトにしているのがとてもよかったです。

生活の苦労が喜一一家を成長させ、強くし、無事に人生を乗り超えられますよう、願わずにおれませんでした。

この小説は物語としての面白さと、出てくる言葉一つ一つが私の子供時代を思い出させ、二重に楽しませてくれました。子供時代、私が引っ越し、友達がなく、心細いとき、話しかけてくれた子がいました。近所では遊んではいけないと親に言われている子でした。着るものや住む家で、貧しいことがわかる子でした。その頃、肺病病みと言われるお父さんが寝ていました。でも、さみしい私をあちこち連れまわり遊んでくれ、本当に助けられました。その子が言った言葉が今でも忘れていません。「お金も食べ物も無くなったら盗んでもいいのだ、とお母さんが言っていた」と言ったことでした。

貧乏だった僕は、なぜかホッとしたことを覚えています。ほんとに困ったら盗んでもいいのだと思うと、なぜか安心しました。福祉が整っていない時代、ほんとに困ったら盗みや売春は許されると思います。世間は許さなくとも、神様は許してくれそうな気がします。

昔、赤線地帯で暮らしたとき、学校から帰るとき、女郎さんが道路に出ていました。男を虜にするプロの女の人のすごさ、美しい着物、お化粧と匂い、しぐさ、言葉の巧みさに、しばし見とれたことがありました。たぶん、信雄もそれを感じたのかもしれませんね。あと、馬車、馬、釣り、鯉、ゴカイ、巨大魚、船、汚れた川、お祭り、屋台、カーバイト、盗み、カニなど、いずれも自分の子供時代を思い出させてくれました。

最後に、素敵な小説を紹介してくれた方に感謝しています。

 

 

【感想】          岡本 恵子

 河のほとりに建つ柳食堂の1人息子信雄の目で、戦後の社会を垣間見ながら描かれている。

馬車引きのおじいさん、沙蚕を売る老人、川船に住む母と姉弟、信雄の父晋平、それぞれに戦争の傷を持つ人々がいる。信雄少年の純粋な心の変化を描きながら、登場人物の温かい人間愛が感じられた。

 社会の中からはじき出された人々に対する信雄の両親の態度で、心が救われる思いがした。

 喜一の置かれているどうにもならない心の痛みを、信雄は自分ではどうすることもできない正体不明の深い悲しみで表現していて、社会のひずみが強く心に響いていた。

 信雄と貴一の2人の動きで、その頃の街の様子が手に取るように伝わり、懐かしさを覚えた。

  泥の河を象徴として、戦後のドロドロとした社会が表現されている。最後に、お化け鯉が泥の河を力強く泳いでいくことで、その時代を生きる人々の力強さを感じることができ、希望が持てた。

 
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