三浦 綾子『母』 報告 信藤もと子

                          2017..

【三浦綾子の経歴】


1922年、4月25日(大正11年)に北海道旭川市に生まれる。

1939年、旭川市立高等女学校卒業。その後、7年間小学校教員を勤めたが、

      終戦により、それまでの軍国主義教育に疑問を抱き、1946年に退職。

      その後、肺結核を発病する。敬度なクリスチャンである前川正と文通を始める。

1952年、結核の闘病中に洗礼を受ける。

1954年、前川正死去。

1959年、旭川営林局勤務の三浦光世と結婚。

1963年、朝日新聞社の懸賞′ト説に「氷点」が入選。朝日新聞に連載される。

1966年、「氷点」が出版され71万部の大ベストセラーになり映画化される。

1996年、北海道文化賞受賞

1999年、10月12日、多臓器不全により77歳で死去。

      結核、脊椎カリエス、心臓発作、直腸がんなど度重なる病魔に苦しみながら、

      クリスチャンとしての信仰に根ざした著作を次々と発表した。

2014年、三浦綾子文学賞が設立された。(1回のみ)

2014年、10月、三浦光世が死去。

あらすじ】

セキが昔のことを思い出して語りはじめる。

セキは秋田県釈迦内村で生まれ、13歳で隣村の21歳の小林末松に嫁ぐ。

末松の兄の慶義を頼って小樽へ移り住み、若竹町でパン屋を営む。その時、タコ部屋から脱走してきた人夫をかくまって逃がしてやった。

多喜二は明治36年に生まれた。セキは3男3女を生み育てた。極貧であったが、皆、貧乏は辛いなんて誰一人いわなかった。

次男の多喜二は優しい子で弟の三吾に拓殖銀行でもらう給料で中古バイオリンを買ってやったり、音楽の先生を紹介したりした。

多喜二は貧乏人のいない世の中をつくりたいと昼は銀行員、夜は小説家みたいにがむしゃらに書いた。入舟町の小料理屋でタミちゃんと知り合う。

タミちゃんは16歳位で家が貧乏なので、売られてきたのだ。多喜二はこんな場所から救い出したいと思い、暮れのボーナスと友人に200円借りて身請けする。

多喜二の家に一緒に住むが、多喜二は東京へ行き小説家になりたいと思っていたので、タミちゃんは足手まといになると思い、家を出て行く。

昭和2年のメーデーやストライキにビラの下書きをして、警察に尾行されるようになった。昭和4年11月、特高が銀行まで来るようになったのでとうとう銀行をクビになってしまった。

小説「蟹工船」が評判となり人気の小説家となった。その後、東京の中野に家を借りるが、多喜二は刑務所へ入れられたり、警察をたらいまわしにされたりした。

昭和7年、セキは三吉とともに東京へ出てきて、3人で暮らすようになるが、多喜二は10月に共産党に入党し、逃げ回る生活をしていた。

昭和8年2月20日、多喜二は信用していた仲間の三船に裏切られ、警察につかまり、その日のうちに拷問を受け殺されてしまう。ラジオや新聞は心臓マヒと発表したが、太腿は二倍にも腫れ上がり手指は折られていた。

セキは多喜二の死がなかなか受け入れることが、できなかったが、5年後、嫁いだチマのいる小樽へ帰る。

昭和20年、戦争が終わり「多喜二祭」が開かれるようになった。その「多喜二祭」にチマの通う教会の近藤先生がやってきて話をするようになった。そしてキリストの一生の絵を見せてもらい、ユダの裏切りにより五寸釘を打たれ十字架に礫になった姿や、マリアさまが悲しみ、抱き上げている絵を見る。

セキは葬式はキリスト教でやってほしいと頼む。多喜二は天国にいると言われ天国で会えることを嬉しく思う。

そして、87歳の時、心臓発作で急逝するが、亡くなる日も賛美歌を歌っていたという平安な死であった。

 

【報告者の感想】 信藤 もと子

秋田の方言なまりで語りかけてくる文体なので、まるで多喜二の母が目の前にいるような感じがする。1人の優しい息子を理不尽に殺され、何故、殺されなければならなかったのかと嘆く母親の悲しみが切々と伝わってくる。そして、貧乏な暮らし故に売られてきたタミちゃんと互いに愛し合いながらも、家庭の事情等で二人が結婚できなかったのは、可哀想だなあと思う。

私は何故、三浦綾子が多喜二の母を小説の題材にしたのか、わからなかったが、あとがきを読んで理解した。夫の光世氏に勧められ、しかも多喜二の母が受洗した人であると聞き、資料を調べていくうちに、多喜二の死の惨めさとキリストの死の惨めさに共通の悲しみがあるという思いからであった。

母であるセキは、多喜二の死をなかなか受け入れることができなかったが、キリストの十字架上の痛ましい死を描いた絵をみて、多喜二の死と重ね合わせて考えることができたことで、セキは納得することができ、救われたのだと思う。

セキが晩年、信仰を得て賛美歌を口ずさみながら、亡くなるまで穏やかに過ごすことができ、良かったと思いました。この小説を読み終えてキリスト教作家である三浦綾子氏の人道的な清らかさ、優しさを感じるとともに、あのような暗黒な時代は二度とおこしてはならないと思いました。



【みんなの感想】    記録&文責 安藤 邦男

・多喜二が警察に虐殺されたことは許せないと、当時でも多くの人が言っていたし、実際に手を下した人は物凄く後悔し、実際狂い死にした人もいるほどだ。今日でも反社会的なことを書くと共謀罪に問われるような風潮が兆しはじめていることが心配である。

・多喜二や彼を取り巻く人たちの優しさや明るさは強く印象に残り、いくつかの場面を朗読の対象にしたいと思うほど感動しながら読んだ。

・昔の生活が見事に描かれていた。貧しかった時代だが、それなりに明るく、みな懸命に生きていた。現代は豊か過ぎてかえって大切なことを忘れているのではないか。

・セキがこのように描かれて幸せだと思った。母自身が多喜二の生涯を語るという構成はうまいと思った。多喜二を語ることで実はセキ自身の人間がよく出ている。ただ、あまりに良い人間ばかり描かれすぎているように思う。タキにとって多喜二は恩人以上で恋人未満でなかったろうか。

・多喜二のことをいろいろ学んだ。時代の流れの中で心が犠牲になる理不尽さも感じたが、セキの多喜二への愛情に満ちた親心を強く感じた。セキの愛情の深さを私自身の母の愛情に重ねて読み感動した。今の社会が忘れていることをこの小説は思いださせてくれた。

・方言は効果的ではあるが読みづらかった。多喜二の生きた時代の知識がもう少しあればもっと感動的に読めたと思う。母としての愛情は強く感じるが、全体にキリスト教臭が鼻についた。悪人が出てこないのもやや理想化しすぎではないか。

・東北の貧しさもさることながら、治安維持法時代の国家権力の恐ろしさを感じた。これは現代にもあって、私自身も組合運動をしていたとき、このような権力の圧力を経験した。また多喜二が虐殺されたことには、拷問に屈しなかった彼の意志の強さがあったのではないか。

・作者の言いたかったことは、多喜二の遺体を抱いた母親セキはまさにキリストの遺体を抱いた聖母マリアそのものでないか、そして親切なお巡りさんが凶暴な殺人者に変貌することの中には、人間性の善を悪に変える時代の恐ろしさあるということではないか。



【わたしの感想】   若林 孝之

感想の追加     先日の例会での発言で不十分だったところに、捕捉します。

東北の生き辛さを「生産性の低さ」と表現しましたが,その環境に耐えて生き抜く「東北人の強さ」をこそ強調すべきでした。

官憲の道にはずれたあり方をとりあげました。もちろん、民主警察といわれる今日でも、権力に追従する危険性を、十分に、はらんでいます。

しかし、「昭和」という時代における軍部や政治家の大いなる誤りに重点をおくべきでした。  

安藤邦男さんの指摘されたところですが、語り手のセキが自分の生涯を語るなかで、、多喜二の人物像が造形されていく構成。「合わせ鏡」的効果でしょうか。

セキの詩、よくは分りませんが、わたしは次のように読み取ることにしました。

あーまたこの二月ガ来た                 本当にこの二月という月が

嫌な月、声をいっぱいにして           泣きたい、どこにいても泣く・

泣いても、ラジオで                       少し助かる。

あー涙が出る                                眼鏡が曇る

タミが多喜二と結ばれなかった、タミの心境を分析すべきでした。

タミにとって多喜二は「神」(キリスト)。「男」ではなかった。 

タミに「マグダラのマリア」を連想することは、行き過ぎでしょうか。

タミに罪はないから、ちょっとムリなんでしょうか。



【わたしの感想】  川地 元康


戦前の農村の貧しさ、人権の無い世界の悲惨さが描かれていました。

年端のいかない少女が売られたこと、借金の為たこ部屋に入れられ過酷な労働と折檻が行われたことを、知りました。  

私が東京で沢山の女郎さんが葬られたお寺に行ったとき、説明書きに、華やかな世界の陰で、5,6年経つと、殆どの女郎さんが、花柳病の為悲惨な死を迎えた事が書かれていました、本の中でも売られた少女が病気で亡くなったとあり、可哀そうで仕方がありません。

怪我と弁当は自分持ち、さらに病気もあり、効く薬もありませんでした。今若い人が腹膜炎や肺炎で亡くなる人はいません。戦前の人たちの生きる事の大変さを感じました。  

お金の無い人たちが人間扱いされない世の中で、セキ、多喜二一家のやさしさ、貧しい人々に向けられた優しいまなざし、そして貧しくも仲の良い一家、明るく楽しい生活は、キリスト教の理想の一家として描かれています。

売られていって泣いて暮らすタミちゃんを救い出し、弟にバイオリンを買ってあげ、先生を見つけ、母に人力車に載せてあげたいと思い、兄弟、両親に優しい言葉をかけ、愛しなさいとの教え通りの生活でした。  

人を売ったり買ったりしてはいけないことを教え、貧しさに泣く人々を救うため、自分の命を懸け小説を書きつづけ、友のため命をささげるのが最も尊い愛の行為という、キリスト教の精神を生きた多喜二さんを描いています。キリストの磔の意味と結びつけ、キリスト教の教えを説いた宗教的本の気がしました。  

また多喜二とタミちゃんとの恋の物語でもありました、相手をおもいやるため、かえって気持ちがすれ違い、究極のすれ違いの悲恋に成っていました。  

長い間必死に探し逢えたタミちゃんに、「元気か、勉強しているか、手紙だすからね」と言い、母にため息をつかせた言葉に、私ももう少し愛情の気持ちを素直に言ってほしかったですね。与謝野晶子の(柔肌の熱き血潮に)の歌を思い出しました。  

お互いに自由の身で結ばれたい、との思いと、自分が多喜二にふさわしくないとの思いの、すれ違いが悲恋の原因でした。多喜二がやっと結婚を申し込んだとき、彼には手助けする女性があり、これも最悪のタイミングでしたね。今では考えられない、純愛でした。でも彼女は結局幸せな結婚し、悲劇の中のホットする結末でした。

母セキは聖母マリヤに対比され描かれていました、多喜二がタミちゃんの話をしたとき、彼女は次のように言いました。「女郎と蔑む人もいるが私は親孝行娘だと思う。お前がいい人だと言うなら間違いない。共産党に入党しても、それはいいことだと信じる」。このように、セキは警察に追われている息子を信じ、全てを受け入れたのでした。  

そして多喜二を失った母の嘆きが切々と描かれ心打つものでした。きっとマリヤもそうだと思わせるものでした。セキはすべてを受け入れる母の愛の象徴であるマリヤに擬して描かれていました。 

そして警察や神仏を恨んでいましたが、キリストが自分を殺す人々を許したように、恨みを忘れ、心穏やかに、周りの人たちに感謝をし、天国へ召されたと描かれていました、これも信者の理想でした。

遠い国の違う時代のキリストを描くより、近代の多喜二を描き、貧しき人々を救うため、命をささげ、裏切り者がいたことまで、そっくりな死に方の多喜二でした。今の人達に、キリストの十字架の意味を示した本でした。愛することの大切さ、人は身なり身分財産で差別してはいけないこと、愛のため命を懸ける尊さ、人を許すことの大切さ、小さき者になしたるはキリストになしたること、呪ってはいけない、最後の決着は神がつける、こうしたキリスト教の精神を、多喜二の生涯を描きながら、私たちに解りやすく教えようとした本のような気がしました。   

多喜二の死は無駄にならず、戦後言論の自由、人権の尊重、社会福祉の施行など、改善が進んだことはうれしいことです。

でも、最近の過重残業、派遣社員の人たちの貧困、体が弱い人たち、能力の落ちる人たちに対するいじめなど、昔ほどではなくても、心痛むことがあります。もう一つが、許しの文化が薄いわが国で、死刑制度がむしろ強化されているのも残念でなりません。

 【終わり】