茨木のり子 『りゅうりぇんれんの物語』 

           安藤 なが子 2016.12.10


【劉 連仁の略歴】(「ウィキペディア」より)

劉 連仁〈聯仁〉(りゅう れんじん 、1913 - 200092日) は、現在の中華人民共和国山東省高密市生まれの華人労務者。

山東省の故郷に家族と共に暮らしていたが、19449月、大東亜省によって華人労務者として雇用され、北海道雨竜郡沼田町の明治鉱業昭和鉱業所へ炭鉱労働者として送り込まれた。 19457月、仲間の労働者4人と共に脱走を図る。直後に仲間は次々と脱落していったが、以後13年間、ただ一人終戦を知らないまま山中を逃避行し続けた。

195828日、当別町の山中で穴ぐらの中に潜んでいる姿を農民が発見、保護された。その後、故郷へ帰国。

1996年、東京地裁に強制連行であったとして日本国を相手取り提訴したが、2000年、判決を聞かないまま本人が死去。裁判は劉の息子を原告として継続され、2001年に地裁では勝訴するが、日本国は控訴。

2005年、東京高裁は劉の訴えを棄却。

【茨木のり子の略歴】(「ウィキペディア」より)

本名 宮崎のり子(1926-2006)(満79歳没)

大阪府大阪市生まれ、愛知県西尾市育ち。愛知県立西尾女学校を卒業後上京し、帝国女子医学・薬学部に進学する。上京後は、戦時下の動乱に巻き込まれ、空襲・飢餓などに苦しむが何とか生き抜き19歳の時に終戦を迎え、1946年9月に同校を繰り上げ卒業する。

 帝国劇場で上映されていたシェークスピアの喜劇「真夏の夜の夢」に感化され、劇作の道を志す。「読売新聞第1回戯曲募集」で佳作に選ばれたり、自作童話2編がNHKラジオで放送されるなど、童話作家・脚本家として評価される。

1950年に医師である三浦安信と結婚。埼玉県所沢町(現所沢市)に移り住む。

1953年に「櫂(同人誌)」の創刊にたずさわる。創刊号は川崎洋・茨木のり子の二人だけの同人誌だったが、二号からは谷川俊太郎らが参加し、その後の第二次戦後派の詩人を多数輩出するようになった。

2006年2月17日、病気のため東京都東伏見の自宅で死去。享年79歳。夫・安信と1975年に死別してから独り暮らしで、19日に訪ねて来た親戚が寝室で死亡しているのを発見した。

【あらすじ】

第2次世界大戦の最中、日本は労働力の不足から中国人を強制連行して炭鉱労働に従事させた。新婚間もないりゅうりぇんれんはその不当な使役に耐えかねて脱走し、終戦も知らず、14年の歳月を山野に逃れ、隠れして暮らした。体力を使い果たして発見されたとき、彼は戦争の終わったこともすぐには理解することができなかった。もらった温かいうどんを食べたとき、やっと心がほぐれ、現実を受けとめることができた。同胞の人もりゅうりぇんれんの苦難の日々を思い、涙した。ついに故郷で妻にも息子にも会うことができ、ハッピーエンドに終わるストーリーである。

 

【報告者の感想】安藤 なが子

初めて読んだのはもう20年も前のことだが、今でもその時の感動を覚えている。

それほどにわかりやすく、ぐいぐいと心に訴えてくるものがある長詩だった。

出会いは朗読の場だった。私達は10人ぐらいで全体を分かち読みしたので、自分の

担当した部分だけは何度も繰り返し読んだ。後で全体をテープにとって、ひとりで楽し

んだことを覚えている。

私はもともと実話が好きで、ドキュメンタリーほど心に伝わるものはないと思う。

茨木のリ子は日本の犯した罪の事実をしっかりとらえ、それを叙事詩の形式で私たちに

伝えてくれた。もし私自身が、あるいは我が子が、りゅうりぇんれんと同じ運命におか

れていたら、あるいはもし私がチャオユイランの立場だったらなど思うと、この作品は

涙なくしては読むことができない。

りゅうりぇんれんの遭遇した筆舌に尽くし難い苦しみの後、水辺でわらべと出遭い対話する場面や、14年ぶりに妻子と無事再会できたことで、私はやっと心の安らぎを得た。

詩の最終場面で「一つの運命と一つの運命とがぱったり出会う」くだりがあるが、そこには運命に翻弄された人間の悲しみがある。さらに「一つの村ともう一つの村がぱったりと出会う」という文章からは、個人の運命の背後には村が、そしてもっと大きな国があることを思うと、戦争のない平和がいかに大切かをあらためて知らされた気がする。

戦争が生んだ悲惨な出来事は枚挙にいとまないが、中国人の強制連行もその一つである。茨木のり子の詩には反戦を取り上げたものがいくつかあるが、なかでもこの「りゅうりぇんれんの物語」は実話を取り上げたものとして、痛く胸に響く作品であり、後世に語り継がれるべき作品だと思う。

【参考資料】

【読み】 襤褸(ぼろ)、囓る(かじる)、髙粱(こうりゃん)、朦朧(もうろう)、棗(なつめ)、
痺れる(しびれる)、贖罪(しょくざい)、干魃(かんばつ)、 零れる(こぼれる)、
酸漿(ほおずき)、惨憺(さんたん)

【語義】 華人労務者移入方針 = 1942年(昭和17年)戦時中人材不足の産業界の要請で、東條内閣は「華人労務者
     内地移入ニ関スル件」を閣議決定。これによって華人労務者の中には半強制的(強制連行)に日本へ移送された者
     もいたという。文中に「かつてこの案を練った商工大臣」とあるのは岸信介(安倍首相の祖父)のこと。

   傀儡軍(かいらいぐん)= 名目上の支配者は存在するが、実態は他国や他の権力者など外部の権力によって支配
されている軍隊のこと。かつて北朝鮮と韓国はお互いに相手の軍隊をこのように呼んでいた。

   八路軍(はちろぐん)= 日中戦争時に華北にいた中国共産党の紅軍が国共合作によって国民革命軍に編入された
時、八路軍と命名された。後にその名称は共産党系部隊を総称するようになった。

   弁髪(べんぱつ) = モンゴル近辺の男子が頭髪を剃り、後頭部だけを長く伸ばして編み、背後に長く垂らす髪型
のこと。

       華僑(かきょう)= 東南アジアを中心に全世界に移住した中国人及びその子孫。商業活動を行い、確固たる経済勢
力を形成。起源は漢代(紀元前後)まで遡る。現在の総数は約二千万人。Wikipediaによれば日本の華僑の子孫は王
貞治、呉清源、周富徳、ジュディ・オング、アグネス・チャン、レサ・テンなど。

   梅蘭芳(めい・らんふぁん)= 1894年10月22日 ― 1961年8月8日)清朝末から中華民国、中華人民共和国に
かけての京劇俳優である。京劇の近代化を推進、女形で名高い。1924年、来日して、関東大震災のチャリティー
公演を行った際、急性腸炎になったが、一命を取りとめた。


【みんなの感想】
   記録 安藤 邦男

以下、当日話し合わされたこと纏めて報告します。

・詩を朗読で聞くという初めての試みであったがために、朗読が良かったという声が多くの人から寄せられた。家で自分で読んだときと、ここで朗読で聞いたときとでは、心に訴える強さが全く違うと思ったという意見、詩という文芸形式は黙読ではなく、声に出して読むという朗読が鑑賞するには相応しいということを改めて実感したという意見など、朗読についての意見が多く出された。

・戦争を知らない世代がだんだん増えていく最近であるだけに、このような戦争の苦しさ、非人間性を描いた作品を読むと、改めて平和の大切さを痛感する、若い人たちに読んでほしい。

・戦争時代を経験した世代の意見としては、小牧飛行場で強制連行されていた朝鮮人が事故で死傷した事件を目の当たりに見たことを思い出した。

・りゅうりぇんれんは運よく発見され故郷に帰り着いて、物語はハッピーエンドに終わっているが、途中で命を失った人がどれだけいたかは計り知れない。その人たちのことも忘れてはならない。

「おいらの国では歴史の中に畳こまれてしまったもの、この国じゃこれから戦われるものとして、渦巻いている」の部分がよく判らないという意見があったが、それに対しては、中国革命で克服された古い封建的遺物は、この日本ではこれから打破すべき民主化運動の対象になっているという意味だという意見が出された。中国革命を成し遂げた中国人の誇りの感じられる文章だという。

・りゅうりぇんれんがこの酷い状況の中で、生き抜く力は素晴らしい。体力、知力が人並み以上に優れていたからだと思う。横井庄一さんや小野田寛郎さんなどに劣らない。この作品から酷い生活を強いられた人たちを描いた色々な作品、『蟹工船』や『アンクル・トムズ・ケビン』などを思い出した。

茨木のり子展を見たが、素晴らしい人だと思った。西尾市に住み愛知にも縁のある人だった。非常な勉強家で、ハングル文字の勉強もした人だった。

・最後の部分で子供との出会いが語られるが、あの部分がなかなか良い。その時、子供と話すことのできなかった残念な気持ちはやがて、ともに語り合いたいという願望になり、平和を志す希望となっている。日中両国の将来を見据えて語られるこの部分が素晴らしいと思う。著者は天皇の責任を問うという意見を持っていたが、戦争に対する罪を弾劾したいという気持ちがあったのではないか。

【わたしの感想】 川地 元康

 日本人は中国の人々が強制連行され、過酷な労働をさせられたことを知っている人は少ないと思います。そのようなことは学校でも習わないし、マスコミでも取り上げられることが非常に少ないと思います。原爆の悲惨なことは習いますし、マスコミでも毎年報道されます。国に取って都合の悪いことは隠され、ひどい目にあったことは忘れないようにしがちです。これはどこの国でも同じです。

物語にも日本軍の非人道さが、書かれています。強姦、略奪、むごい殺し方、強制連行、過酷な強制労働など、こうしたことは、中国では親から聞き、学校で詳しく教わります。全国の記念館、展示館などでも、必ず展示されています。だから中国の人たちのほとんどが、反日の感情を持っています。両国で何か対立があると暴動となって現れます。これは非常に厄介な問題で、中国へ進出する企業、個人などは頭に入れて置かなければならないことになっています。おそらく和解に何百年もの年月を必要とすると思われます。 

リュウリェンレンは身重の新婚の奥さんと引き離され、遠い異国の炭鉱で過酷な労働に駆り出されことは、非常にお気の毒でした。さぞ日本を憎んだことと思います。奥さんとお子さん、故郷の野山、畑、人々への思いが長い孤独な逃亡生活を生き抜いた心の支えになった気がします。それから夏の北海道の天国のような野山、川の美しさ、に慰められたことが書かれていました。私も苦しいとき野山の美しさに慰められたことが何度もあり、彼の気持ちがわかる気がします。

 それから言葉が通じなくとも子供と遊んだこと、彼が子供の寝具を盗まなかったことに、彼の子煩悩さがわかり、彼にやさしさと、思いやりの温かさが感じられ、この暗い悲しい詩に温かみを与えている気がします。

 よく意味の解らない部分があります。「日本で見聞きし怒るものは、おいらの国では歴史の中に畳こまれてしまったもの、この国じゃこれから戦われるものとして、渦巻いている」の部分です。華人労務者移入方針を作った人が総理大臣となっていることなのか、ぬらりくらりとした政府、言い逃ればかりの官僚たちの、旧日本軍の罪をあやふやにしたい政府と、立ち向かう蹟罪と友好に燃える人々との闘いのことを言っているのか、共産主義と資本主義の戦いのことを言っているのか、またはそれら全部なのか、よくわからない部分がありました。 

 中国は素晴らしい変貌を遂げたとあり、リュウリェンレンの体験記から中国政府の考えが色濃く出ている気がしました。主人公は国に帰り奥さんと子供に会い、故郷の人々から大歓迎を受け英雄となって、長い苦労が少しは報われた気がしました。

前半が主人公の体験が綴られていますが、後半の部分、「1つの運命と、一つの運命とが、ぱったり出会い、その意味も知らずその深さも知らず」の以降の部分は、たぷん作者の考えと希望が述べられている気がしました。 

私の考えるところ、子供たちには罪はなく、次の世代ではお互いに人として尊重しあい友好を築きたいこと、中国の人々には日本の残虐行為の罪を日本の子供たちには押し付けないでほしいこと、でも日本の子供たちには、親たちが中国の人たちに残虐行為を行ったことを知って、心を痛め中国の人達を尊重し、友好関係を築いてほしいという願いが、こもっている気がしました。

日本軍のこうした非人道的行為は、戦争中の殺し合いの中、異常な興奮状態の中に発生したものだと思いますし、義理の父の話でも、一部の人たちだけの行為だったようです。でもひどい目に合った中国の人たちには、日本人は全員鬼のように非情で乱暴な人種に見えたと思います。こうした話はどうしても誇張や嘘も交じってきて、憎しみは一層増したと思われます。戦後生まれの日本の人たちも鬼のような人だと思っている人も多いと思います。

 私たちが人としてごく普通に生活に追われ、泣いたり笑ったりする、血も涙もある人だと理解して貰うには、長い年月を必要とすると思います。できるだけ誠実に彼らと接して、真の和解する時が来るといいですね。