宮本 輝『錦繍』報告者 清水悦子 2016.6.13


【あらすじ】

かって夫婦だった35歳の勝沼亜紀と37歳の有馬靖明は離婚後、10年ぶりに蔵王のダリア園からドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で会う。

 亜紀が1月16日付で靖明に手紙を書き、11月18日付で最後の手紙を書くまで14通が交わされ、離婚に至ったいきさつ、現在の様子などが書かれる。

 亜紀にとって離婚は「別れたくないのにむりやり船に乗せられて岸壁を離れて行った」ものであり、勝沼壮一郎と「行きたくもないのに知らぬ間に船に乗ってしまった」と再婚した。

 8歳になる息子清高は脳性マヒで下半身が不自由、知的にも遅れがある。

 靖明は瀬尾由加子というクラブのホステスとつきあい、彼女の起こした無理心中で瀕死のけがをしてそれが原因で離婚した。

 両親を亡くした靖明は中学2年の時、大阪から舞鶴に住む母方の親戚に引き取られ、同級生の由加子に魅かれる。その後、大阪へ戻るが一時文通する。

 亜紀と結婚し亜紀の父の経営する建設会社へ就職し、出張で舞鶴へ行く。帰途、由加子宅を訪れ、デパートに勤めていることを知る。デパートで会い、クラブへ勤めが変わった由加子を訪れ、男女の仲となる。

 亜紀は無理心中の経過を知る。靖明と離婚後、喫茶店「モーツァルト」で、店主の勧める39番41番を中心に聴く。店主と話していて「哀しみと喜びの二つの共存を言葉を使わずに人間に教えることが出来た、それらを妙なる音楽という、言葉では説明出来ない調べに包んで、いとも簡単に、しかも人をここちよくさせながら表現出来たということがモーツァルトの奇蹟」と思いながら、「生きていることと死んでいることはもしかしたら同じかもしれない。そんな大きな不思議なものをモーツァルトの優しい音楽は表現しているような気がした」と言う。店主は「そんな生命の不思議なからくりをモーツァルトの音楽は奏でている」という。

 その後、「モーツァルト」が焼失。壮一郎は「モーツァルト」店主の甥である。

 靖明は重体時、自分が自分を見つめている体験をする。蔵王で猫に食べられる鼠を見る。


 靖明と同棲中のスーパーレジをしている令子は、生まれつき左手小指が4本しかない祖母から「5人の男子を産んだが4人が戦死した。戦争に駆り出した偉い人たちは今度生まれて来る時は人間ではなく人から疎んじられる生き物になる。人間に産まれても不幸で短命な人生を送る。この世で会えるのは3人で、自死した賢介とは会えない。命を奪う事、自死も一番恐ろしいことである」と聞く。

 令子は自死した子を最も愛しく不憫と考えていたのでは、と思う。靖明は無理心中された旅館へ行き、一晩過ごす。

令子は靖明が振り出した約束手形98万6千円を暴力団員に払う。亜紀からの手紙を読み、「あんたの奥さんやった人を好きや」と言う。美容院のPR紙発行を持ちかけられ、気がすすまないながらも働きだした靖明は次第に生きる力を取り戻していく。

 壮一郎には教え子との間に3歳になる女の子がいることがわかり、亜紀も離婚をして、「みらい」と書いた清高と生きて行くことを決意する。


【作者のことば】(「波」1982年3月号・水上勉との対談から)

「芥川賞受賞後、秋、友人と蔵王へ行った。その1年前から体調を崩し喀血もした。ダリア園で、満天の星を見た。死を思った。その時、小説の1行目が浮かんだ。宇宙と自分がどこかで繋がっている。芸術だけでなく一切の文化は今後ふたつの方向に分かれてゆくと漠然と考えている。一つは希望。もうひとつは虚無。宗教への志向と無宗教。結核でたくさんの人との出会いと別れを経験、人間の求めているものは希望、夢、幸福である。向上してゆこうとしている人間、生きてゆこうとしている人間を書きたい。
「舞鶴を歩いたことはない。駅のホームから見て自分の精神風土と共通するものを感じた。」
「一番苦労したのはモーツァルトの焼失場面。」
「小説は「物語」である。」

【作者の略歴】(作者のホームページおよび『PHP』85年10月号等から)


1947年神戸市生まれ。本名宮本正仁。父の仕事で愛媛、大阪、富山、大阪に住む。

・中学生のころ、父は他の女生と生活。両親の喧嘩により母はアルコール依存症、自殺未遂。その後、父は脳梗塞になり暴れて転院が続き、最後は精神病院で死亡。

72年10月、「得体の知れない奇妙な病気(パニック障害)になった」ことで創価学会に入信。母が学会員。学会文芸部の池上義一が経営する理美容院向けの小さなPR紙発行社で雇ってもらい文章もみてもらう。ペンネームも池上がつける。入信後、作家をめざす。「骸骨ビルの庭」のオーナー阿部は池田大作と言われる。

・78年「蛍川」で芥川賞受賞。その後、結核で2年間療養

・82年「錦繍」発行


【報告者の感想】  清水 悦子

わたしにとっては「泥の河」「幻の光」と共に宮本輝3大名作の一作。題名が、ふたりが再会した蔵王の紅葉が見事という点でも、かわした手紙で錦を織るように互いの理解を深めたことからもぴったりである。

 文章も上手で物語性がある。ぐいぐいと引き込まれる。実際にはあり得ない話をあたかもあるかのように書く手腕がすごい。

 じっくりと内容を書くという手紙の持つ効果がうまく使われている。丁寧なもの言い、文章はふたりが教養や知性があることを現している。

 モーツァルトの音楽が効果的に使われており、その影響で39番、40番、41番を何度も聴き演奏会にも行った。

小説の跡を辿り、蔵王へ旅行した。神戸で、「モーツァルト」という名前の喫茶店に入ったが、チェーン店だった。

「生きていることと死んでいることは同じ」は、作者の療養体験からか。

 令子は靖明の救世主。汗を流して働く中で靖明は回復していく。美人でなく黙々と靖明に従っていたかのような令子が生き生きと働き靖明に生をもたらしていく。亜紀の手紙を読み「この人好き」という場面は胸を打つ。

 最後に39番を聴きながら手紙を閉じるのも良い。事件の起きた旅館で一晩過ごすのも、過去を考え自身に決着をつけるために必要。再生の物語である。

 疑問点として、壮一郎を愛していないのになぜ結婚したのか。靖明は亜紀を愛して結婚したがなぜ由加子と男女の仲になったのか、ふたりの孤独性が結びついたのか、靖明はいわゆるもてる男と思われるが、男の浮気性という説明だけでは不十分。由加子の虚しさ、寂しさをもっと描けばいっそう深みが出たのでは。


【みんなの感想】 出席者全員(順不同)   記録 安藤邦男

・清水さんの感想と同じように感じた。「生きていることと死んでいることが同じ」というのは言葉としてはわかるが、実感できない。また父親の娘への愛情がよく書かれていると思う。玲子の生き方が好き。

・書簡文による小説を初めて読んだ。女性の愛はわかるが、男性の愛は浮気のようで、よくわからなかった。

・報告者の感想を勉強させてもらった。生と死が同じだというモーツアルトの音楽の深さを改めて感じた。また、猫がネズミを捕って食べる描写は残酷で嫌だった。

・ストーリーの展開がうまい。自分の読み方は最初を読んでから最後を読み、それから真ん中を読むことにしている。書き出しが見事だ。厳格な父親も浮気するという描写には抵抗がある。二人の元夫婦に配するに玲子なる女性の意味が大きい。

・業という言葉が出てくるが、宿命的な個性だと思う。もし何々だったらと、自分の人生を振り返るのは止めたがいい。未来へ向かって進んだほうがいい。結末は希望が見えて読後感が良かった。亜紀は少々主体がないと思った。

・元夫婦の手紙による愛の交換という物語で、思い出す自分の過去がある。手紙は美しい過去を思い出させる。過去を大事にしたいということに気付かせる小説である。作者が創価学会だということがこの小説の底流にあるように思う。

・受け入れがたいことが二つある。猫がネズミを食う話と、生きていることは死んでることと同じという禅問答である。これまで読んだ宮本輝の世界がここにもある。

・作者の経歴を知ると、作品に実体験が反映されている。おそらく自分の臨死体験が生と死が同じだという思わせたのではないか。業をいう言葉で男のサガを免罪している気がする。手紙形式が効果を上げている。読者は他人の手紙を盗み見る感じを持つのではないか。

・題名の錦繍が紅葉で始まり紅葉で終わる構成にピッタリである。内容を読んで三つのことを感じた。一つは生と死という臨死体験のこと。次は障碍者の問題で、母親は障害児を持って成長していくということ。そしてモーツアルトを上手に使っていること。

・問題点として、女主人は障碍者を持っているという以外には生活の苦労を知らないお嬢さん育ちであることが少々物足りない。

・手紙の文体が男女で違うはずだが、同じようなスタイルで書かれているのが少々気になる。



【わたしの感想】   川路 元康

 亜紀さんが心を残したまま離婚し、偶然、夫だった靖明さんに会い手紙を書いた事から小説が始まりました。

 二人の手紙だけの小説は始めてですが、でも二人が如何して離婚して現在に至るかがよく解りました。

 亜紀さんがモーツアルトを聞いて美しさの中に悲しみが有るのを感じ、悲しさと美しさは同じだと感じ、それなら生の中に死が潜んでおり、生と死は同じことだと、女性らしく直観したみたいです。

 其れを読んだ靖明さんが、臨死体験で感じた、死に行く自分を違う所で見つめる私を感じ、それが命そのものだと感じたようです。そしてその命には、自分のなした善と悪がまとわりついていると感じたようです。それは霊魂ではなく、命そのもので、肉体が滅んでも、宇宙の中に溶け込み存在しつづけると思ったようです。それは、自分のなした善と悪をひきずっており、これが私に果てしない苦悩をもたらすと感じ、自分は生まれ変わらなければならない、と思ったみたいです。

 本文から抜粋します。「この命にまとわりついたものは、己のすべての行為と心に抱いた恨み、怒り、慈しみ、愚かさの結晶が命そのものにくっきりと刻み込まれ、決して消える事のない烙印と化し、死の世界に移行した私を打擲していたのではあるまいか」

 これが業とつながっているのではないか、これは作者の思想なのだと思いました。どちらかと言うと、仏教の因果応報、輪廻転生に通じるものがある気がしました。

 玲子の祖母の話に出てくるおばあちゃんの
4人の子供の話、「又この世で会えると信じている事、例え自分の命でも生命を奪ったものは人間に生まれ変われない」、これは輪廻転生、因果応報を示している気がします。

 私は因果応報にはいやな思い出が有ります。障害を抱えた子のお母さんが義母から、「この子が生まれたのはお前の生前の行いが悪かったのだ」と言われ、泣いていたのが忘れられません。悲しむ人をさらに苦しませるそのような考えは、間違っていると、その時思いました。

 愛する人には又必ず会えると考えるのは、悲しみが和らぎ、何の不都合もありません。私もそう信じたいです。

 物語は、靖明が事業の失敗に自信を失っていたのを玲子が献身的に支え、新しい事業を考え、彼に手伝わせ、未来に向け歩き出し、希望の持てるものになっています。事業が上手く行くと、男は仕事が楽しいものになっていきます。そうなって今度こそ献身的な玲子さんを幸せにしてほしいと願わずにおれません。

 亜紀さんは手紙を貰ってから、靖明を失ったのも、夫の浮気も、障害の有る子を産んだのも自分の業として受け入れたようです。人を恨むより、その方が好いと考えたような気がします。夫の勝沼に女がいるのは、私のせいと考え、勝沼は悪い人では無いけど好きに成れませんでしたと、亜紀さんは書きました。此の世の不思議の一つです。

 私が見て、誠実で真面目、優しくて、いい亭主になりそうだと紹介しても、拒否されることが多く、反対に私が見て危険な、うそつきの男に魅かれてく女性が多いようです。

 最近になって、女性は、誠実、優しさも必用だけど、世の中を生き抜くのには、嘘や、ずるがしこさが必用と、女性は本能的に感じている気がします。それでなければ、怪しい男に惹かれていく訳が分かりません。

 亜紀さんも靖明さんもお互いにまだ未練が有り、もう少し時間をかけて、冷静になってから話会えば良かった気がしました。

 私の娘も、夫と喧嘩して帰ってきたとき、いつも言っているのは、「神様に誓ったでしょ、健やかなる時も病める時も一生添い遂げると」ということです。

 一回の間違いで、それを許さないのは少し、結論が早すぎた気がします。亜紀さんのお父さんは事業家だから、いつもの癖で即結論を出し、即実行するというビジネスのように決めてしまいましたね。

 亜紀さんは障害の有る子供を抱えたけれど幸い裕福な家に生まれ、障害の有る子供ゆえ子供に絶対必要とされ、障害が有るゆえに余計その子への愛情を強く感じ、お互いに生きる支えとなって、生きて行かれる気がしました。

 私は輪廻転生を信じていません。人生は一度限りと思いたいです。そのほうが一度きりの人生に愛おしさが感じられるからです。因果応報も嫌いです。この世で不幸な人は前世で悪い事をした人だと、思ってはいけない気がします。

 亜紀のお父さんの恋人話が面白かったです。厳めしいお父さんが女性を前に緊張して役に立たず情けない思いをしたのが好きです。

 私が初めて女性と関係を持とうとしたとき、できなかったのを思い出しました。その情けなさが身に沁みます。私はその後、年上の人に助けられましたが、こんな話を靖明に話す所を見ると、彼は娘婿が好きで信頼していたと思われます。彼は娘婿を失うと同時に自分の相棒を失ったようです。

 由加子さん、こんな子もよくいます。学生時代から浮名を流しますが、でも意外に彼女は生真面目で、靖明に惚れていたようです。事業の成功より彼の愛が欲しかったようです。彼は読み違いをして別れようと思ったのが、彼女に感づかれたようですね。水商売に徹しきれなかった彼女は可哀そうでしたね。どうか彼女と妻を傷つけたのを忘れないで、今度は玲子さんを幸せにして欲しいと思いました。
    
                      終わり