レジメ 井上ひさし『一週間』 報告者 清水悦子 2017.10.9


【あらすじ】

 敗戦で捕虜になり、ソ連で抑留されているわたし、小松修吉の1946年4月上旬一週間を描いた小説。井上ひさしの最後の小説と言われる。

わたしは1904年(M37)7月14日生まれ、山形市郊外の小作農家出身、篤志家の援助を受けて県立山形中学進学、銀行に勤務するも頭取の娘に恋文を送り、解雇。別の篤志家の援助で東京外語大学ロシア語科に進学。河上肇の著作に熱中、京都帝大へ進む。卒業後、東京で共産党機関紙「赤旗」の仕事に従事、32年(S7)治安維持法で逮捕、転向するも心の中では社会主義を信じている。34年(S9)満州へ行き職を転々。40年(S15)満州映画協会で巡回映写班員として北満州一帯を巡りながら共産党にスパイとして潜入していた通称松村Mを探す。

月曜日

コムソモリスク捕虜収容所からハバロフスクの日本新聞社へ、チチコフ極東赤軍政治部少尉に伴われて行く。イワン・イワーノヴィチ・コワレンコ編集長から大橋吾郎二等兵撲殺について聞かれる。

日本人捕虜は60万人。収容所では軍隊の規律がそのまま残り、上官は食べ物を搾取し、仕事もやらないので大橋は上官に抗議した。わたしは捕虜が収容所で死亡したのはソ連軍司令部と収容所の日本人将校によると公言。「ソ連邦のずる賢さが真犯人」と言う。大橋の手帳を遺族に届けることを生涯の事業と決めている。

民話「みなしご」の翻訳をする。認められて出版部を束ねることになる。日本新聞の日本側責任者は村方一太郎元大尉(極東赤軍政治部や国家保安省に弱い。チチコフ少尉やツリコフ中佐のいいなり)、小笠原恵三軍曹活版工場主任、東京放送の聴取をする元教師柳沢賢三、翻訳班の酒井忠志がいる。

日本新聞は収容所の捕虜を教育することが目的だが、ソ連側にわからないように日本の情報を日本人に伝える役割もしている。

東京で非合法活動に従事していた時、酒井はパン工場の職人で、わたしと連絡をとっていた。わたしは上海の映画館で逮捕され拷問を受けた。

料理人のハル・ステゴヴナ・ノーソワ(母親英雄勲章受章)、国立極東大学3年の娘、ソフィア・イワーノヴナ・ノーソワと知り合う。

火曜日

脱走から戻ってきた入江一郎軍医中尉の体験をパンフにして収容所に配布し、脱走防止に役立てるため、記録を書くように言われ、出張して聴取。

12年、大連生まれの入江は、国家を信用できず妻子に会いたくなり、脱走。医師であることが幸いして幾多の困難を乗り越えもう少しで成功する時、1893年にレーニンと知り合いだった老人から、レーニンが老人にあてた手紙を見せられる。手紙の中でレーニンは、「少数民族出身で、少数民族のしあわせを念頭において政治闘争を行う」と、記す。ところが18年、「社会主義の利益は諸民族の利益にまさる」と変質。入江は手紙を捕虜の待遇改善に利用したいと考える。老人と孫娘を助けるため入江は逮捕される。入江は手紙をわたしに託す。

休憩時、満州国元皇帝溥儀に会う。お守り役の武蔵太郎をMと思う。

水曜日

脱走は女性にもてたりして過酷なものではないため、内容を変更して脱走記を書く。脱走記をイワン・イワーノヴィチ・コワレンコ編集長に渡すが、おかしいと言われ書き直すことにする。レーニンの手紙に触れていないことを追及される。レーニンの手紙をソフィアのポケットに入れる。春になったことを告げる土が出てくる。

ハーグ陸戦争法4条、7条には捕虜の待遇等が書いてあることを柳沢に話す。日本新聞はソ連邦全土の日本人捕虜収容所に「友の会」をつくることをすすめているが、呼びかけている新聞社にはない。

ソーニャがレーニンの手紙を恋文と誤解し、返事をくれる。溥儀が東京での証言台に立つことを苦にして自殺未遂。手紙を渡さないので第14捕虜収容所第22分会の営倉に入れられる。

22分会には素人劇団があり、食事当番の口笛の上手な瀬野は「父帰る」を演じる。三原隊長はソ連側と交渉して演劇を上演。溥儀の守り役武蔵太郎はMではなかった。弁護人をするマリア・ワシーリエヴナ法務将校(菊地寛の小説で日本語を勉強)に手紙のありかを追及される。トイレを使用した時、監視していたマトヴェ―エフ衛兵に、わざとトイレにレーニンの手紙を隠したことを聞かせる。営倉を壊して探す。

木曜日

マリア・ワシーリエヴナ法務将校に、東京裁判出席のため東京へ向かう飛行機の中で手紙を渡すと言う。入江は極地オホーツク市の特別重罪収容所に。覚書と手紙を渡すのでソ連検察団の通訳の一人として日本へ帰国させるように編集長に交渉。

ソーニャがお茶を持ってきた時、手紙のありかを訊ねるとスカーフの間に縫い込んだ。ハル母娘は東京へ行くことを希望。

処刑場へ連行され、手紙を渡さないと村方たち6人が処刑されると言われる。渡さないと答えると銃声が起きる。軍人会舘地下独房でオロチ人の看守長から処刑はニセと聞く。

金曜日

ザイツェフ閣下、極東赤軍法務部最高顧問に会う。ハル母娘、酒井、柳沢、武蔵、瀬野、入江の同行を要求。「遊覧飛行」で手紙を出すように言われ、拒否すると男が飛行機から落ちる。落下傘部隊員。ソフィアがレーニンのニセ手紙を見せる。

また、牢獄へ。ハル母娘の家が火事になる。放火か。ふたりは病院へ運ばれるが無事。

土曜日

看守長はソ連から独立したい希望を語る。マリア・ワシーリエヴナ法務将校が性的関係を結んで手紙のありかを聞こうとする。ハル母娘から看守長に伝言があり、手紙はザイツェフ閣下の外套にハルが縫い込んだ。看守長が外套から手紙を取り出すと、春の突風が手紙を吹き飛ばし、散水車の水に打たれて雪と共に千切れて粉々になった。

日曜日

小松は「北シベリア、タイミル半島第三収容所」へ移送となる。



【著者略歴】  wikipediaによる)

1934年11月17日~2010年4月9日。山形県生まれ。

先妻は西舘好子。離婚後、米原昶の次女ユリ(姉は米原万理)と結婚。長女は元こまつ座主宰の井上都、次女はエッセイストの井上あや、三女はこまつ座社長の石川麻矢。

父井上修吉は、実家が薬屋で薬剤師をめざす一方、農地解放運動に関わり、青年共産同盟に加盟していたので3回検挙された。地方劇団「小松座」を主宰。1935年に小松滋の筆名で書いた「H丸傳奇」がサンデー毎日第17回大衆文芸新人賞に入賞。「戦旗」への投稿や配布もしていた。ひさしたち3兄弟は、戸籍上は婚外子。5歳の時、父が検挙時の拷問の影響で脊髄が悪化。脊髄カリエスで死亡。

母は薬屋を経営。旅回りの芸人と同居。義父から虐待を受けストレスから円形脱毛症と吃音症になる。義父に有り金を持ち逃げされる。父の残した蔵書を乱読、「神童」と言われる。母は飯場を経営していた義父の居場所を突き止め、追い出して自身が社長になるもうまくいかず、生活苦で、仙台市にあるカトリック修道会ラ・サール会の孤児院「光が丘天使園」にひさしを預ける。受洗(マリア・ヨゼフ)するも上京後棄教。

学生時代から作家になるまで

50年、仙台第一高校へ孤児院から通学。新聞部。同級生に樋口陽一、一年上に菅原文太がいた。孤児院の神父の推薦で上智大学ドイツ文学科に入学。ドイツ語に興味が持てず、生活費もなく2年間休学して岩手県国立釜石療養所の事務職員になり、56年、上智大学フランス語科に復学。働いて貯めた15万円は赤線通いで、2か月で使い果たす。自身が書いた履歴は虚構あり?


放送作家・劇作家

60年、上智大卒、放送作家として活動、広告代理店勤務の好子と結婚、婿養子。64年から5年間放送の「ひょっこりひょうたん島」。70年から3年間「ネコジャラ市の11人」放送、体制批判と抗議あり。てんぷくトリオのコント台本。劇団「テアトル・エコー」に「日本人のへそ」を書き下ろす。

83年1月、劇団「こまつ座」立ち上げ。第1回は84年4月「頭痛肩こり樋口一葉」。85年12月自殺未遂。86年好子と離婚。86年ユリと再婚。男児をもうける。

日本ペンクラブ会長、世界平和アピール七人委員会委員など歴任。日本芸術院会員。直木賞など多くの文学賞選考委員を務める。谷崎潤一郎賞、朝日賞など受賞歴多数。

週刊金曜日』の創刊に関わり、編集委員を務めたが本多勝一との対立から2年で辞任。但し、その後、和解。15年から、命日の4月9日は吉里吉里忌と呼ばれる。


作家として

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく」がモットー。言葉に関する知識が深い。

遅筆で、「遅筆堂」と名乗るほど、書き下ろし戯曲が公演に間に合わないこともあった。損害は私財で補填。膨大な資料を駆使して書く。戯曲の質は高い評価を受けている。

大江健三郎、筒井康隆と交流あり。


家庭


好子にDV、また好子も反論して暴力をふるった。ユリにはそのようなことはなかった。


政治的発言


2004年、憲法九条を守る「九条の会」の発足時、9人の呼びかけ人の一人となる。

無防備都市宣言を支持。朝日新聞阪神支局襲撃事件で、新聞記者へ暴力に怯まず勇気を持つようにエールを送った。


主な作品 

手鎖心中(72年直木賞受賞) 青葉繁れる 新釈遠野物語 戯作者銘々伝 吉里吉里人 馬喰八十八伝 わが友フロイス 東京セブンローズ 東慶寺花だより 

主な戯曲 


日本人のへそ
 藪原検校 しみじみ日本・乃木大将 小林一茶 化粧 吾輩は漱石である もとの黙阿弥 國語元年 泣き虫なまいき石川啄木 きらめく星座 イヌの仇討 人間合格 父と暮せば 兄おとうと 紙屋町さくらホテル 太鼓たたいて笛吹いて 組曲虐殺 


【報告者の感想】 清水悦子

 膨大な資料を読み込み、1週間という限られた中での独自の小説を書いた手腕に驚く。ユーモアや言葉遊びもあり、井上らしい面目躍如。レーニンの手紙という虚構を生み出し、知恵を武器にソ連という大きな国、機構、権力を相手に闘う。主人公をフランス革命記念日の7月14日生まれとした設定も良い。毎日微妙に変化する土、風、融雪の動きが、春を待ち焦がれるソ連の人々の思いをよく描いている。

 ロシア人は日本語が達者で優秀。書道、漢詩も良く知っており、日本語の美しさ、日本書紀、石川啄木、芥川龍之介、夏目漱石などを、ロシア人を通して読者に知らせる。登場人物は賭け好きなど個性豊かである。

本の構成、組み立ても考えてあり、レーニンの手紙の行方は最後のページに書かれており、最後までわくわくさせる。

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく」という名言を実証している。父親の名は修吉であり、父を偲んだと思われる。

戦争が終わっても旧態然とした日本軍の体質は変わらず、また、日本が戦後、捕虜を帰還させると食料、住宅など困るとしてソ連に留め置かせるようにした事実を入れている。

シベリアでの警護は囚人がしていたことが多く、略奪などもあった。外国では捕虜に対する待遇などについて、指導部が熟知していたが、日本の幹部は知らないため、劣悪な対応を受けた。無知は恐ろしい。五味川純平(1916~1995)の「人間の条件」を思い浮かべる。

修吉はもっと厳しい収容所へ送られたが、機知に富み、きっと生きて日本へ帰り、自身の信ずる道を歩んだと思う。

 

【みんなの感想】  記録&文責 安藤邦男

・エンタテインメントとしても面白い。構成の妙というべきか。資料の調査が完璧だと思った。収容徐を表すラーゲルというロシア語が使われていなかったのが不思議。シベリアへ行った時のことを思って読んだ。

・レーニンの手紙にまつわる事件は面白いが、その重要性の説明がいまひとつであった。日本新聞社の存在についても疑問に思った。資料の扱いがうまいと思った。長編だが最後まで読ませるものを持っていた。

・レーニンは少数民族の出身で、少数民族の救済から出発したのが、後には民族全体の解放という社会主義運動の理想に発展していった。手紙は彼の個人的動機が記されていて、それが知れるとレーニン神話が崩壊する恐れから、政権はその公表を秘密にしようとしたがために、手紙争奪戦が行われたのではないか。

・なかなか骨の折れる長編で、月曜日だけしか読めなかった。そのなかでも、当時の社会での地下活動だとか、捕虜の拷問とか、そん社会は二度とごめんだと思った。

・知らない歴史が多かった。例えば国際法など、日本もソ連も自国に有利になるように解釈していたのかと思った。膨大な資料を駆使してまとめるのは大変だと思った。歴史は勝利者の歴史だと思った。新しい資料だけでなく、古い資料にも親しむことができた。結末は、手紙が風に飛ばされたという不可抗力では、誰にも責任のない終わり方もよかった。辺見じゅん『収容所(ラーゲリ)からきた遺書』を思い出しながら読んだ。

・笑いを伴った悲劇の舞台を見終わったときのような感じを持った。作者がこの小説で言いたかったことは何かと思って読んだ。それは、自分だけ逃れ、満州在住の日本人をすべて見捨てようとした関東軍の実態や、革命の理想が実現されるやいなやそれは歪められてしまうということではなかったか。


【わたしの感想】   川地元康

 楽しく読めました。ユーモアがあり、悲劇的な物語でも深刻にならなく読み終えました。シベリヤ抑留の悲劇でした。

ソ連のひどい扱いで、凍傷と飢えで多くの人が亡くなったと思っていました。それは日本政府と、関東軍の申し込みでなされたことだと初めて知りました。しかも旧軍の組織そのままで作業の命令が行われたことを知りました。そのため兵士はソ連の作業のほか上司の世話もさせられ、将校の食料のピンハネ横流しのため、栄養失調と寒さのため、亡くなったのだと分かりました。

 同胞により殺された兵士は真に可哀そうでした。関東軍の幹部は自分の家族を真っ先に逃がし、旧階級をそのまま残し、兵士の乏しい食料のピンハネ横流しで、たくさんの兵士を死なしたことに、作者は非常に怒っているのが、関東軍の幹部の実名が載っていることからわかりました。

 主人公は日本人には珍しいハッキリ自己主張をする人で、上役でもソ連の将校にも主張をするのにとても好感がもてました。

ハーグ条約に違反していることを知りながら、日本からの申し込みだからと知らぬ顔をしていること、日ソ平和条約を一方的に破ったことを、ずるい卑怯だ、と主張したことや、また女弁護士にソ連は相互監視国家の哀れな国だと言ったことなどに、胸がスーとします。

物語は小さな話がいくつもつづき、読者を引きつけます。哲学者大橋吾郎の聖人みたいな生き方、ヤークト族の悲しい民話、日本人ハルさんの物語、共産党の地下活動でメモは残さない、連絡員は御互いに知らない関係にしておくなど、興味深く読みました。

そして謎の人物M、魯迅、蒋介石、皇帝溥儀、そして入江一郎さんのどう見ても医者と言う立場を目いっぱい利用しての脱出行と、自慢としか思えないもてた話。ドイツ軍がハーグ条約を目いっぱい利用して待遇改善を勝ち取った話、レーニンの生い立ちの話、武蔵太郎がMじゃないかとの話、日本の国名の話と、次々読者をひきつけ興味ある話がつづきました。

そして作者の日本人を見る目の確かさ、日本社会は個性を嫌う、目立つ人間は集団のまとまりを壊すから排斥される、日本人は風向きを気にして生き、風向きにより自分の態度を決める、日本人は死の哲学は有るが生の哲学がない、日本人は既成事実に容易に屈服するなど、作者の日本人を見る目の確かさが感じられました。 

そして物語はレーニンの手紙をめぐる、ソ連の将校との息詰まる駆け引き、脅したり、芝居を打ったり、罠にかけたり、色気で迫ったり、そして主人公の巧みな言い逃れ、のらりくらりと身をかわす、手に汗握る面白い物語に引き込まれました。 

最後は失敗した物語ですが、主人公のユーモア悪知恵、口の達者さできっと生き抜いてくれそうな感じがする物語でした。 

作者は旧軍の兵を奴隷的に酷使できる内務令、そして捕虜を不名誉とした戦術訓、生還率0%の作戦を実行するバカらしい行為を非難し、無駄に死者を出さないため、降伏すべきだった、と主張しているようです。

ソ連の捕虜に対する扱いが条約違反なこと、平和条約を破ったことを非難する傍ら、日本のシベリヤ出兵やソ連が危機になった時軍部ではチャンスと見て戦争を仕掛けるべきと主張する人が多くいたこと、日本政府や関東軍が自ら進んで捕虜になり、兵士を労務に着かせたことも書かれどっちもどっちの悪党だったと、作者が非常に公平に歴史を見ているのが感じられました。 

ソ連の地名が沢山出てきました。地図で調べると、ソ連の広大さが感じられました。そしてソ連の人たちの春を待つ気持ちの強さ、土が表れた時、日光が出た時に何もかもほっぽりだして、外に出ていくことにソ連の気候の厳しさが感じられました。 

そほか食べることが大好きなことなど、作者はソ連を嫌っていなく、むしろ好きなんだと感じました。 

そしてソ連には沢山の少数民族がいることも知りました。国が大きいことはいいことばかりじゃなく、強権を持たないと、国をまとめることが難しいのだと感じました。中国も独裁国家でないと国をまとめられないと感じました。最近のロシアの強権的手法が分った気がします。 

そしてソ連がレーニンを神とするレーニン教の国と言った作者の慧眼に感心しました。 

そして捕虜が働いたのはシベリヤばかりでなく、割合気候の良い所にもいたこと、鬼のような上官ばかりでなく部下を労わった人もいたこと、割合食料が豊富に食べられたところもあり、ソ連の将校に意見をハッキリ主張した人もいて、少しほっとした箇所もあり、日本人も捨てたもので無いと感じ、救いになっていました。

                    【終わり】