大岡昇平  「野火」   報告者 大畠啓三  2015/10/12

【略 歴】

 明治42(1909) 生まれ

 昭和7(1932) 京大仏文卒 卒論ジイドの「贋金づくり」

           23歳 徴兵延期のため言語学科入学 第二次徴兵検査 第二乙

 昭和13年 日仏合弁 帝国酸素 翻訳係として入社

 昭和14年 アランの「スタンダール論」翻訳

 昭和18年 川崎重工業入社

 3昭和19(1944)  35

      3月 教育召集を受け近衛歩兵第一連隊に入隊

      5月 バルザツクの「スタンダール論」の翻訳刊行

      6月 教育召集解除と同時に臨時召集され, フィリピンに送られることになる

      7 2日 門司発  15日マニラ着

          30日ミンドロ島サンホセ着 西矢中隊サンホセ警備

      1215日 米軍サンホセ上陸 山中に退避

昭和20(1945) 36

       124日 露営地を米軍に襲われ 翌日俘虜となり レイテ島収容所に送られる

      1210日頃 復員

昭和21年「俘虜記」執筆

昭和22年「恋愛論」訳了

昭和23年 「俘虜記」発表 野火1 発表

昭和24年 「鶏と塩と」(野火2)  昭和27年「野火」刊行 (読売文学賞)

昭和34年 「野火」映画化 市川崑監督

昭和42年 1月から 中央公論に「レイテ戦記」連載 447月完結



【あらすじ】  39の章からなる

 1 出発 5日分の食糧をもらい病院へ, 3日後に退院して中隊へ戻る, 再び追い出される

 2 道  中隊から病院へ向かう 未知の林の中を通るコースを選ぶ 死を予感

 3 野火 一条の黒い煙をみる 比島人に会うが芋を探すからと言って逃げられる

 4 坐せる者など 病院に到達 退院し動けない者が坐してかたまっている 安田に会う

 5 紫 日が暮れ, 病兵はそれぞれの食糧を出して食べる マラリア患者の兵士に会う

 6 夜 安田と若い兵士(永松)の会話 深夜芋を盗みに病院に入った兵士がたたき出される

 7 砲声 偵察機の砲撃が始まり危険を感じて軍医や衛生兵が逃げる 私も歩き出す

 8  川 幾日か幾夜歩く さまよい込んだ丘陵地帯 川にそって歩く

 9 月 さらに幾夜 椰子の林を通る 中隊を出たときの三日月が満月に 

10 鶏鳴 さらに二日後 鶏の鳴き声 シャベルの跡 一軒の小屋と比島人の畠発見 

11 楽園の思想 飽満の幾日を過ごす

12 象徴 ピサヤの海やセブ島がみえる丘から 遠くに教会の十字架を見つける 村か

13 夢 夢の中で教会へ 自分の生きている遺骸をみつける De profundisclamavit

    目が覚めて銃をもって村へ向いて歩く

14 降路 夜明けに出発したことに気づく 近代心理学の「贋の追想」

15 命 村へと続く木の橋を渡る

16 犬 一軒の家に入る チョコレートの箱など米軍の痕跡 吠えてきた犬を銃剣で刺す日本兵の死体

17 物体 会堂に入ると住民に報復された日本兵の死体 荒涼たる寂寥感

18 デ・プロフィンデス 死体の群れ 会堂の中に十字架像 マッチとレンズを探す  

19 塩 バンカーで男女が来る 悲鳴をあげた女を撃つ 男は逃げた 床下に塩の袋発見 

20 銃 塩をつめて村を出る 銃を捨てる 月光の中, もとの丘にもどる

21 同胞 伍長ら三人と合流 パロンポンを目指す 仲間のしるしに塩を平等に分ける

22 行人 4人の列に兵が集まり1個中隊にふくれあがる 伍長から死んだ兵士の銃をもらう 安田と永松に会うが別れる  

23 雨 ゲリラに脅かされる バラバラになる いつの間にか裸足

24 三叉路 再び伍長ら三人に会う 国道に向かう

25 光 国道の前の湿原を横切るために泥の中を進むが機銃掃射を受ける 一人引き返す

26 出現 降服を考え赤十字の車を待つ 「降参」と飛び出した日本兵を女ゲリラが射殺

27 火 あきらめて一人で歩きだす  死体から靴をとってはく

28 飢者と狂者 ついに塩が尽きた 飢えの中で臀肉のない死体をみる 人肉を考える

狂った将校に会う 死んだら「自分を食ってもよい」と将校はいう

29 手 死んだ将校の血を吸った山蛭の血を吸う 人の血を吸ってはいないと考える
     
     死体に向かって剣を持った右の手首を左手が握った

30
 野の百合 再び歩く 花を食べようとして右手と左手が別々に動く

31空の鳥 将校の死体の前にもどる 彼は変わっていて食えなかった 神が変えたのか

32 眼 河原に切り取られた足 二つの眼と銃口が近づく 永松に会うが気を失う  

33 肉 永松に介抱され気付く 猿の肉を与えられ食べる 安田と三人になる

34 人類 三人で食事 安田と離れて寝る 永松は安田を警戒

35 猿 永松が猿を撃つ現場で走り去る日本兵をみる


36 転身の頌 安田の投げた手榴弾でもげた自分の肉を食う 安田が襲ってきて永松が撃つ 安田のあたたかい桜肉を前に吐く 永松と銃のとりあいになり永松が銃口を握ったところで記憶が欠ける 肉は食べなかった,食べたなら憶えている                 

37 狂人日記 6年後 東京郊外の精神病院の一室で手記を書いている

38 再び野火に メシヤコンプレックス 離人症の診断    

39 死者の書 推理で思いだす 食べなかったので死者の国で黒い太陽をみることができる。後頭部をうたれたのは神の愛か         


【報告者の感想】      大畠 啓三

@ 昔, 断片的に読んだ記憶があり, そのときは人肉食の部分に興味をもった。

A 再び読んで, 神の存在に困惑した。どう解釈すればいいのか。

  (17)物体 追悼歌 

 (
18) デ・プロフンディスDe profundis

(29) 右手を握る左手 

(38)再び野火に 永松を殺した後, なを私が銃を捨てていなかったところをみると中略

 
  私は依然として神の怒りを代行しようと思っていたのであろうか。

B (37)狂人日記 戦争を知らない人間は半分は子供である。戦争へ行く前は必然と思っていたが, 今は全てが任意, 偶然。

C 最後に手記という形になりホッとした気分で読了した。

D 何度よんでも作品の全体像がつかめなかった。

【他の解説の紹介】

「人生に二度読む本」(城山三郎と平岩外四 講談社 2005年 P132) より引用

 しかしこの戦争を体験した作家の義務として書き始める。一人ひとりの兵士が極限状況の中で, 何を感じ, 何を考え, どう行動したかを可能な限り正確に記録し, 戦争における人間の姿をありのままにとらえようとする姿勢が見てとれる。「俘虜記」や「レイテ戦記」に比してキリスト教の影響の強い作品。病兵の主人公を苛酷な敗走下に置き, 思いがけない現地人の射殺, 飢餓に追いつめられた仲間同士の殺戮, さらに人肉食という極限状況に追い込み, 主人公の内面を透徹した視点で描いたこの作品は, その終幕で神への問いかけを続けながら最後は, 多分に逆説的な意味合いを含んだ「神に栄えあれ」という一句で結んでいる。人間存在の根幹に関わる体験を経た主人公は, 自分の罪を神に告白して許しを請うことをせず, むしろ神の存在をあざ笑ってさえいるかのようだ。そこに欧米人のそれと一線を画す, 大岡独自のキリスト教観が反映されているのではないだろうか。

「自作を語る」大岡昇平NHKアーカイブス・1960年)よりの引用

 従兄弟の大岡洋吉(字がちがうかも)が小林秀雄と同級生で, 従兄弟を通して小林秀雄や中原中也と親交あり。

NHKアナウンサーのインタビューに対して

「野火について, 俘虜記の後極限状況での人間を書きたくなった

「人肉食に対してそれを止めるものは何かを書きたかった」


 地形に関する記述について 「自分は空間人間」 (時間人間に比して)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  以上で報告終わり  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


【みんなの感想】    記 録    安藤 みどり

・野火は不安と凶器。作品の最後に狂人としたことで、事実を追求しなかった。人肉を食べたか追及してほしかった。

・人間にとって、塩はいかに重要かがわかる。映画は深みがなかったが本の方がよくわかってよかった。

・日本兵の悲惨な戦い、飢えとの戦いで戦地の人間の極限状況が書かれている。

・ジャングルの中を歩き回る恐怖、戦争の狂気を描いた価値ある作品。

・戦争の惨たらしさを感じた。

・映画を観たら食欲がなくなって、本を読む気にならなかった。暫くして本を読むと、映画とまったく違った。

・上官のエゴが書かれている。主人公の田村一等兵は人肉は食べなかったが、撃たれた自分の肩の肉は食べた。

・情景の比喩がわかりづらかったが、2,3度読んで深みのある作品だと思った。

・ハードルが高くて手が出ない本。

・最初の方は情景が出てくるが、飢えの中自分の血を吸ったヒルの血を吸う場面など耐えられない感じ。

・若い時に読んだ武田泰淳の「ひかりごけ」に人肉を食べたことが書かれている。

・「野火」は記念すべき作品になった。

・内容が恐ろしく、少し期間をおいて読んだ。

・戦争は誰の為にするものか。戦争の恐ろしさ、異常、人間らしさをなくし地獄を彷徨う

・兵士の気持ちは。この世のものとは思えない体験をして帰還した人の心の傷は癒えるだろうか。

・[現代の戦争を操る少数の紳士諸君は、それが利益。再び彼らにだまされたいらしい人達を私は理解できない」とある。戦争はいやだと思った。

・主人公がひょんなことから、比島の女性を射殺してしまった。「銃は国家が私に持つことを強いた。」と言い銃を捨てるが、再び銃を手にして人食い人種(日本兵)を殺したのは、神の怒りを代行しようと思っていたのだろうか。

・再び戦争を操る紳士諸君にだまされたいらしい人たちは、比島の山中であった様な目に遇うほかないと言っている。今の状況に問いかけるもの。

・野火は不安の象徴ではないのか。

・大岡昇平は米国に留学経験があり、エドガー・アラン・ポーに傾倒していた。「野火」には、人肉を食べる描写のあるポーの「アーサー・ゴードン・ピムの物語」の影響がある。

 背景をなす第二次世界大戦は歴史の必然であるとしても、その中の個々の人間の置かれた状況やそこでの行動は、偶然の産物。現代の悲劇は偶然によって気か起こらない、というのが作者の思想であろう。


【わたしの感想】    川地 元康

 主人公の考えの部分が難解で理解に困りましたが、戦争の悲惨さ理不尽さは伝わってきました。圧倒的な米軍の前なすすべもなく虫けらのようにころされてゆく兵に、この戦いの無謀さが悲しくなりました。

私は彼がどんなことを感じ考えたかが気にかかりました。中隊からも病院からも捨てられる理不尽も、一般社会で揉まれた彼は、そんなもんだと受け入れた事に、世慣れした彼が感じられます。

船で見た奇怪な雲、比島の小道を二度と通らないと感じた事、比島の自然が彼を歓喜の状態にした事、半生が満足してないのに運命に恵まれたと感じた事、今の状態が以前にもあった気がする事、以前関係のあった女性がたくさん出てきたことなどは、戦う意思がない彼が戦場に駆り出され、死の予感が不思議な感覚を呼び覚ましたから感じたことのようです。でも、これらは私も感じた事があります。死の予感が無くても感じる気がしました。

病院の周りにいた永松、安田と会い、彼らが互いに協力しようと約束しながら悲惨な結果になったのが、この無謀な戦争の犠牲といえましょう。彼は死のうと思いましたが、私はすでに死んでいると考え、自ら死ぬ必要が無いと考えたようです。絶望の中、自分の孤独と絶望を見届けようと思い、死により意識は無くなっても、肉体は宇宙の物質に溶け込み存在すると考え、慰めとしたようです。

あるとき十字架を見、性的欲望を罪と感じ、教会に通った自分が正しいのか、現実的な大人の知恵が正しいのか確かめに行き、沢山の死体を見、宗教画のイエスの死の像と重なり、運命が間違っているか自分が間違っていると悩み、教会には救いに答える者がいない事を悟ったようです。

比島の女性の悲鳴で思わず殺してしまい、これは偶然が重なった為だと自分を慰めたようです。長い孤独の末同胞に会い、帰還の希望が生まれたため、敗軍の兵がどんなものか知っていたのに、塩で友情が買えると考えてしまい、また傷兵に申し訳ないという気持ちを感じたようです。希望の力なのでしょうか。

パロンポンへ向かうとき見られていると感じたのは米軍だった気がします。この後何回か見られた感じが出てきます。投降しようとした同胞だったり、自分を狙った永松だったりします。その他は神だったように感じました。

パロンポンへ脱出に失敗し、米兵が負傷兵を助けるのを見て、投降しようとしますが、比島の女兵を見、殺した無辜の女性を思い出し、自分は任意の行為で生き延びる事は出来ないと考え、必ず必然の上に立たねばならないと考えたようです。これは彼の罪を感じる声なのでしょう。

蠅とヒルにまみれた瀕死の兵士に会い、彼の死を待って食べようと剣を抜いたとき、左手が右手を抑え行為をやめるまで離さなかった。これは心の奥深いとこにある罪の意識が止めた気がします。神といってもいい気がします。

植物や動物は、死体以外は食べてはいけない、それは生きているからだと考えたようです。花に満たされた空間を神だと思うも、神に入れなかった。体が二つの半身に分かれていたからです。罪を感じる心と、現実を生きようとする心が、別れてしまっているみたいです。花に満たされた空間は臨死体験みたいです。右手が自由になり、死体の所へ行くとすでに食べられなくなっていて、食べずにすみ、彼も自分も神に愛されていると感じたようです。

僚友の永松に会い、水と肉をもらい、好意と言う手続きにより、薄々感じていた人肉を食べてしまったようです。罪を感じる心が去ったのか、神が許したのかわかりませんが。厳しい現実の前に友情もお互いに隙あったらと、狙う関係になってしまい、そのため永松は安田の代わりに田村を相棒としたかったので、彼を助けたようです。ついに永松は安田を殺し、手足を切断するのを見て、人間はどんな異常な状況もうけいれる事が出来ると思ったけれど、神が彼の心に戻り、怒りを感じさせ、永松を殺しました。

そのあと記憶がなかったのですが、日本の病院で思い出したのが、死にたかったのか、肉が食べたかったのか、自ら分からないままに野火に近づき、発砲し、後頭部に打撃を受け、米軍に助けられ、日本に帰還したということでした。

戦争の過酷な体験が原因で妻との間に隙間ができ、自分は分裂した存在で、分裂した人間に愛など存在しないと考えたようです。彼は殺したり、人肉を食べたりしなかった、殺したのは、戦争、神、偶然であると考えたようです。

彼が罪を犯そうとしたとき、不明の襲撃者の後頭部への一撃を用意したのが、神ならば、神に感謝したいと結ばれています。

私も若いころ、好きな女性に近づきたいとの不純な思いで、聖書を読みました。私も彼のように、聖書の罠にはまり、いまだに神の目が気になります。決断の時、必ず神ならどう思うかと考えます。だから物語の見られている感じがよくわかります。

彼は旧約も読み、熱心な信者だったようです。信仰を捨てた後も、心の奥深く罪を感じる思いが生きています。それが却って彼に心の分裂をもたらした気がしました。

生きて帰還できたのは奇跡です。戦争の過酷で異常な体験が彼を極端な人間不信にしたみたいです。でも神に栄光あれとあるので、聖書のもう一つの義務、人を愛しなさい、を思い出してほしいですね。


【わたしの感想】      若林 孝之

 先ず印象に残ったのは、作品中の地形描写です。大岡昇平の別作「武蔵野夫人」が、東京の地形・地質を学ぶ者の必要文献とすべきだと言う専門家もいるようですが、この作品でも、的確詳細を極める記述が目立ち、まさに大岡のお家芸と言っても過言ではないでしょう。

 次に浮んだのは、「これは、実存主義的作品だなあ」ということです。実存主義と言うものを、よく理解してはいないのですが、この作品が人間の「限界状況」を扱っていることには間違いありません。

「限界状況」についてある辞書は「人間の直面する変えることも回避することもできない絶対的状況。それを通して人は自己の実存に目覚める。」と規定しています。私なりに表現すると「人は追い詰められてギリギリの場に立たされたとき、初めて本当の自分に出会う」とでもいえるのでしょうか。

 「実存は孤独・不安・絶望につきまとわれる」とも辞書は説明しています。

 極限状況のなかにあっても、知性を失わなかった主人公が,比島人女性に発砲したのは、「自己保存」の本能に負けたからでしょうか。

 永松に発砲したのは、友人安田殺しとそれに続くはずの食肉に対しての「神の怒り」の衝動であったのか。このあたりから、主人公は狂気の世界へ入っていきます。

 主人公と神との関わりが、キリスト教に無縁のわたしには,今ひとつ判ったようで判りません。


 作品中の語句表現について

 被甲  ヘルメット(鉄兜)のカバーだと思います。かって日本の南方軍が使用している写真を見た記憶はありますが、 言葉としては知りませんでした。

 陳げた  「ひろげた」と読むのか?

 諾いて  「うなづいて」と読みました。 

 諾じないため これが読めません。 「だくじない」も「うべなうじない」も変ですね。 「諾しない」 ならまだしもですが、何か振り仮名のついたものあれば ご教示を

                    終わり