山本周五郎 『さぶ』   2016年5月9日(月)  伊藤 いち子


略 歴】 

 1903年 6月22日山梨県に生まれる。

 1910年 東京府立豊島小学校入学。その後2回転校。

 1916年 小学校卒業。東京の山本周五郎商店に住み込む。

 1923年 関東大震災で山本商店は解散。神戸の小雑誌社に勤務。

 1926年 東京に戻り、日本魂社に勤務。『須磨寺付近』が文芸春秋に掲載。

 1928年 勤務不良で日本魂社を馘首される。

 1930年 土生きよい と結婚。

 1932年 大衆雑誌キングに『だだら団兵衛』を発表。

 1943年 「日本婦道記」で直木賞に推されたが辞退。

 1945年 妻きよい 死去。

 1946年 吉村きん と再婚。

 1959年 「樅の木は残った」が毎日出版文化賞を受けるが辞退。

 1963年 『さぶ』連載開始。

 1967年 2月14日死去。


主な作品】  

1932年 『だだら兵衛』

1954~58年 『樅の木は残った』

1958年  『赤ひげ診療澤』

1960年  『青べか物語』

1963年  『さぶ』『虚空遍歴』

1966年   『ながい坂

【映画化】 

題名

原作

備考

1962

椿三十郎

ちいさこべ

日々平安

同左

出演:三船敏郎、仲代達也 

出演:中村錦之助

1964

無頼無法の従さぶ

さぶ

出演:小林旭、長門裕之

1965

赤ひげ

同左

出演:三船敏郎、加山雄三

2000

雨あがる

どら平太

同左

町奉行日記

出演:寺尾聰、宮崎美子

出演:役所広司、浅野ゆう子

【TVドラマ】

題名

原作

備考

1970

樅の木は残った

同左

平幹次郎主演

1972

赤ひげ

同左

小林桂樹主演

1973

ぶらり信兵衛道場破り

人情裏長屋

高橋英樹主演

1976

夫婦旅日記さらば浪人

雨あがる

藤田まこと主演

1994

大江戸風雲伝

栄花物語

近藤真彦主演

2001

五辨の椿

同左

国仲涼子

2002

SABU ~さぶ~

さぶ

藤原竜也 妻夫木聡

【舞 台】

題名

原作

備考

1990

川霧の橋

『柳橋物語』『ひとでなし』が原案

宝塚月組

1994

白い朝

さぶ

宝塚月組・花組

1999

TRUTH

『失蝶記』(日日平安収録)

演劇集団キャラメルボックス

2005

五瓣の椿 

同左

明治座

2008

赤ひげ

同左

劇団俳優座

あらすじ】

 さぶと栄二は芳古堂という表具屋に勤めている相弟子だった。見た目も良く仕事もできる栄二に比べ、さぶはずんぐりした体つきで要領も悪かった。二人はお得意先の綿文で仕事をしていたが、栄二はある日、急に休むよう言われた。その理由が綿文の主人が大切にしていた金襴の切を盗んだからというのだった。身に覚えのない罪に栄二は人を信じられなくなり、暴力沙汰を起こし、石川島人足寄場に送られることになった。寄場で栄二は口もきかず、名前も言わないので“ぶしゅう”と名付けられ、もっこ部屋で生活するようになった。

 三ヶ月ほど経た頃、さぶが会いに来た。しかし、栄二は「そんな者は知らねえ。」と言って会うのを拒んだ。半年後、夫婦約束をしたおすえが会いに来た。彼女に事件の詳細を伝えた後、自分を罪にした人々に仕返しをしてやるので自分の事は諦めてくれと告げる。

 護岸工事仕事が終わりに近づいたある日、突然、石垣が崩れて栄二はその下敷きになってしまった。石をどかす作業はなかなか進まず、満ちてくる潮に命の危険が迫り、本当の恐怖と苦しみの中で栄二は「さぶ、助けてくれ」と叫んでいた。怪我をしてから二十日ほど経った頃、さぶが見舞いに来た。それまで決して会おうとしなかった栄二だがその日は素直に会った。

 正月二十一日、新しい無宿人三名がもっこ部屋に入ってきた。彼らは全く仕事をせず、役人を抱き込んで部屋で花札賭博をし酒を飲んでいた。もっこ部屋の雰囲気が悪くなっていったある夜、戻った栄二は彼らに嫌がらせを受けたのを機に彼らを徹底的にやっつけた。暴力をふるったことで栄二は仕置き部屋に入れられ再吟味になり、そして放免された。

 四月七日、栄二は迎えに来たさぶとおすえと共に仮牢を出て、さぶが用意した下谷の家に戻り、経師屋を始めた。なかなか思うように仕事がなく耐乏生活をしていたが、暮れになって江の島で商家の襖を全部張り替える仕事をすることになった。さぶは母親の病気見舞いに実家へ少しの間行くことになった。数日で戻るはずが戻らないさぶに腹をたてつつ、江の島に行く準備をしていた時、糊のふたの裏に書かれている文字に気付く。「栄ちゃんがあの切のことで島送りになったのはおいらの罪だ。」これで栄二は切を袋に入れたのはさぶだとわかったのだが、実は栄二を綿文の娘に取られまいという気持ちから切を袋に入れたのは自分だというおすえの打ち分け話を聞かされ、びっくりする。しかし、栄二は怒ることなくおすえに、「島へ送られてよかった。寄場でのあしかけ三年は娑婆での十年よりためになった。これが本当の俺の気持ちだ。」と言った。その時外で人の声がした。さぶが戻ってきた。「いるかい、栄ちゃん、いま帰ったよ。」

【作品について】

「小雨が靄(もや)のようにけぶる夕方……」で始まるこの小説の書き出しは作者にとっても会心の出来で木村久邇典(くにのり)氏は著書の中で自身の口から朗読するのを聞いている。この冒頭で下町の風景やさぶと栄二の様子が印象付けられる。

 仏文学者の河盛好藏氏は小説の書き出しの見事さに感心すると書いている。沢木耕太郎氏はシルクロードを旅行中、この本の書き出しで涙が止まらなかったと書き、高田郁氏は冒頭に続いておのぶが傘を差しだすが、二人ともそれを受け取らなかったことで、三人の行く末を暗示しているという。高橋敏夫氏は「さぶ」は二人の友情物語とみなされたり、無償の奉仕を体現する物語ととらえられたりする。それらの前提に、寄場における栄二の「なかま」の発見があったと書いている。自分の事しか考えなかったのに、みんなはおれを助けるために懸命になってくれたという発見があったから岡安の花の香の話を思い出すようになる。

 ネットの中の書評やコメントには結末に批判的な意見もあり、おすえの行為をそんなに簡単に許せる人間がいるものか。又綿文の誰かが仕組んだことか犯人不明のままにしておいてほしいという声もあった。物語の最後にさぶが帰ってきて戸をたたく場面は何回読んでもホロリとしてしまう私にはそういう意見もあるのだなと驚かされる。

 小林幹太郎氏は、おすえの告白を聞いた後に言う言葉こそが書きたかった事だという。信頼が不信に勝ち、愛情が敵意を乗り越える。それが主題であり、作者の考え方であり、生き方だったのだ。

【山本周五郎賞】

1988年に創設され、その年度(前年の4月~当年3月)に発表された小説を対象としており、当年の5月に発表される。記念品と副賞100万円が授与される。後援は新潮社。

受賞作一覧 (一部省略)

年度

作家

著書

1988

山田 太一

異人たちとの夏

1989

吉本 ばなな

TUGUMI

1992

船戸 与一

砂のクロニクル

1993

宮部 みゆき

火車

1995

帚木 蓬生

閉鎖病棟

1996

天童 荒太

家族狩り

1998

梁 石日

血と骨

1999

重松 清

エイジ

2000

岩井 志麻子

ぼっけえ、きょうてい

2001

乙川 優三郎

中山 可穂

五年の梅

白い薔薇の淵まで

2002

吉田 修一

江國 香織

パレード

泳ぐのに、安全でも適切でもありません

2003

京極 夏彦

覘き小平治

2004

熊谷 達也

邂逅の森

2005

萩原 浩

垣根 涼介

明日の記憶

君たちに明日はない

2006

宇月原 晴明

安徳天皇漂流記

2007

森見 登美彦

夜は短し歩けよ乙女

2008

今野 敏

伊坂 幸太郎

果断 隠蔽捜査2

ゴールデンスランバー

2009

白石 一文

この胸に深々と突き刺さる矢を抜け

2010

貫井 徳郎

道尾 秀介

後悔と真実の色

光媒の花

2011

窪 美澄

ふがいない僕は空を見た

2012

原田 マハ

楽園のカンヴァス

2013

小野 不由美

残穢

2014

米澤 穂信

満願

2015

柚木 麻子

ナイルパーチの女子会



【みんなの感想】      記録 安藤 邦男


・人物描写の妙、鮮やかな人間像。さぶは「愚直なすがすがしい男」、栄二は「いなせな江戸前の男」、おのぶは「きっぷのいい女」、おすえは「ぶれない愛の女」として描かれている。

・寄場の男たちの同志愛、権力者の非道さの描写、また寄せ場などの江戸幕府の官僚制度のすばらしさを実感できた。

・おすえが3年間自分の罪を隠したことに吃驚した。またおすえの告白は、さぶに栄二の嫌疑が及びそうになったのがきっかけだったのかと思った。

・描写がテレビを見るように鮮明。人情味あふれる作品。厳しい江戸時代に寄場のような温かい厚生施設があったとは驚きでした。また人間の成長には人の支えがあることを知った。

・人間の心は変わりうるのだと感じ。また題名はさぶがだが、栄二の後ろにさぶが隠れて影が薄いと思った。何故さぶという題名を付けたか疑問におもった。

・人物として栄二は変わるが、さぶは変わらないから、変わらないさぶが栄二を支えているという意味で、題名をさぶにしたと思う。

・栄二の成長ぶりがわかる。いろんな角度から人間を眺め、描いている。人間を相対的に眺めている。明治の人間観がわかる。

・芝居を見ている感覚で読めた。嵐の場面が良い詩を予感する経験が彼を変えた。最後はショッキングな場面。おすえを許す場面は感動的。つくり話し的にも思えるが、人情の機微を描く。

・おすえが最初に自分がやったと白状したら、栄二は許さなかったろう。苦労を重ね、人間ができたから許したと思う。寄場は現代のホームレスに似ている。最後のさぶが帰ってくる場面は太宰治の『走れメロス』を思い出す。


【わたしの感想】       川地 元康

栄二が身の潔白を晴らそうと、綿文の旦那に面会に行き、言いがかりと思われ、い組の頭と若い衆に袋叩きにされ、番所に突き出される。番所でも十手で叩かれ、わけも身分も一切口を利かず、人足寄場へ送られる。彼はいい男で、負けず嫌い、頭もよく、仕事の覚えもよく、親分肌で、喧嘩も強く、今まで大きな挫折をしたことがないことが、かえって災いして、やけを起こしてしまい、ただ仕返しをすることを生きる目的としてしまったようです。

同心岡安喜兵衛は何か訳が有り、悪人ではないと、見抜いたのか、何とか心を和らげようと、説得をします。またさぶも、栄二を探し当て、面会に来て説得します。その他おすえ、おのぶと、復讐をすることを、やめるようにあの手この手で説得しますが、聞く耳を持ちませんでした。

日にちが立ち、与平、伊助など、理不尽な目にあった人の話を聞き、この寄場に居る人がみな世間からのけ者にされた人たちだと、栄二は気がつき、口も利かなかったのが少し話をするようになりました。

おのぶさんが来て言ったセリフが良かったです。「うまく仇討が出来れば栄さんの気持ちは晴れるでしょう。栄さんの気持ちだけはね。でもサブちゃんとおすえちゃんはどぅなるの。そこを考えなさい」と言ったのが、彼女の人生観の確かさが見事示されていました。嵐が有り皆で協力しあい乗り切ってから、寄場の中の雰囲気がそれまでにない和やかな雰囲気になったとありました。

現役時代プロジェクトチームを作り活動が終わったとき、全員の親しみが増し楽しい雰囲気になったことを思い出しました。

事故で生き埋めになり、必死の救出劇で、重症を負いながら助け出され、みんなの無償の手当てに栄二は変わっていき、人と普通に話すようになり、復讐の気持ちも薄らいでいったようです。

一枚の金欄の切れ端で人生がめちゃくちゃになるのはおかしいと気が付いたようです。説得より、愛情と、時間の経過が彼を冷静にさせた気がしました。寄場は世間からはみ出した人間が集まっています。うすのろとか、愚図とか、手に負えない乱暴者とか言われているが、よくよく見ればそれぞれみんないいところを持っている、と栄二は悟ったようです。寄場に来て1年ぐらいの経験が彼を大人にしたようです。彼はいい苦労人の親方になりそうですね。

おのぶさんは作者の理想の女性じゃないかと思います。情が深く、惚れたら一途、きっぷがよく、強気で、お喋り上手で、自分の気持ちをはっきり言えて、実際にはいない人だと思いますが、まことに素敵な人ですね。

やくざ者義一が入り寄場の雰囲気が変わり、栄二はやがてやり合わなくてはならないことを悟ったようです。秘かに用意をします。ここも彼は大人になったことが分かります。前ならすぐ喧嘩になったと思います。義一は彼がちんばだと思う油断があったのが幸いしたのか、彼は見事勝ちましたね。

男には必ず、殴り合いを覚悟する時がやってきます。私も2回殴り合いの喧嘩をしました。孤立しておとなしい私はよくいじめられました。殆ど逃げるか避けるかしていましたが、しつこくからまれ、覚悟を決めズボンにこん棒を隠し、殴りました。相手は倒れましたが、仲間にこっぴどくやられました。喧嘩の後を心配しましたが、意外にいじめは無くなりました。何をするか解らない奴と思われたのか、男と認められたのか分かりませんが、周りの人からも、丁寧に扱われるようになりました。自分の子供にも、いじめられたら、どんな卑怯な手を使ってもいいから、闘え、と言いました。

物語も何のお咎めもなく、放免になり、さぶとおすえさんの所に帰れてよかったですね。物語は、商売がうまく行かず苦悩したり、さぶが、切れ端を入れたと誤解したり、最後にどんでん返しの、おすえが切れ端を入れたのが分かったり、いよいよ仕事に出発の時に、さぶの、母が死んだりと、最後まで気の抜けない物語になっています。

私も商売に失敗していますから、栄二が苦悩する所は身につまされます。おすえが栄二をとられまいと切れ端を入れたところは、会社の同僚が、禿が大嫌いな子にかつらでごまかし結婚し、大喧嘩をして、どんなことをしてもお前と結婚したかったと言って土下座して許してもらったのを思い出し、ほほえましく感じました。

清七の恋の物語も心惹かれました。女の人は男の浮気を非難しますが、女性には多情な人がよくいます。大抵うぶな男の子が振り回されます。恋に夢中の人は目が見えませんし、人の意見も聞こえません。ただ時間に任すしかありません。そんな恋もいくつか見ました。

でもそれも悪くなく彼は成長していきます。清七はどうなったか、気になりました。物語は栄二が主人公ですが、題名は「さぶ」と付いています。「世間からあにいとか、親分とかって、人にたてられていく者には、みんな、さぶちゃんのような、人が幾人か付いているわ」と、おのぶが言ったように、さぶのように、ぐずと言われながら黙って、誠実に自分の仕事を辛抱づよくこなし、陰から世の中を支えている人への作者の賛辞だと思いました。栄二は復讐をむしろ賛美する日本の伝統の犠牲者のような感じがしました。

                            【お わ り】