レジメ 宮本輝 『蛍川』   22015年3月9日  報告者   伊藤 いち子    


【『蛍川』発表まで

 S,51,8              同人誌「わが仲間」第8              『蛍川』発表

 S,52,1               同人誌「わが仲間」第9             『舟の家』(泥の河の原形)発表

 S,52,7              「文芸展望」第18                       『泥の河』

 S,52,10            「文芸展望」第19                       『蛍川』  

 これは『舟の家』を『泥の河』に改題し、太宰賞に応募S,52に受賞したため、受賞後第一作として「わが仲間」に掲載の『蛍川』を大幅に加筆修正して「文芸展望」に載せた。その後S,53に芥川賞受賞。 

【第78回(S,53,1月)芥川賞について】

 候補作

中野孝次              鳥屋の日々』

光岡 明     『湿舌』

高橋揆一郎    『日蔭の椅子』 

杉本研士     『蔦の翳り』

寺久保友哉    『火の影』

中村昌義     『出立の冬』

宮本 輝     『螢川』

高城修三     『榧の木祭り』  

【選考委員】

 井上        遠藤 周作       大江 健三郎     瀧井 孝作

 中村 光夫      丹羽 文雄       安岡 章太郎     吉行 淳之介 

【文春ムック 「芥川賞・直木賞150回全記録」より】

 『蛍川』をデビュー作『泥の河』に続いて「地味で古風」と評された宮本輝は「稚拙な己の人生観と文学観の2つのレンズで再び『新しさ』ということを見つめなおすはめ」になったが「若気の至り」と断りながらも「芥川賞を頂戴し、もう一度『蛍川』を読み直してみて、これはこれでなかなか新しい小説ではないか」と自負。選考委員も宮本の叙情性と描写を広く評価し、瀧井孝作は選評で「しまいの蛍の光景は、この世のものとも思えないほど美しい」と述べた。

宮本輝は114回から芥川龍之介賞の選考委員を務める。


【あらすじ】

 昭和37年3月末から初夏にかけての富山にて、14歳の竜夫と戦後一財産築いたものの、その後事業に失敗し、借財が増えていった父重竜66歳と後妻となった母の日々の暮らし。

 その日々の中で、父が脳溢血で入院したり、仲の良かった親友の事故死、同級生への淡い初恋を描いていく。

 最後にある土曜日の夜、竜夫と母・千代、同級生英子と蛍の出る場所へ案内してくれる銀蔵じいさんの四人で蛍を見に行く。

 そしてついに、蛍の大群に出会うことが出来た。それは華麗なおとぎ絵ではなく、(本文より)蛍の大群は、滝壺のそこに寂莫と舞う微生物の屍のように、はかりしれない沈黙と死臭を孕んで光の澱と化し、天空へ天空へと光彩をぼかしながら冷たい火の粉状にになって舞あがっていた。
 

【映 画】

1987221日公開

 キャスト   重竜    三國連太郎

千代    十条幸代

竜夫    坂詰貴之

春枝    奈良岡朋子

大森    大滝秀治

銀蔵    殿山泰司


【感 想】   伊藤 いち子

 前回の『泥の河』の他の人の感想を踏まえて、少し丁寧に読んでみると、やはり情景描写の優れていると思ったし、個々人の風貌や性格がすぐに想像できる。特に重竜のことを「剛毅な野心家ではあったが緻密な事業家ではなかった」という部分が印象的だった。

 読み終わると『泥の河』のような切ない気持ちではなく、蛍の乱舞を見たことでそれぞれのその先の人生が開けていくような気になった。富山の重くて暗い冬の情景が随所に散りばめられ、全体的に死のイメージが漂う陰鬱さで抑制されてきたストーリーから夜だけど明るいシーンは一層美しく感じる。

 重竜がお金で買えない宝物、ここでは大森と春枝という二人の竜夫にまたは竜夫と千代に対する援助や言葉にホッとさせられるものがあった。

 『泥の河』も本作も決して美しい世界ではないのに、随所で魅せられる情景が浮かぶ。 なによりも、素直な少年が持つ人間らしい一面が、ひどく人間臭くていい。


【酒井英行著 宮本輝論 1998年出版】 

 中3の竜夫が垣間見る大人の世界、人生の重み、悲しみを背負い生きる大人たち。

 大人の世界は千代の心理描写、大人の会話を起点に開示される。例えば、前夫との結婚生活や子どもとの別れ、重竜の前妻春枝に対する罪の意識があるが、春枝の事業が繁盛していることで、心の重荷をわずかでも下ろすことが出来た。

 また重竜に対しても15年間連れ添ってきた疲れから絞り出された「もうくたびれてしもうて声もでんがや」はおもちろん忍苦だけではなく重竜との日々の喜怒哀楽、その時その時精一杯生きてきたからこその言葉ではないだろうか。

 蛍川の真の主人公は重竜か、竜夫と重竜の父子物語なのか。重竜は2歳の竜夫を抱いて前妻春枝に会いに行く。擬似家族を演じるのが重竜の春枝への愛情表現といえるだろう。竜夫の成長を願っている重竜の姿は他の大人たち銀蔵や千代によって開示される。また、息子自身が、自分の力で父を乗り越える強さを持たせようとしている。相撲をとっても絶対負けてくれなかった。

 重竜が辰雄に残した財産に春江と大森亀太郎がいる。春枝は竜夫に慈愛の心を注ぎ、成長に手を貸そうとしている。大森は竜夫の知らない父を開示することで、その重竜像は竜夫が成長していく手本となる。

 竜夫は彼らに見守られ人間愛を糧にして人間愛を持った大人へ成長していくのである。

 生と死については、関根の死と英子の生(性)がある。さらに病院で死につつある重竜。竜夫にとっては死というものから目を背けたい、しかし、関根の突然の死で遠いものではなく、自分の中にも潜んでいることを教えられる。

 死を恐れつつも、成長がもたらす生(性)にも突き動かされる。布団の中で英子を思うこと。交尾しながら点滅を繰り返す蛍の大群。次の瞬間には、英子が産む存在と化したかのように見える。

「このドコから雲集してきたのか見当もつかない何万何十万もの蛍たちは、じつはいま英子の体の奥深くから絶え間なく生み出されているもののように竜夫には思われてくるのだった」


【出席者全員の感想】   記録 淸水 悦子

  (言葉遣いは必ずしもこの通りではありません。)

*導入部分がすごい。よっつくらいの話が進行し最後に蛍川が出てくる。「泥の河」では河が全体を貫き、生活している。登場人物が蛍のように希望や願いを持ち生きて行きたいということか。なぜ「蛍川」の題がついたのか。

*描写や心理的なものが風景のみでなくすごい。人間関係がやさしく温かみがある。思いやりや友情、その中での哀しみがある。味のあるいい本。感心した。最後の蛍の描写、充分理解できない所もあるが深いものがある。

*少年から成人になる自然な姿が描かれている。成長を見守る大人の姿。千代の前夫は今のDVか。青春、男同士のほのぼのとした友情、少年の成長していく姿が描かれている。蛍の乱舞は北海道で見たオシンコシンの滝に似ている。

*描写がすごい。裏日本特有の情景を澱ませている。こうした裏日本の情景は温暖な地方育ちの人でないと書けないということを読んだが、その通り。悪人がいない。憎たらしい人は出てこない。助け合う気持ちがある。作者が何を表現しようとしたかという国語の試験に対して、作者はエッセイで、「呆然となった」とあるが、自然に読めばよい。

*いたち川、西町は実際にあり、「幻の光」で曽々木海岸を描いたように富山ならばの作品。描写がよい。「蛍川」は題名がぴったり。春枝を描いたことで作品が生きる。少年の思い、心理が良く描かれている。しかし、「泥の河」の方が好き。

*作者のエッセイのようにそれぞれの感じ方でよい。最後、蛍の乱舞にあう。暗闇の中を歩いてきてあえるかどうか、会えて感動的。描写がすばらしい。小説が売れていない作者の希望や願望か。蛍が英子にまつわりつき体の底から舞い上がる、英子が生む存在と化したのか。その意味は。思春期の心情、父が死ぬ、不安だろう。蛍に出会うことにより千代は決意をしようと思う。蛍は行く末を決めるもの。

*情景描写がよく、光、水で、光の描写は秀逸。表現に魅入られる。「泥の河」に比べエピソードや人物が多く、少年が薄い。大森、春枝に魅かれた。春枝を主人公にしてもよい。思春期はひとつのテーマ。映像に向く表現。13年夏休みの課題図書だったが、優秀作にこの作品は選ばれていない。教養主義は没落か。若い人は理解できないか。青森、秋田では、川は北へ向かって流れる。「泥の河」と違い、なぜ「川」としたのか。

*風景、心理描写の力がすごい。太宰賞は読むうえで魅力的。芥川賞は専門的、形式主義的なものが多く面白くない。「泥の河」に比べ弱い。蛍の乱舞は、屍、死臭の表現を書くために全体を書いたのか。春枝は心に訴える人物。少年と青年の間の心理、自分は死なないと思っている、父危篤を受けて、死とは遠い所の感情を書いている。異質の所の人が書ける。考えさせられた文章。

*「泥の河」と二重写し。相反する。「泥の河」では北陸へ、「蛍川」では大阪へ、川を主題にテーマ、川における死、事故死。「泥の河」では馬車、老人が川へ消える、川で人間の一生が終わる、谷崎潤一郎は松子に奴隷として仕えると手紙を書いたが、結婚したら最後まで奉っていない。こどもは堕胎させた。重竜はこどものために千代と一緒になった。人さまざまである。最後の場面が書きたかったか。書き方がオーバーで、志賀ならば顔をしかめるだろう。「泥の河」と一緒で感覚が優れている。横光利一らの新感覚派と同じように光、臭いが出てくる。「父の臭いが落ちた」の表現は川端ばり。

【感 想】  川地 元康

 悲しくも美しい物語ですね、3人の父親が愛する息子を失っていきました。銀蔵さんと、関根圭太のお父さん、彼は息子の気持ちを知りながら、良かれと思い息子を仕立ての修行に行かせようとして、息子を死に追いやったのではないかと思ったのでしょう。その悲しみは深く、精神に異常をきたすほどでしたね。

 そして重竜、彼は自分が死んでいくことを感じていたのでしょう。子供が自立するまで生きねばならないと思いながら、意志半ば、あきらめなければならない無念と、息子と別れなければならない悲しみが読んでいて痛いほど伝わってきました。父親にとって息子は特別な存在です。娘とは全然違う愛情を感じます。息子が何を考え、喜び、望み、悲しんでいるか、手に取るように分かります。それは自分の分身と言うより、小さい時の自分自身のような気がします。

 千代さんは前の夫と息子と別れ、暮らしの中で感じた虚しさと寂しさ、そこに現れた重竜、彼は裕福で自信にあふれ、逞しく、人望のある魅力的な男だったでしょう。そんな彼に惹かれていった千代さんを誰が非難出来ましょう。

 彼も初めてできた子供のため、奥さんと別れる決心をした事を誰が咎められましょう。二人は心の求めに従い、夫婦になりました。別れた息子のことを忘れてしまうほど充実した生活の中、二人とも前妻の春枝さんにすまないと言う気持ちを持ち続けていた事に、二人の人柄が感じられとてもよかったです。

 春枝さんも、亡き重竜のもとを訪れ、ざまあみイ、罰が当たったと言いながら、重竜の面影の残る竜夫をじっと見つめ、彼の息子に財産を譲りたいという思いが、彼女の重竜への愛の深さと別れた悲しみを感じさせ、とてもよかったと思います。

 竜夫は親友を失い父親を失い、淡い恋心と生活への不安を抱え、好奇心と新しい暮らしへのきっかけにしたかったのでしょうか、好きな英子を誘い、蛍を見に行きました。

 千代も夫と財産を失い、不安の中新しい生活へのきっかけになればと思い、一緒に見に行くことにしました。 

 本文から、蛍の描写が素晴らしく、次に全文を引用します。

 「何万何十万もの蛍火が川の淵で静かにうねっていた。そしてそれは、四人がそれぞれの心に描いていた華麗なおとぎ絵でなかったのである。
 蛍の大群は、滝壺の底に寂莫と舞う微生物の屍のように、はかり知れない沈黙と死臭を孕んで光の澱と化し、天空へ天空へと光彩をぼかしながら冷たい火の粉状になって舞上がっていた。」

 まるで蛍の大群が人の世のように描かれているように感じました。人の世が美しい絵ではなく、死臭漂う儚く脆いものであること、その人生を人々は命を繋ぐため、愛しうねりもがいている様を描いているように感じました。

 短く儚く脆いゆえに、かえってそれは、美しく輝いていると言っているようです。明日をもしれないこの世の中、悲しみ苦しみ愛し合う人たちへの賛歌のように感じました。竜夫、千代には悲しいことが重なりましたが、蛍の乱舞の感動が二人の慰めとなり新しい生活へ乗り出す勇気となったと思いました。              

 重竜、竜夫、関根圭太、関根君のお父さん、千代さん、春枝さん、重竜の友大森さん、それぞれが、その人らしく、人を愛したのが素晴らしく、悲しくも美しい物語になっていると思いました。

 人は自然から大きな感銘と慰めを受けました。不思議ですね、自然にそのような力があることがー。私は夏、新月の時、高原に星を見に行きます。満点の星空を寝転んで見ていると、ふっと宇宙に抱かれている感じがすることがあります。それは不思議な感覚です。まるで自然や宇宙が巨大な意思を持って生きているような、感じがします。

 この宇宙が私たちをどこかに導びいているような感じです。こんなことを感じるのは私だけでしょうか。自然には、その美しさで私たちを感動させ、疲れた心を癒し、明日へ向かわせる不思議な力があります。私たちは宇宙の力の示す方向に導かれているような気がしています。

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