2018..9

レジメ 山崎豊子『暖簾』 報告 安藤みどり
                 
 

【あらすじ】

 明治29年日清戦争直後の好景気のさなか、15歳の八田吾平は淡路島から金が転がっていそうな大阪に向かった。

 橋のたもとで座り込んでいた吾平は、船場の昆布の浪花屋の5代目利兵衛に拾われる。丁稚奉公をしながら、「いつかはえらい商売人になったる」と精を出して働く。兄さん株の番頭に辛くあたられても、「これも奉公のうち」と辛抱したため出世も早かった。昆布の取れる時期、生産地、入荷の見通しを身につけていく吾平は、商売の神さんと言われるまでに成長し、27歳の時に暖簾分けをされる。

 第1次欧州戦争(第1次世界大戦)が始まって、輸送力不足で昆布の仕入れが減ると、大阪商人がまだ産地買付けしなかった頃だが、吾平は北海道まで買い付けに行き、相当な儲けを出す。

 昭和9年の室戸台風で工場が壊滅した。再起のために奔走するが人情の酷薄経験をする中、暖簾を担保に銀行から融資を受けることにこぎつける。

 ふたりの息子が招集され、戦時下の経済新体制が発表され、昆布も統制品となる。

 昭和20314日、大阪の船場は殆ど焼け野原となる。店を焼かれ、終戦の翌年には旧円が封鎖され、いつも窮地を切り抜けていた吾平だが、今度ばかりはへたり込みそうになった。浪花屋の同僚がやみ稼ぎの誘いにやってくるが一蹴する。

 長男が戦死し、次男孝平は、死んだ戦友の米袋や靴を剥ぎ取って生き抜いて帰ってきた。孝平は、早く資金を作って店を出したいと神戸へ昆布を背負って売りに出た。

 孝平が帰還して間もなく、吾平が昆布の束の中で脳溢血で亡くなった。大学出のインテリの孝平ではあったが、丁稚上がりの父のように堅実な商売の基礎を築いていく。統制経済時代から自由経済に移って、没落する者も多かった。

 昭和25年、インフレは抑制されず、徴税に苦しんで自殺する商人が出る中、当時の池田勇人大蔵大臣の、人命を軽んじる発言に、大阪中で糾弾の声が湧き上がる。

 昭和29年大丸百貨店の東京進出に、大阪の老舗として浪花屋も選ばれる。父吾平が立売堀に作った店をやっと再建する。「古い暖簾を掲げておくだけの商いは没落する。現代の暖簾の価値は、これを活用する人間の力による」との信念で働き続けるが、戦争を境に重工業中心に経済的に優位にたった東京に対し、大阪は復興力を失ってしまった。

 孝平は「再び大阪商人の力で元通りの大坂の財力を取り戻してみせたる」と心の中で呟いた。  


【作者の経歴】 ウィキぺデイアより

1924年(大正13年)大阪市南区(現:中央区)船場に老舗昆布屋の小倉屋山本の長女として生まれる。

・1944年(昭和19年)、旧制京都女子専門学校(現:京都女子大学)国文学科卒業。毎日新聞社に入社。大阪本社調査部を経て学芸部に勤務し、学芸副部長・井上靖のもとで記者としての訓練を受けた。勤務のかたわら小説を書きはじめ、1957年(昭和32年)に生家の昆布屋をモデルに、親子二代の船場商人を主人公とした『暖簾』を刊行して作家デビュー。

・1958年(昭和33年)吉本興業を創業した吉本せいをモデルに大阪人の知恵と才覚を描いた『花のれん』により第39回直木賞受賞。新聞社を退職して作家生活に入った。

・1959年(昭和34年)足袋問屋の息子の放蕩・成長を通して商魂たくましく生き抜く大阪商人の典型を描いた『ぼんち』刊行。

・1961年(昭和36年)『女の勲章取材中に元同僚と結婚。

・1963年(昭和38年)大阪大学医学部がモデルとなった『白い巨塔』刊行。

1973年(昭和48年)神戸銀行(現:三井住友銀行)をモデルとした経済小説、『華麗なる一族刊行。

その後、テーマ設定を大阪から離し、戦争の非人間性など社会問題一般に広げていった。

『不毛地帯』、『二つの祖国』、『大地の子』の戦争3部作の後、日本航空社内の腐敗や日本航空123便墜落事故を扱った『沈まぬ太陽』を発表

1991年平成3年)、菊池寛賞受賞。

1993年(平成5年)大地の子などの印税を基に「山崎豊子文化財団」を設立し、日本に帰国した中国残留孤児の子供の学資を援助。

・2005年(平成17年)1月号から2009年(平成21年)2月号まで西山事件をモデルとした『運命の人』を連載。

・2913年8月より週刊新潮にて新作「約束の海」の連載を開始していたが、第1部(20話)を書き上げた後に体調不良となり、堺市内の病院に緊急入院

2013929日に呼吸不全のため死去。89歳没。  

作者の受賞歴】

 1958 - 『花のれん』にて第39回直木三十五賞

 1959 - 『ぼんち』にて大阪府芸術賞

 1963 - 「花紋」にて第2回婦人公論読者賞

 1968 - 「花宴」にて第6回婦人公論読者賞(後に、盗作問題で賞を返上)

 1990 - 『大地の子』にて第52回文藝春秋読者賞

 1991 - 39回菊池寛賞

 2009 - 『運命の人』にて第63回毎日出版文化賞特別賞  

*「日本のバルザック」と呼ぶファンがいる一方、参考とした資料をほとんど脚色せず作品に反映させたため、盗作との指摘を資料の執筆者から何度も受けている。  


【参考】

バルザックの小説の特性 (インターネット抜粋)

  社会全体を俯瞰する巨大な視点と同時に、人間の精神の内部を精密に描き、その双方を鮮烈な形で対応させていくというところにある。そうした社会と個人の関係の他に、芸術と人生、欲望と理性、男と女、聖と俗、霊肉といった様々な二元論をもとに、時に諧謔的に、時に幻想的に、時にサスペンスフルにと、様々な種類の人間を描くにあたって豊かな趣向を凝らして書かれた諸作品は、深刻で根源的なテーマを扱いながらもすぐれて娯楽的でもある。高潔な善人が物語に登場することも少なくなく、かれらは偽善的な社会のなかで生きることに苦しみながら、ほぼ例外なく苦悩のうちに死んでいく(『ゴリオ爺さん』、『谷間のゆり』など)。



【報告者の感想】 安藤みどり

 処女作の作品で、舞台は実家の昆布屋をモチィーフにしているが、昆布の採取夫の働き、昆布の乾燥場の砂地の質など、細かく描かれていて面白い。

 苦労して築いた店を台風と戦争で二度も失くしたが、機知に富んだ土性っ骨の大坂商人を描いていく様は、読んでいる者を虜にする。

 二代目、三代目によくあるぼんぼん育ちの末路とは対象に、厳しい大阪商人の現実を生き抜く孝平の姿は頼もしいが、初めての子どもが女の子と分かって、妻に「アホ、手ついてあやまらんか」というセリフは、その当時の男尊女卑の最たる事でしょうか。

 作者は、大学二年生の時に学徒動員令が下り、軍需工場で弾磨きをさせられた。B29の爆撃を受けて亡くなった友達、特攻隊で死んでいった男子学生に代って、生き残った者の思いとして作品を書き続けるという覚悟が、その後の作品に生かされていったと思います。  



【みんなの感想】
 記録 大畠啓三

* 上手くまとめてあり「まとめ方」に感服。面白くてぐいぐい読んだ。大阪商人の根性ドラマを

テレビを観ている感じがした。船場を舞台にしたドラマは他にも観た。7年かけて「暖簾」を書

き上げた情熱はすごい。明治・大正・昭和の激動の時代、大阪商人にとり暖簾は命と同じで大事

だった。火事のときも持ち出すなど信用の「証」だった。第2部で東京と大阪の関係が描かれ、

勢いは東京に移るが、主人公は大阪が元気になることを願う。


* 面白い、一気に読めた。封建的な奉公制度の中で吾平はよく頑張った。暖簾を担保にお金を借り

るなど今では想像できない。小倉屋山本(作者の生家)の昆布大好きである。作者は(資料を脚色せ

ずに作品に反映させることがあり)「大地の子」などで訴えられている。


*
最初からずーと読むことができた。暖簾を担保にお金を借りるなどは、商売に対する吾平の一

途な気持ちや妥協しない気持ちが出ている。孝平が暖簾の重みを感じながら、努力する姿は父親

から受け継いでいる。統制経済については最近言われている「緊急事態法」を連想させ、戦争中

の経験はないが怖さを感じる。


*
人が成長する物語は好き。読み終わるのが速かった。作品のモデルやネタは何かと思ったが、報

告書で理解できた。銀行が暖簾でお金を貸すのはすごい。産地へ買い付けに入るという、まだ当時

なかったことをしている。「白い巨塔」が出た頃、父は入院中に医者に隠して読んでいた。この人の

作品は読みやすい。


*
昆布の加工や仕入れには長い修行が必要でつらいが後で役に立った。加工場での大量生産や売り

方の工夫などの努力をするが、付き合い・接待も大切にしている。災害のたびにゼロからやり直し

だがアキラメない。戦後はチャンスのくるのを待っている。孝平はサラリーマンの経験を、合理的

・緻密・大量生産・出店の工夫などで生かした。生まれてくる子は男の子がいいというのは男尊女

卑の時代か。10年たてば東京に負けないと考えるが、一方で暖簾の重みは軽くなってくる。


*
できる仕事の内容で奉公人の呼び名が変わってくる。昆布への関西人の好みがいろいろある。金

沢の新年の雑煮は、昆布だしの中にお餅というものだった。吾平の商売のやり方が上手い。戦後も

まじめで前向きなのは素晴らしい。他方、本家の6代目のやり方は先代の資産の切り売りというも

ので、アリとキリギリスに似ている。


*
「暖簾」にかぎらず作者の作品はよく読んだ。  難しいテーマの作品だと逃げたくなる。


*
明確なテーマのある成長物語。私の若い頃の必読書は、成長物語では「ジャンクリストフ」他に

「三太郎の日記」「禅の研究」など。大阪が全面に出ている作品で、暖簾は作品の中で中心的働きを

している。東京と大阪、統制と自由の対比を通して経済史の面もある作品。成功物語には一代記が

多いが、親子二代記になっている。もともとジャーナリストなので調査力が物語性の基礎にあり、

ジャーナリスティックな力のある作品。本家6代目と妹の夫の生き方がサラッと書かれている。   


*
作品には政府の統制など、今に通じるものがあし、寒水産業による買い占め・紙問屋の奉公人に

よる主人の殺人事件など、いろんな歴史的な面を本が教えてくれる


*
大阪のイメージは「粟おこし」に「都こんぶ」。昆布は「ストーリー」に粘り強さを出している。


【わたしの感想】 川地元康

丁稚奉公の大変さが分かりました、朝早くから夜遅くまで休みなしの,給金無、何より体が丈夫でないと出来ないことです。

昆布が酢に漬けられ、削られ、とろろ、おぼろとなること、取れる季節、取れる場所で値段が違うこと、昆布の加工、昆布の品質の見分け、仕入れの駆け引きを覚えるのに、長い修業がいること、でもこの苦労が必要で後役立つことが分かりました。 

世の中の動きを見て売り方を工夫しなければならないこと、中間マージンを抑え直接仕入れること、加工の工場を作り大量生産をすること、など新しい工夫をすることが大切でチャンスと見れば借金をし、リスクを負う度胸が必要なこと、付き合い接待に派手に金を使い情報や儲け話を聞くことも商いの一部であることが分かりました。 

でも自分の力ではどうにもならないこと、戦争、天災など、運が作用する面が有り、そのため商いする人は、神仏を祭る人が多いのが理解出来ました。災害のたび又ゼロからやり直す勇気、決して諦めない根性が大切と分かりました。 

終戦後、老舗が没落した闇市の時代、粗悪品を高値で売り飛ばす時代、信用ある商品を薄利で商いするため大阪商人には手が出ない時代、そんな時はじっと我慢してチャンスを待つことが辛抱のしどころですね。 

孝平が帰り、時代の変化を感じ、まず闇の商品を扱い出し、自分はなじめず、サラリーマンに転身、その賃金の安さに、いつかチャンスを掴み、商売をする決心を固め、サラリーマンしながら、丁稚して知る知識を仕事で得て、不正しない勤務で信用も獲得して、チャンスを待ちます。 

学歴が生きて出世し、役人が賄賂で役得しているように見えても、本当は商人が役人を操り巨利を得ていました。

統制経済が解けた時、独立しました。役人時代の信用で融資を受けたり、後払いで昆布の仕入れが出来るようになったり、父と同じような方法で事業を拡大します。違うのは学卒らしく合理的で緻密な計算の上での商いで、東京へ進出し、機械の改良で安くて品質の良いものを大量に製造出来るようにし、人の流れを見て出店を決め、新しい商品の開発、花柳界を利用しての商品の宣伝と、店は人任せにしないなどの工夫が生き成功します。 

商売は夫婦共稼ぎ、半分は女房の力と認めながら、我が子は男の方が良いと考えたのはその頃は男尊女碑の世の中だったからでしょうか。大資本には小回りと読みと知恵で立ち向かいました。 東京の経済規模の大きさに驚き、でも10年たったら東京には負けないと密かに決意しました。  

五平の暖簾は厳しい奉公を乗り越えた誇りであり、良心的な品質、価格を保証する旗印であり、顧客第一主義で、騙したり暴利を貪ったりしない、商人の良心の象徴だったようです。

孝平にとっての暖簾は、商人の心構えであるが、これで商売出来るものではなく、苦労が人一倍出来、人の出来ないことが出来て始めて暖簾が守っていけるようになっていけます。少し重みが軽くなったようです。 

私は大阪に修行に出されたことがあましたが、それは厳しいものでした。朝7時から夜9時ごろまで、ボーナスシーズンは休みなしのぶっ通しの勤務でした。朝から晩まで怒られました。とくに接客がなっていなくて、夜など厳しく叱責されました。

出来るだけ接客せず、掃除、商品だし、倉庫の整理など、裏方に徹しました。でも、立て込むと、店に引っ張り出され、うまいことの言えない私は、商品の説明書を良く読み、お客さんに丁寧に説明することに徹しました。意外にも、話下手な私を信用できそうと思う人がいて、最後の方は結構売れるようになり、無事修行を終わることが出来ました。 

ベテランの店員さんは、「もうかりまっか」、「ぼちぼちでんなー」とか、手にそろばんを持ち、「こんなんでどうだす」、「そんな殺生な」など、映画の中だけと思っていた言葉が飛び交いました。この店員さん得意のボケが、「もうかってまっか」、「ヘイお墓だす」、「なんですかそれ」、「ヘイぼちぼちだす」、思わず感心しました。

殆ど忘れましたが、「夏は精神が張り詰めているらしいですよ、よく言ってまっしゃろ,キンチョウの夏」、とか「風を引いたらトイレで座ってると治るらしいですよ、テレビで言っておましたで、かぜにベンザ」。

卑猥な洒落もいくつか覚えました。大阪の商人の奥深さに感心しました。東京にも行きましたが、本に書いてあったように、東京の店の売り上げの大きさは、桁が違いました。念ながら、大阪と東京の経済の規模の違いは大きいものでした。