有吉佐和子『恍惚の人』 報告者 信藤もと子   2015.1214                                

【あらすじ】

 立花昭子は夫の信利と息子の敏と三人で暮らし、同じ敷地内の離れに夫の両親が住んでいる。共働きの昭子が仕事を終えた帰り道、雪の中、傘もささず、血相をかえ、足早に歩く舅の姿に驚く。

  夜、舅が婆さんが起きてくれないから、お腹が空いてたまらないとやってくる。昭子が離れに行くと、姑は玄関先で倒れて亡くなっていた。 

慌しく、葬儀の準備が始まるが、舅は亡くなったことがわからない。「婆さんはいつまで寝てる気ですかなあ」といって恍惚として夢をみているようである。そして、自分の子供である信利や娘の京子の顔がわからず、「あなたは、どなたでしたかな」という。昭子と敏だけは、わかるのである。

京子に舅を頼んで、昭子は職場にでかけるが、弁護士二人や同僚の事務員から、呆けたり寝たきりになっている老人の話を聞く。帰宅すると、京子と舅の姿が見当たらない。夕方、舅だけが帰ってくる。随分たってから京子が髪をふり乱し帰ってくる。婆さんを迎えに行くといってでかけたが、歩き方が早く、とても追いつけなかったという。

京子が帰った後、84歳の高齢の呆けた老人をどうするのか悩む。真夜中に獣のうなり声を聞いた気がして目を覚ますと、舅が悲鳴をあげ戸を叩いていた。小便だというのでしかたなく庭で用を足たせる。

近所のお婆さんが舅を敬老会館へつれていったり、離れにあがりこんで夫婦気取りでめんどうをみてくれるので、助かっていたが、あんなもうろく爺の面倒はみきれないといわれてしまう。

信利は飲んで帰宅した晩、庭先で昭子が舅を抱えて排尿させている所を見る。「すまんな、いっも」という。この言葉は昭子の苛立ちを解消させたが、その夜、舅が昭子の布団の上に乗ってきて暴漢が入ってきた、警察を呼んでくださいという。

昭子はこのままでは身がもたないと思い、老人ホームについて、いろいろと調べようと思う。別の敬老会館を見学して帰宅すると、舅と敏がいない。舅は暴漢が来たといって、家を飛び出したらしく、タクシーで追いかけてようやく連れ戻す。

信利が会社の診療所で老人性痴呆といわれ、鎮静剤を処方してもらう。薬が効いてその夜、舅は一度も起きなかった。しかし、舅は失禁していた。あわてて病人用オムツを購入し、あてがうようにした。

二ケ月近くたった頃、また舅が夜中に起きだすようになり、食べたり、失禁したりする。ある夜、仏壇の姑の骨を食べていた。翌朝、舅が玄関を飛び出していない。警察に依頼する。舅がパトカーに乗せられ、帰ってくる。昭子が事務所に電話をすると、先生が福祉事務所の老人福祉指導主事に相談するといいというので、連絡し老人ホームについて聞くが、満員でしかも徘徊老人は入所が困難と言われる。幻覚で歩き回るなら、精神病で精神病院しか施設はないといわれる。

舅を入浴させているとき、突然、電話がかかり、親しい友人がガンで死ぬらしいといわれる。あわてて、風呂場に戻ると、舅が風呂桶で溺れかかっていた。急いで抱え上げ人工呼吸をして、医者をよんだがその夜、舅は39度を越す熱をだした。急性肺炎を起こしていた。4日目に熱が下がり、奇跡的に持ち直したが、めっきりと痩せ、言葉も少なくなり、あまり歩かない。髪も真っ白になってしまった。そして可愛い笑顔をみせるようになった。すっかり子供に還っているのだ。舅は、物静かで前よりずっと手がかからなくなっていた。

が、ある日の未明、昭子は悪臭に気づいて目をさます。舅が便を右手で畳に塗りたくっていた。布団の中には、外れたおむつカバーがあった。畳をタワシで洗いながら人格欠損のことを考えた。

秋晴れの午後、舅がまた、いなくなり、警察に連絡すると、ある交番で保護されていることがわかった。発見されたときは、息もたえだえだったらしい。随分、弱っているから病院で看護したほうがいいと、医者にいわれる。

明日の入院の準備をしているとき、舅が急変する。脈がない。医者がきて、臨終を告げる。昭子は率先して舅の湯潅をして、死者を清めた。昭子は呆れるほど通夜を手順よくはこんでいる。夜更けて、昭子ひとり、仏の枕辺に付き添う。目からは涙がふきこぼれた。

【有吉佐和子について】 

1931年(昭和6年)1月20日生まれ。和歌山市出身。小説家、劇作家、演出家。日本の歴史や古典芸能から現代の社会問題まで広いテーマをカバーし、多くのベストセラー小説を発表した。カトリック教徒で、洗礼を受けている。

1959年、自らの家系をモデルとした「紀ノ川」で小説家としての地位を確立した。

1962年、神彰(興行師)と結婚。長女の有吉玉青をもうけるが、夫の事業の失敗により

1964年に離婚。

1970年代に入ると「恍惚の人」や「複合汚染」が大きな反響をよび「社会派」的イメージが定着した。

1984年8月30日未明、急性心不全のため、53歳で死去。

長州人エリートを父方に、紀州の名家を母方にもつお嬢様で、幼い頃から病弱であり、学校は休みがちで、家で蔵書を乱読した。理知的で頭の回転が速く、ものおじしない一方、喜怒哀楽と感情の起伏が激しかった。交友関係は広く、劇作家・演出家として、水谷八重子、山田五十鈴、草笛光子、司葉子など深い交流があった。


主な作品】

 テーマ別に大きく分類すると、以下のとおりになる。

・古典婁能や花柳界を扱った作品

「断弦」「香華」「連舞」「乱舞」「一の糸」「芝桜」「木瓜の花」

・歴史に題材を扱った作品

「助左衛門四代記」「華岡青洲の妻」「出雲のお園」「真砂屋お峰」「和宮様御留」

・女の一生を流れる川にオーバーラップさせる「川もの」

「紀ノ川」「有田川」「日高川」「鬼怒川」

・現代の社会矛盾に鋭い目を向けた作品

「私は忘れない」「海暗」「非色」「恍惚の人」「複合汚染」

・現代人の人間関係の機微をテーマにした作品

「三婆」「不信のとき」「夕陽ヵ丘三号館」「悪女について」「開幕ベルは華やかに」 

【受賞歴】

・1957年「石の庭」(テレビドラマ脚本)で第12回芸術祭テレビ部門奨励賞

・1958年「ほむら」(新作義太夫の作詞)で第13回芸術祭文部大臣賞

・1963年「香華」で第1回婦人公論読者賞、第10回小説新潮賞

・1964年「香華」で第1回マドモアゼル読者賞

・1967年「華岡青洲の妻」で第6回女流文学賞

・1967年「赤猪子」(赤い子、舞踊劇脚本)で芸術祭文部大臣賞

・1968年「海暗」で第29回文芸春秋読者賞

・1968年「出雲の阿国」で第6回婦人公論読者賞

・1970年「出雲の阿国」で第2回日本文学大賞、第20回芸術選奨文部大臣賞

・1979年「和宮様御留」で第20回毎日芸術賞

 

【報告者の感想】  信藤 もと子

有吉佐和子先生は凄いと思いました。老人間題に着目して昭和47年に発行されていますが、当時大ベストセラーだったと聞いています。昭和47年、私は高校3年で、この小説の敏と同じ年齢です。だから、呆けた老人の話は、まるで人ごとでしたので、興味がありませんでした。しかし、60歳になり、老化してきていることを実感し、老後の不安も感じており、人ごとではありません。今回、小説の展開をはらはらしながら読みました。.

昭子さんと舅との関係がだんだん変わっていく描写がドラマのように浮かんできます。嫁の立場での感情や思いは、女流作家ならではの表現でとても共感できました。

 昭子さんのようなお嫁さんに最後まで看取ってもらい、舅の茂三は幸せだったと思います。

今日では当時と比べてますます高齢化が進み、親と同居する世帯が少なくなり、老人間題は、深刻化しています。介護保険制度ができ、老人ホームなど施設も増えましたが、老老介護や、独居老人も多く、若い世代に介護してもらえる人は少ないと思います。昭子さんのようなお嫁さんは、めずらしいでしょうね。

お葬式についても昭子さんは舅の体を湯潅して清めます。すごいですね。まるで自分の子供を洗うように。舅の無邪気で神々しい笑顔をみて、いままでの苦労も忘れたかのようです。昭和47年当時は、自宅で死者の湯かんをしていたのでしょうか? 私は経験がなく、葬儀屋が行うと思っていました。弔い方も時代によって、変わってきていると思いました。

介護と仕事の両立で悩み苦しんでいた昭子さんは、舅の死で再び共働きの生活に戻りますが、最近では介護離職をする若い世代が増えてきたようです。在宅介護サービスの充実が急務です。敬老会館で囲碁を打ちながらぽっくり急死する場面も印象的でした。まわりの老人たちが悲しむより、あやかりたい、あのようにぽっくりと死にたいというのです。確かに寝たきりや呆けたりして、長生きするのは、つらいですね。


【みんなの感想】   記録  岡本恵子

  信藤さんのまとめが大変素晴らしかった。若い人の目、中年の人の目、老年の人の目線で書かれている。自分自身の行く末を思う気持ちになった。

  47年発行当時母が読んでいて娘の私に言った言葉は「普通にしていた事だから読んでもそんなに面白くなかった」だった。私は今自分で読んでみて自身すごくこわいと感じた。嫁ができすぎ、孫が良い子すぎる。昭子が仕事をしながら介護を続けたのは良い事だと思った。

  嫁、息子、孫の立場が書かれていた。自分の親の介護を妻と二人でした大変さを思い出した。本の中で最後は天使のようになっていく親の様子に共感を覚えた。作者は、女性をよく理解していると思った。

  若い頃に読んだ時はスラーと読んだ。作者は時代の先見性があるなと思った。主人公の昭子が共働きであったのが小説としてよかった。素晴らしい作家だと思った。53歳で亡くなってしまいおしいと思った。  

  この作品を読めて良かった。通夜、葬儀の様子が克明に書かれていて、その時代を懐かしく思った。田舎、都会の通夜、葬儀の違い、自分の人生の行く末の前に悪魔が待ち構えているという事を知る。昭子の物事のおもい方や、やさしさを素晴らしいと感じた。

  認知症に対して先見性のある本、自分の行く末を感じる思いで読んだ。最後天使のようになっていく姿にほっとした。 

  眼力(見据える、見通す)と手腕。

  姑の突然の死からボケてしまった舅を受け入れて自分たちの日々の生活が一変してしまう混乱が書かれている。社会でもまだ痴呆症という問題が多く語られていない時代を直視し、親の問題から自分たち夫婦の将来を不安に思いながら精一杯対応していく様が書かれていた。嫁の孤軍奮闘ぶりに頭がさがる思いがした。



【わたしの感想】   川地 元康

私がこの有名な小説を知ったのは30台の半ばでした。同僚に読んだ方がいいと勧められましたが、小説を普段読まない私はその時読みませんでした。あの時読んでおれば、実際自分の身の上に小説と同じことが起こった時、慌てなくて済んだのにと残念に思いました。

この小説には老人看護の大変さがのっています。老人には突然死がやって来ること、体や精神が衰える時がやって来て看護が必要になること、その時如何に大変か、教えてくれます。作者は実際看護をされたことがあったのではないかと思うほど、物語は正確によくできています。女性らしく、台詞、気持ち、心理、動作が細かくよく表現されていて感心しました。

私と妻は、母が脳こうそくで倒れてから、母と同居し生活を共にしました。最初は母の頑固で頑なな性格で妻といがみあい、会社から帰ると妻と母から愚痴を毎日聞くのが日課でした。夫は家庭内のことには無力です。

信利さんが昭子さんの愚痴に何も応えてやれないのがよくわかります。夫はその力の大部分が仕事に向いており、家庭はただ休みに帰るだけの場合が多く、家庭は女性のものです。掃除、洗濯、食事、子供の世話、看護など、女性の力の大さにただ脱帽です。

母が失禁した時のショック、行方不明なった時のショック、夜中に騒ぎ出した時のショック、部屋中がうんこだらけになった時のショック、これがいつまで続くかわからない不安。私たちも福祉課の人に相談しました。入れる施設が無いと言われたショック、茫然としてあたふたしたことは本に書いてあったこととまったく同じでした。覚悟を決め、布団にビニールを引き、おむつをして寝かしたこと、部屋にもやはりビニールを引き、つなぎの服を着せ、おむつの中に手が入らないようにして寝かしたこと、休みの日には出来るだけおしめを変え、お風呂に入れ、妻の負担を軽くしようとしたことを思い出しました。

本に書いてある通り何かあるたび、風邪をひいたり、肺炎を起こしたり、胃腸炎をおこしたり、骨折したりすると、その都度階段を下りるように体の機能が失われていきました。最後は全く喋らなくなり、ただにっこりするだけになりました。

本のように、いがみあっていた二人はいつの間に仲直りが出来たようで、ほんとによかったと思いました。これも本と同じでした。最後のほうは、ほとんど入院したままでした。ただ出来るだけ病院に置いてもらいたく、手術、高栄養の点滴、のどの切開など断りにくく、治療を受け、ただいっときでも長く生きられるようにとの医師の勧めで、すでに意識が無いまま、数か月生かされたのが無意味な気がして、いまだに残念な気がしています。

茂造さんの恋の顛末が楽しく読めました。門谷さんのお婆ちゃんがかわいらしく描かれていました。お婆ちゃんの繁造さんと別れた理由が、いかにも恋に憧れながら、現実的な女性らしく、また周りの人たちの噂を気にする女性らしさが見事に描かれていました。

私がよく顔を出す老人クラブでも、伴侶を亡くされた方たちの恋愛が盛んです。まるで新婚のように仲むつましく寄り添って話をされたり、デートに行かれたりしています。でもどんなに仲むつましいカップルも、片方の病気でお別れが来ます。夫を看取ったおばあさんでも、新しい恋人の看病をしようとする人はいませんでした。これが長年苦楽を共にした夫婦と新しい恋人との差だと、思いました。作者は女性をよく知っていると感心しました。

両親を見送った私たちは、看護の方は卒業した気がしますが、これからは自分が老人側に回ることになります。本にあるように突然急死する恐れがあること、これは子供たちに言いたいこと、頼みたいことを日ごろから書いてしまっておいた方がいい気がしました。さっそく実行したいと思います。

自分が看護されなければならなくなったとき、子供たちに迷惑を掛けることをどう思うかです。私は出来るだけ子供たちには、私たちのような苦労を掛けたくないと思い、老人ホームに入りたいと思っています。でも妻は子供たちの世話になりたいと思っています。話し合うといつも、どちらかが倒れたら片方が看護しよう、一人になったら、お互い好きなようにしましょう、と言っています。そして二人が一致しているのが、自分で食事が出来なくなったら、延命の処置は拒否しようということです。これは子供たちに頼んであります。

家庭のことには、夫は無力です。子供の世話、掃除、洗濯、食事、そして看護、奥さんの偉大さに、ただ頭が下がります、看護をされている人、これから看護される人に、本にある通り必ず終わる時が来ます、やり遂げた満足と、そして夫とこの世を去ってゆく人の深い感謝の気持ちを受ける時がやってきます、健闘をお祈りします。