『賞の柩』 帚木 蓬生
              2015.5.11 報告者 安藤みどり

【あらすじ】

 青年医師津田は、新聞でノーベル医学・生理学賞に英国のアーサー・ヒル博士が受賞する事を知る。

津田の恩師清原教授も、不慮の病気に襲われなければ共に受賞して然るべき人物であった。

他にも、ロバート・アンダーソン(米国人)、アルベルト・ヘヴェシー(ハンガリー人)と、

この4人が4~5年前まで、抜きつ抜かれつのデッド・ヒートを演じていた。

 津田は、2年ぶりに大学の医学図書館に行き、アンダーソンとヘヴェシーの最近の論文を探した。

奇妙なことに、ここ4、5年は全く発表していないことが分かる。

そして、清原教授の就任10周年記念論文集をみつける。

その回顧録には、

―1978年パリの講演会で、ある男(アントニオ・ルイス/スペイン人 )が、「あなたが発表された

のと同じ実験結果を、2年前に得ていました。」と発言したが、会場は失笑に包まれた。

清原教授は、その男から実験手技の細かい点を聞き、優れた実験者だと確信した。

アントニオ・ルイスは、論文を細胞生物学雑誌に投稿したが、論文は編集委員をしていたアーサー・ヒル

によって葬られた。―

 アントニオ・ルイスは、その後アル中で精神病院の入退院を10年続けることになる。

 精神病院での古新聞の袋作りの作業中に、アーサー・ヒルがノーベル賞を受賞した事を知り、退院を機に

酒を断ちお金を貯めて、アーサー・ヒルの住むイギリスに向かう。

津田は、清原教授、ヘヴェシーの死が急性骨髄白血病、アンダーソンは、アーサー・ヒルとの論戦で敗れ、

うつ病になり自殺をしていたことをつきとめる。
そして、アントニオ・ルイスの怒りを自分の怒りに重ね、

清原先生の弔い合戦に、ブダペストで開かれる国際・精神学会の参加に合わせ、フランス、ハンガリー、

スペイン、イギリスへ旅立つ。

フランスでは、絵の勉強に来ている清原教授の娘紀子に会い、協力を得てスペインまでの旅を共にする。

清原教授の研究室に短期留学していたアイリス・サンガー(アーサー・ヒルの愛人)が、ヘヴェシー教授の

研究室にも短期留学していたことをつきとめる。

津田が調べていくうちに、アイリス・サンガーの父は、30年前にアーサー・ヒルと研究していたが、若くして

急性白血病で亡くなっていた。

 ―ノーベル賞は、同じ分野で4人以上が横一線に並んでいると、その分野は対象から外されるという定義がある。―

 津田は、清原教授の跡を継いだ目崎教授が急性白血病で倒れたと聞き、教授の部屋に変わらず置いてある椅子に、

セシウムかリジウムが埋めこめられていると確信する。
勿論、アーサー・ヒルの指示で短期留学していたアイリス・

サンガーが仕掛けたと確証する。

 津田はアイリス・サンガーに、お父さんはアーサー・ヒルの研究仲間で、死因は急性白血病だったことを告げる。

 アントニオ・ルイスは、アーサー・ヒルの講演中、ナイフで傷を負わせる。

「アーサー・ヒルが思い知ってくれればそれでいいのです。」と、事件については黙秘を続けた。

 アイリス・サンガーは、ノーベル賞の名誉だけは守ってやると言って、アーサー・ヒルをピストルで殺害した。

 日本で最大発行部数を誇る新聞社のロンドン特派員である白石は、ジャーナリストの仕事は権威を疑い、タブーに

光をあてることにあり、神話化されているノーベル賞の欺瞞性を洗い出す事だから、津田に力を貸してほしいと頼む。

しかし、津田は、何か大切な部分が希釈されるような気がした。

 津田は、フランスに戻り、紀子に一部始終を話した。

 教授の椅子から放射性同位元素が見つかれば、アーサー・ヒルとアイリス・サンガーの犯罪は動かしがたい事実に

なるが、紀子は、「もう父は帰って来ません。そのままアーサー・ヒルの柩の中に納めておいてよいのではないでしょう

か」とはっきりした表情で言った。

 

【報告者の感想】   安藤みどり

 精神科医でもある作者の作品は、処方箋を頂いているような気持です。 アーサー・ヒルの印象が細かく描写され、

脾弱さではなく、偏執的な凄味が全身から発散していて負けず嫌いの性格。それは、母親の口癖の、「常に最高を目

指す。2番3番になるのは、ビリと同じでお母さんはちっとも嬉しくない。」から作り上げられたものでしょうか。

アントニオ・ルイスは、退院した日に、河原で子供たちが足蹴にして殺してしまったモグラを、素手で穴を掘り埋め

てやるという、命を尊ぶ持ち主であることがわかります。 アル中患者の場面では、「酒は、どんな専制君主よりも

残酷に人を操る。」と断言している。 しかし、必ず抜け出す事が出来ると示唆しているようです。  父を失った

紀子は、何もする気がなく自室に閉じこもっていたが、スゴンザックの素直に自然と向き合う絵画に出会い、フラン

スへ渡り初めて「要は自分が何を書くか自分を等身大に見ることができるようになった」と自分の力で歩き始めた。

紀子の母からの手紙は、日本のお母さんらしいほのぼのとした気持ちが伝わります。 リューマチで硬くなった足首が

少しずつ曲がるようになったのは、イギリスで生まれた妊婦や身障者のリハビリにも活用されているダンスを始めた

からだと教えてくれています。科学研究も自然淘汰の世界で、庭では蛇が小鳥の雛を捕えた情況が描かれ、生きること

の厳しさを教えてくれていると同時に、淀んではいけないと教えてくれている作品でした。



みんなの感想】     記録   伊藤 いち子


A: 人を蹴落とすためには何でもやるのかということ。

ライバル心競争がよく描かれているが、イスのトリックは現実離れしていないか。

津田と紀子の恋愛がやわらかく描かれていて、クッションのような役目をしていてよかった。

B:: この人の作品は初めて読んだが、一気に読めました。ほかの作品も読んでみたい。

ヒルはマザコンなのだろうか。母にほめられただけで生きてきてあわれな人だと思った。

ノーベル医学賞を扱う着想に驚いた。また津田がヒルの車に乗って追及する場面はドキドキした。

C: 賞の裏に犯罪を隠していて、それを表に出さずに事件を終わらせるというのがタイトルの意味なのだろうか。

出だしの書き方が科学的でよくあるミステリーものとはちょっと違っている。

D: 主な登場人物津田・白石・ルイスがそれぞれにバラバラに登場しそれらバラバラな場面がだんだん一つに

まとめられていく構成が緻密で、ヨーロッパ各地の風景がさらっとでているだけなのが適切でうまい。

E: アル中患者の表現が的確だと思った。

ノーベル賞受賞場面がどういう具合に後の展開に結びついていくのか、理解するのに時間がかかった。

カタカナ名が多いので、名前を覚えるのに苦労した。

F: 読むほどにおもしろくなった。始めはなかなか進まなかったが、暇を見つけて少しずつ読もうという気持ちに

なってくる。論文を発表するまでの大変さはよくわかった。

G:
 世の中のすべて裏と表があるもので、学術雑誌に論文が載るのもバックが、すなわち自分がついている教授の

力がいるということがあるのか。依然国内の美術展に入選した人物が、著名画家の弟子だったということがニュースと

なり、また、音大に入学するためにはその音大の教授に個人レッスンをしてもらうのは当たり前のことのようにいわれて

いるので、これらは全部根元の部分の考え方は同じということか。

H: ノーベル賞は最も公正な審査がされてばかりいると思っていたが、現実はどうもそうではないらしい。

I:
 結末の部分で、本はヒル悪業を全部表にさらすことをしていないが、自分としてはちゃんと公表してほしかった。

もっと勧善懲悪的にきっちりと終わってくれた方が、すっきりすると思う。


【個人の感想】      川地 元康

『賞の柩』を読んで まず印象として作者の広い医学生理学の豊富な知識、文学的教養、特に最初の皮肉のこもった警句は面白いですね。留学の経験からくる、ブ
タペスト、パリ、南仏、バルセロナ、ロンドンの正確で的確な描写、昔回ったヨーロッパの景色風俗が目に浮かんできました。
 

物語の雄大さ、国際的な物語、大学の研究の様子、論文の世界、日本人ならみんなが憧れるノーベル賞受賞の話、さらに受賞者、賞そのものに対する疑問や皮肉を描いた問題作ですね。 

津田がアーサーヒルのノーベル賞単独受賞の新聞を読み、ふとヒルと同じ研究をしていた人たちはどうしたのかを調べるうち、清原教授の随筆に出てくるアントニオ・ルイスを知り、そこに不正のにおいを嗅ぎつけ、彼の正義感、好奇心で調べ出すとこから物語が始まりました。 

ロバート・アンダーソンは、ヒルとの論争に負けて自殺、アルベルト・ヘビェシーは死亡、清原教授と同じ白血病、どちらもアイルス・サンガーの留学を受け入ていた事、しかもどちらも紹介したのがアーサーヒルである事、ヒルはアーネット・サンガーと共同で論文を出していた事、しかも筆頭筆者がアーネットだったこと、死因が白血病だったこと、清原教授の後任の目崎教授が白血病になった事で、すべての謎を津田は理解しました。 

ジャーナリスト白石のアーサー・ヒルへのインタビューを通じ、ヒルの人となりが明らかになっていきます。ヒルは父を早く亡くし非常に貧しい生活、丘の上の大きな屋敷に母を住まわせたいと思っていた事が、彼の強い上昇意欲、野望の原点であること、母と子の異常とも言える強い絆が分かってきます。 

アントニオ・ルイス、彼も貧しい暮らしの中アルバイトで学校を出、血の滲むような5年間の成果の論文がヒルにより不採用になって僅か半年後に、ヒルの名で自分と同じ題と内容の論文が発表され、研究者としての命を絶たれました。酒に逃げ、何度も精神病院に入院し、最後に妻子が家を出て強い孤独感の中、ある決心をしてロンドンに行き、ヒルを襲いました。明らかに殺せたのに殺さなかったのは、もう過去のヒルへの恨みと、自分の自堕落な生活を断ち切り、刑務所を出たときは別人になって、もし許してもらえれば妻子と共に歩きたいと思っているのだと感じました。 

アイルス・サンガーは父をヒルに殺され、貧しい暮らしの中、母が過労でなくなり養護院で育ち、ヒルは良心が痛んだのか、彼女を援助し大学を出し、その後も彼女を援助しました。孤独な彼女は彼を愛し何でも彼の命令に従うようになり、二人の教授を殺し、堕胎も彼の命令に従いましたが、自分の父親が彼に殺されたのを知り彼を殺しました。が、最後まで彼をまだ愛していたのでしょう、ノーベル賞の名誉だけは守ってあげたのが、とても哀れです。 

津田がヒルを訪ね、彼にアントニオの手柄を盗んだ事、清原、ヘビェシー教授の殺害とアイルス・サンガーの父を殺害したのだろうと、彼に迫った時、紳士面した仮面を脱ぎすて、津田を殺そうとした箇所に背筋が寒くなる冷血さと恐怖を感じました。津田、白石、アントニオ、アイルスを通し次第にアーサーヒルの人となり、その冷酷な性格と犯罪が明らかになっていく物語は良く計算され、物語にひきつけられました。面白くすぐれた作品だと思いました。 

ノーベル賞の意味。日本人は無条件で称賛し、まるで神のように崇めてしまいますが、表彰された人の陰に、研究、実験を手伝ったたくさんの人、彼にヒントを与えた人たち、さらにたくさんの先人の功績の上に築かれている事を考えてほしく、報道もそうした人にもスポットを当てて欲しいです。沢山いる人たちの代表と思った方がいいと思います。 

後日、本人が崇めるのがオリンピックです。もちろん優勝は立派ですが、人々の生活が便利になったりするものではない事、あまりに称賛され過ぎだと思っています。CD、デジタルカメラ、メモリー、ビデオ、ウォークマンなど開発した人たちも、金メダルをあげたいです。 

私が若いとき、強く恨んだ人がいました、絶対思い知らせてやる、とある人に話したとき、彼は「復讐するもの穴二つ、ということを知っているか、穴は墓穴で一つは仇のもので、もう一つは自分の墓です。復讐は必ず相手も自分も傷つきます。復讐するエネルギーは自分の将来のために使った方がいい」と言われました。なるほどと思い、自分のモットーとしてきました。アントニオもアイルスも復讐などしないで、自分の未来の為そのエネルギーを使って欲しかったです。でも、それでは物語にならないですね。色々な賞、復讐、冷酷さについて考えさせられる物語でした。

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