レジメ 姜尚中 『母』  報告者 安藤みどり  2017.6.12

【あらすじ】

・プロローグ

 私(カンサンジュン・テツオ)の母(スンナム・春子)は、201543日帰らぬ人となった。文字を知らないオモニにかわって、記憶の断片を拾い集めて描くことで、私の半生が透けて見えるに違いない。

・春の海に別れを告げて

 オモニが生まれた鎮海(チネ)は軍港都市として栄え、朝鮮人と日本人の居住区の隔離によって人工的に造られた街であった。オモニは、祖父と母に寵愛され、女子は教育など必要ないという考えで、字を読むことができない。16歳で、結婚相手姜大兎(カンデウ)が日本に出稼ぎにきていたことで、ひとりで春の海を渡った。

・熊本の地に立って

 新婚生活を始めた年に、「大東亜戦争」(太平洋戦争)が勃発し、食糧不足は悪化の一途を辿りつつあった。
 春男が生まれ、尾張一宮へ疎開して間もなく名古屋大空襲に見舞われる。灼熱の炎から身を守るために、用水路に一晩中身を浸して過ごした。春男は衰弱して亡くなった。
 故郷に帰る前に、熊本に憲兵となって赴任しているカンデウの弟(テソン)に会いに行く。熊本も71日に大空襲で市街地の五分の一が焦土と化していた。

・「玉音放送」の日に

 815日のラジオの天皇の肉声が終わると、テソンは全てから見放された感じがして死を考える。兄夫婦に、どうして死ななければならないんだと諭される。

・混乱の中で

 米軍だけでなく重慶軍も進駐し、婦女子を犯して殺す噂が絶えず、市内は騒然としていた。失意と悲嘆に暮れていた県民の中で、唯一意気軒昂としていたのが、強制労働に従事していた朝鮮人だった。
 朝鮮半島では、南北分断の序曲が始まろうとしていた。テソンは、ウリナラ(我が国)の様子を見に行ったが、それから25年熊本の地を踏むことはなかった。

・出会い

 オモニが行商をする中、闇市でタバコを売る女が、自警団の男に怒鳴られているところを、鬼神の形相で女を助ける。 

身を寄せ合って

 父親のいない2児の母親のタバコ売りの金岡さんと、幼子を抱えた京子さんの境遇を不憫に思い一緒に住もうと誘う。

・新たな別れ

 オモニは、現金を得る方法としてどぶ川を浚い金目の物を見つけ出す。
 京子の夫の岩本がヤクザの争いで怪我をするが、快復後祖国朝鮮に帰ることになった。どぶ川でみつけた「お宝」を餞別に送った。

・新しいいのち

 マサオが生まれる。その頃、祖国は南北それぞれを支持するグループの諍いが絶えることがなかった。祖国へ帰った岩本が、村のいざこざに巻き込まれ再び熊本に戻ってきた。

・殺戮の年に生まれて

 1950年北鮮が韓国に宣戦布告(朝鮮戦争)
 日本では、暮らしの沈滞を一掃するような「動乱特需」に沸き立つ。この夏、私が生まれる。

・きずな

 辺り一面を泥海に変えてしまう豪雨が熊本全域を襲う。
 遊郭にいた岩本は、ヤマの豚を助けるために一目散に駆け出し、父と一緒に豚を安全な場所に運ぶ。こうして兄弟以上の深い絆で結ばれることになった。

・母の嘆き

 復興の光が輝くほど、朝鮮人たちは日の当たらない世界へ押し込められていった。仕事を奪われた両親は、地金屋をやるために土地を買い、初めて「城」を持った。

・屑屋さん

 熊本から進駐軍が去ることになり、軍の押収品(軍刀や鉄兜)などを永野商店が与ることになった。また、数十人の死者が出た火事の廃品も扱った。その度に、オモニは塩を辺りに振りまき、韓国式の「お祓い」をした。

・祭 祀

 春男の命日には、巫女を呼んで霊魂を慰めた。その儀式は、近所ではオモニが気がふれたのではないかと思われるほど激しいものであった。

・悩みの海

 真面目な性格の兄マサオが高校生になって、周りの家から浮き上がっていると意識しだし腕っ節の強い番長に豹変した。

・再びの故郷の海

 日韓基本条約が批准され、「里帰り」の道が開かれたが、国籍を「朝鮮」から「韓国」に変えなければならなかった。音信不通の叔父(テソン)から来た手紙を頼って、オモニがコヒャン(故郷)の土を踏む。

・思い出は遠く

 30年間日本にいるため、目の前に広がる故郷の光景は、どこかよそよそしかった。

・再 会

 父の弟のテソンは、ソウルでは五本の指に入る有名な弁護士になっていた。

・悲 哀

 25年ぶりにテソンが熊本駅に降りた。暑さとクマゼミの声は変わらないが、熊本は全て変わっていた。闇に葬り去った記憶が生々しく甦って、喪失感に心が暗くなった。

・決 心

 テソンの住むソウルを訪れたテツオは、見たこともない貧しい光景を目にした。
 親族が大勢駆け付け、祭りのような騒ぎの中、心のかさぶたが剥がれ、ありのままでいる心地よさを味わうことができた。逃げることをやめ、ありのままで変わろうと決意する。

・わだかまり

 今日から永野鉄男をやめて姜尚中の名前にするという。
 母は、知らない世界へ息子が足を踏み入れることの淋しさや苛立ちを感じる。

・憂 愁

 婚約者のマリコを紹介した。日本人と韓国人の結婚は、これまでに言うに言われないいわれがあったことを両親は心配する。

・岩本の死

 望郷の念に駆られながら、失郷者として事切れた岩本。故郷の山河に「イ・サンス」として戻すのが供養だと父は思った。

・父の死

 息子のむぞらしか(熊本弁:かわいい・愛らしい)ナオヒロを連れて父の古希の祝いに集った。その直後、膵臓がんで亡くなる。ヤマの仲間や取引先の業者が、「オヤジさんのおかげで仕事をすることができた」と死を悼んだ。

・春の海で

 オモニは、鎮海(チネ)の海岸に行けば亡くなった春男たちに会えるような気がして、20年ぶりに里帰りをする。春の海が運んでくる潮の香りを思いっきり吸い込んだ。

・ふたつの声

 生前、私に声の便りをテープに吹き込んでいた。
 困った人がおるなら、カネは使うこと。先祖を大切にすることで、何とか日本で生きてきた。
 知らない世界を教えてくれてありがとねぇ。

・エピローグ

 母が亡くなって3度目の春に、故郷の海を訪ねた。母が終生忘れなかった明媚な遠浅の海岸を見て、懐かしい場所に再び巡り会えたような気分がした。


【著者の経歴】

 1950年(昭和25年)812日に熊本市で生まれる。

 早稲田大学政治学研究科博士課程修了。専門は政治学・政治思想史。特にアジア地域主義論・日本の帝国主義を対象としたポストコロニアル理論研究。

東京大学名誉教授。熊本県立劇場館長。

 『朝まで生テレビ』『サンデーモーニング』はじめ、多くの討論番組やトーク番組に出演。

★ポストコロニアル=直訳すれば「植民地時代後」。これは植民地主義が終わったということではなく、植民地主義的な遺産がその後の社会や関係に、より深く、より持続的に食い込んでいることを意味する。


【著者の主な著書

 ・『マックスウェーバーと近代 合理化論のプロブレマティーク』お茶の水書房 1986

 ・『オリエンタルリズムの彼方へ 近代文化批判』岩波書店 1996

 ・『ナショナリズム』岩波書店 1996

 ・『東北アジア共同の家をめざして』平凡社 2001

 ・『在日』講談社 2004

 ・『愛国の作法』朝日新聞社 2006

 ・『悩む力』集英社 2008年 『悩む力・続』2012

 ・『母―オモニ―』集英社 2010

 ・『漱石のことば』集英社 2016

 ・『姜尚中と読む 夏目漱石』岩波ジュニア新書 2016

 ・『逆境からの仕事学』NHK出版 2017年              



【報告者の感想】  安藤 みどり

 作者の誕生日と10日ほどしか違わない私は、この本を読み終えた時、環境の違いに驚きました。祖国に帰るに帰れない情勢に翻弄された人々が多くいたこと。

 名古屋大空襲では、私の祖父がリヤカーを引いて逃げる時に荷物に火が付いたことや、名古屋城が焼け落ちた話を聞いています。1950年の朝鮮戦争は、中学の社会科の授業で、洋服の供給が間に合わなくてボタンは糊付けしたという先生の話を今も鮮明に覚えています。

 チョーセンという言葉を嫌っていたテツオが、大学生になって韓国を訪れ、親族と交わる中で、ありのままの自分でいられる心地よさを感じ、姜尚中で生きていく決意をしたのは、母の生きざまが血となり肉となって心の奥に培われていたからだと思います。楽しい時、苦しい時に「茶摘み」を歌っていたオモニ。逞しく、粘り強く、優しく生きることを教えられました。



【みんなの感想】  記録&文責 安藤 邦男

・母親のたくましく、愛情豊かな生き方に感動した。もう一つ心に残ったのは、主人公をはじめ、彼を取り巻く人たちの積極的な生き方である。戦前は在日韓国人たちは差別の中でつらい生活をしていた。

・当時の韓国人へのひどい仕打ちからすれば、いまの反日はある意味では当然。関東大震災の当時、朝鮮人を虐殺した事件もあった。

・この本は著者のルーツを語る本である。私は朝鮮人が馬鹿にされた時代を生きていた。韓国へ行ってはじめて自分をルーツを自覚して、韓国人の名前で生きようとした箇所に感動した。

・家族を守る母の姿が素晴らしいと思った。会話が熊本弁であったことが心に残った。祖国へ行って、初めてありのままで生きる決心をしたことが印象的でした。

・内容が重かった。著者の記述には反日的な部分が全くなかったことがかえって読む者の心に重くのしかかってきた。もっとこれまでの日本や日本人をを恨み、怒ってもいいのではないか。

・朝鮮戦争などの時代背景を描いて欲しかった。日本人への遠慮があったのか、本当のことが書かれていない気がした。「母はあくまでも母でなければならない」という文章には、違和感を持った。

・母の生き方はすごいと思ったが、自伝的小説と銘打ってある以上、小説としての構成をもっと考えてほしかった。平面的、羅列的で、作文を読むような味気なさを感じた。

・母と子供との関係についていえば、娘は母の悪口を平気で言うが、息子はいわない。息子にとって母は聖女かもしれないが、娘としては同性の女として母を客観的に見ているせいなのか。

 

【わたしの感想】  川地 元康

 素晴らしいお母さんですね。16歳で言葉が通じない異国に単身で来て、よく知らない見合いの相手に嫁ぎ、3度の空襲を体験し、戦後の混乱、食糧難、就職難、朝鮮人との侮蔑にも耐え、義理の兄の助けがあったとしても、闇市の行商、日本人が嫌がる汚れ仕事、養豚、どぶろく作り、廃品回収と生き抜き、日本人でも生きるのがやっとの時代に、大成功を収めたことなど、彼女の努力、体力、先を見る目の確かさと、チャンスと見れば多大な借金をして、事業の拡大を図る度胸に,感心しました。

 それだけでなく、困った人を見るとほっておけない義侠心、いじめられている人を見れば体を張って守ってあげる勇気、金を儲けるだけでなく、惜しみなく人に金を使ってあげる気前良さ、そして夫とどんな時でも子供たちを愛しきった情の深さ、まさにスーパーお母さんですね。

 子供たちに取って唯一の欠点が、巫女さんを呼んで行う除霊や法事でした。激しく呪文を唱え、狂ったように歌い踊ることでした。近所の人たちに、恥ずかしいと思っていたみたいです。

 これについて本文から抜粋すると、次のようです。「それでもマサオと私に取って、母は絶対的な存在だった。逞しく頼りになり、そして愛おしい存在だった。そして何よりも、休むことを知らない力強い存在だった。ただ、子供たちには、母の抱え込んだ煩悶や葛藤がどれほど激しく,切実であったか、見えていなっかった。母は自分たちを取り巻く世界の偏見に満ちたまなざしを、誰より敏感に感じ取っていたのである。だからこそ、母には黄泉のような世界の儀礼が必要だった。そして何よりも祖先を敬う祭礼が、母を支える拠り所だった。そして祖先を祭ることは、この世の幸福や不幸、家族の安寧や災難に直結する大切な義務だった。」

 作者はこうした祭礼により、母が癒され、明日への活力を得ていたのを理解したようです。そして儀式が一家の絆を強めることも感じたようです。母は里に帰り、あれほど恋し焦がれた母の故郷、弟や親族に会っても、どこか違う、熊本に帰りたい、と思ったようです。長い日本暮らしで、生活や心の拠点が熊本にあることを感じたようです。国の弟の職の無いのを見て言った言葉、「日本は景気よかて言うばってん、韓国人が商売するのに、どがし苦労したことか。汚れ仕事ばっかりやってきたけんね。うちらは、他人の国でメシば食って、人にいえんくやしい思いもしてきたと。そればわからんで、スンナムは金回りがよかて 噂しとるばってん、一円一厘儲くっとに、どがんしこ苦労したか」。この言葉に彼女の苦労が言い表されていました。

 夫も良い人ですね、お母さんに威張らず、妻を尊重して上げたのが立派ですね。答えるよう、お父さんは要領よくはないが、誠実な人柄だと、見抜き尊敬したのが、母の偉さですね、亡くなった時のお母さんの嘆きで、夫婦の絆の強さを感じました。

 この本を読んで在日朝鮮人の二世の人たちが、韓国人にも、日本人にもなれず、悩むことを知りました。作者も例外なく悩んだようです。韓国に帰り、ソウルのあまりの貧しさにショックを受け、田舎の親戚の家を訪ね、打ち解け、韓国の人たちの温かい歓待を受けるうちに、韓国、日本にこだわらず、ありのままの自分として生きたいと決めたようです。そして母の祭礼も受け入れ、朝鮮人と言われるのを恐れなくなり、韓国名を名乗ることを決めたようです。それは素晴らしい決断だと思いました。

 テソンも本には書いて有りませんが、こうした板挟みに苦しんだ気がします。韓国の奥さんとの間が上手くいかないのも、そんなことが原因ではないかと思いました。だから日本に残した妻子を探し、自分が日本人か韓国人か確かめたかった気がしました。だから韓国人に成り切れず、事業に失敗した原因ではないかと思いました。

 韓国の人たちがなめた終戦後の辛苦、そして分断した祖国、同じ民族が殺し合う悲劇、それらすべてが日本の侵略が原因だと韓国の人たちが感じ、今日の反日の原因になっていることを知りました。

 この本は私の子供時代を思い出させてくれました。私には韓国人の友達がいました。母は彼と遊んではいけないと言いましたが、私の唯一の友達でした。本にあった廃品回収、メメゾ、ゴカイ、小エビを取り、釣り道具屋さんに売ること、停留所のどぶさらい、それからシジミを取り売ったこと、魚を取り大きい魚は売り、小さいのは何時間もかけ煮て味噌で味付けし、おかずにしたこと、セリ、どんぐり、ノビル、野イチゴ、桑の実、アケビ、エビガニ、ナマズなどを取ることが彼との遊びであり、家計の助けになったことを、懐かしく思い出しました。

 母たちは、朝鮮の人たちの匂いや服装、食物、習慣の違いや言葉の違いなどで、自分たちとの違いを感じ、気味悪く感じたようです。人間の本能に近い感情で、彼らを嫌っていたようです。私は何の違和感もなく遊び、時には御馳走になりました。それは、そのころ日本人は食べなかったホルモンでした。びっくりするほどおいしかったです。それ以来一度も食べたことのないほどおいしい肉でした。いくらホルモン屋さんを探してもありませんでした。そんな懐かしいことを思い出させてくれた本でした。



【わたしの感想】  安藤 邦男

  (以下の文章は、安藤が自分史作品として書いたものですが、ここに転載します。)

 所属する読書会で、三浦綾子の『母』を読んだのは、つい一ヶ月前である。次いで今月は、姜尚中の『母』を読むことになり、期せずして読書会は「母」シリーズになった。

 三浦綾子の『母』もさることながら、とくに姜尚中の『母』は、わたしの生きた時代と重なる部分が多く、読みながらわたしは自分の母を回想し、目頭を熱くした。

 プロローグで、著者の姜はいう。

「息子たちにとって母は絶対的な存在である・・・母はあくまでも母でなければならず・・・息子たちは母が女であったことを認めようとはしない」

名言である。わたしは満腔の賛意をもって、この言葉を心に留めた。

 それはさておき、この二つの作品を読み比べ、感じたことを俗諺風に纏めるとすれば、「母」なる存在は「子」なくしてはあり得ないということ、母はわが子を語ることで自らを語ることになり、子はわが母を語ることで自らを語ることになるということである。それは、「母」という言葉の属性のもつ、必然の結果にほかならないといえる。

 具体的にいえば、こういうことになるだろうか。

三浦綾子の『母』では、戦前の共産党弾圧時代に獄中で虐殺された小林多喜二の生涯が、母親のセキの目を通して語られているが、多喜二を描くことによって母親セキの、家族思いで優しい性格が、見事に浮き彫りにされているのだ。

また、姜尚中の『母』では、東大名誉教授で政治学者としても高名な著者は、同時に文才にも長け、自分の母を格調のある文体で詩情豊かに描いているが、ここでも著者は母を語りながら、自らに秘めた思い、朝鮮生まれという出自を明かすにいたる過程を描いている。

さて、わたしがここで取りあげたいと思うのは、実は姜尚中が自らの素性を表白して、新しい人生を始めようとするこの辺りの描写である。

大阪万博が終わったころ、大学生になっていた著者は、現地に住む叔父の誘いもあって、母の生まれ故郷である韓国を訪問する。そこで、貧困に喘ぐ子供たちを目の当たりにした姜は激しい衝撃を受けると同時に、母の身内の人たちの温かい持てなしや母の育った土地の美しさに、日本で感じたこともない心の安らかさを味わうのであった。このとき、はじめて姜は、おのれのアイデンティティーに目覚めたのである。

帰国後、「カンコクやチョウセンと聞いただけで逃げ出したくなる」少年であったテツオは、「自分の触れたくない出自ともろに向き合う」ことを決意する。

そして、少年時代に通した日本名の「永野鉄男」は、新たな韓国名をもった「姜尚中」青年に生まれ変わるのである。

「永野鉄男か・・・。でも姜尚中じゃあないか。どちらも本当の自分なんだぞ。ならばどうしてそんなに姜尚中から逃げてきたんだ。逃げなくてもいい。ありのままでいいんだ。ならば永野鉄男でいいじゃないか。いや、ちがう。それなら今までと同じだ。変わろう。変わるんだ」

この場面、今の若者ならばいとも簡単に、カミングアウトと呼び、あまり気にとめないかもしれない。現在はそれを認知する平等社会ができ上がっているからだが、しかしそうでなかった社会の場合は、どうであったか。秘めたる過去を告白し、自らを変えようと決意するには、それこそ言語に絶する苦しみを味わうことになったはずである。

同じ苦悩を描いた古典に、島崎藤村の『破戒』があることを思い出す。主人公の小学校教師、瀬川丑松は、被差別部落の出身者であるが、その素性を隠せという父親の戒めを守って生きている。しかし最後には、その戒めを破り、「我は穢多なり」と公言、生徒の前で土下座して許しを請うのである。そして新天地を求めて、アメリカへ旅発つ。

告白に至るまでの苦悩は読者の肺腑を抉るが、なぜ、藤村は牛松を土下座までさせたのか。当時、わたしはそこに疑問を持ったし、差別撤廃を叫ぶ人たちも、その点を批判した。それは、藤村の思想的弱さだろうか。いや、それだけではないと思う。隠してきたこと自体に罪を感じ、土下座しなければならないほど、それを許さない社会の掟が強かったことを、藤村は指摘し、告発したかったのではないか。牛松をアメリカへ発たせたのも、そんな日本に絶望したからではないか。

わたしにも、そのように自己の出自を秘した人たちを、身近に見た経験がある。大学時代、同学年に「張本××」という学友がいた。卒業後、一年ほどは読書会などで一緒していたが、そのうち或る私塾の英語講師の口があるといって三重県に去った。手紙のやりとりなどしていたが、あるときから手紙の名前が「張××」に変わり、初めて彼が韓国人であることを知った。

また高校教師時代、受けもった教え子に「河崎××」という高校生がいた。真面目で成績も良かったが、何となく暗い感じのする少年であった。ところが卒業後、何年もたってから、学校にわたしを訪ねてやってきた。見違えるほど、恰幅もよく、堂々としていた。もらった名刺を見ると、「河××」とあり、肩書きは朝鮮人小学校校長と書かれてある。聞けば、××市にある北鮮系の小学校で校長をしているという。彼が在日であることは、担任をしていたわたしも知らなかったし、同級生たちも知らなかった。

 これらのことはいずれも、昭和前期の時代に起きたことであるが、そのころは差別と偏見が極端に激しかった。それだけに、在日朝鮮人や韓国人の子どもたちは、自分の身元を知られることを異常なほどに怖れたのであろう。わたしの友人や教え子たちが、日本名を捨て朝鮮名を公表する勇気をもつに至ったのは、ようやく青年期になって社会的立場を得てからである。そのことからも、少年期の彼らの苦しみが如何に大きかったのかが判るような気がする。

 だが今は違う。昔のような差別や偏見は、少なくともタテマエでは無くなった。現に、学問・教育の世界やスポーツ界、芸能界など、実力主義の社会では、人種や性別の如何を問わず、多くの人々がなんの屈託もなく活動している。だが、これで大丈夫かと問われれば、必ずしも安心はできないのではなかろうか。

 国際的には、米国をはじめ欧州の国々の中には、特定の人種の流入を制限しようとする動きもあるし、国内に目を転じれば、職場でのモラハラ、セクハラ、さらには小中学校でのいじめなど、差別意識はさまざまに形を変えて社会にはびこっている。

だからこそ、その何倍も大きく、激しい差別や偏見の社会が、遠くない過去にあったことを忘れてはならないし、今後気を許せば、いつ何時そんな社会が到来しないともかぎらないことを肝に銘じ、自戒すべきであろう。

 その意味でも、姜尚中の『母』は、ぜひ読んで欲しい書物の一つである。

             (同人誌「なごやか・91号」に掲載。平成29年6月作品)