『春琴抄』 レジメ      2015.06.08   報告者 安藤 邦男

【物語の背景】

・『春琴抄』は満州事変2年後の1933年(昭和8年)に、谷崎潤一郎(18861965・明治19年-昭和40年)が47歳のとき中央公論(6月号)に発表した作品。

・この物語にはモデルはあるとされている。春琴の人物造形に影響を与えたのではないかと言われているのが、人間国宝だった箏の演奏家・菊原(きくはら)初子(はつこ)である。初子の父、菊原(こと)()4歳で失明した地歌箏曲家)は、潤一郎に地歌を教えたことがあったが、娘の菊原初子に手を引かれて谷崎邸へ出稽古に通った姿を見て、潤一郎は物語の着想を得たと伝えられている。

・菊原初子(1899年-2001年)は地歌箏曲演奏家で、人間国宝。四十数年を費やして最古の三味線音楽「組歌」の楽譜化、録音をするなど、古典の伝承と普及に努めた。

・『春琴抄』の舞台は薬種問屋街として知られる道修町(どしょうまち)であるが、一筋北の伏見町に初子の生家があった。近くに少彦名(すくなひこな)神社(じんじゃ)があり、2000年にはその入り口に初子の揮毫による「春琴抄」の記念碑が作られた。

【代表的事典による『春琴抄』の解説】

・ブリタニカ国際百科事典

失明の美女で誇り高い琴の師匠春琴は、求愛を退けた男に熱湯を浴びせられて醜い顔になる。一途に春琴を慕う奉公人の佐助は自ら目を潰して春琴の傷心に殉じ、失明の師弟として生涯を送ることとなる。作者の被虐的女性崇拝の思想の頂点をきわめた作品である。

・世界大百科事典

大阪道修町の商家の娘春琴は幼くして失明、琴三絃の世界で天才ともてはやされたが、その性質は驕慢で、ために何者かに顔に熱湯を浴びせられて醜く変相する。春琴の門弟で、女師匠に深い愛情を抱いていた奉公人佐助は、自分の手で針を眼に突きさし、盲目の身となる。物語はこの2人の愛の完成を描く。作者は、このおよそ世にありえぬストーリーに現実感を与えるために工夫を凝らし、みずから〈物語風〉と名づけた新しい話法を開拓している。何度も映画化されているほど著名な作品である。

・ウィキペディア

1933年(昭和8年)6月、『中央公論』に発表された。盲目三味線奏者春琴に丁稚の佐助が献身的に仕えていく物語の中で、マゾヒズムを超越した本質的な耽美主義を描く。句読点や改行を大胆に省略した独自の文体が特徴

【あらすじ】

・この物語は、語り手が大阪市内の下寺町にある某寺院に春琴の墓を尋ねるところから始まる。墓石の裏には明治191014日没、行年58歳とあり、側面に温井佐助建之とある。その側には琴女の半分ぐらいの大きさの温井佐助の墓があり、明治401014日没、行年83歳と記載。二つの墓は師弟の契りを語り合っているように見えたとある。

・語り手が春琴なる人物を知るにいたったのは、佐助が書いたといわれる「鵙屋(もずや)春琴傳」という小冊子を入手したからである

・この「春琴伝」によれば、琴女は9歳のとき眼病で失明したが、悲しんだ鵙屋の安左衛門夫婦は彼女に三味線を習わせるため、(しゅん)(しょう)検校(けんぎょう)の許へ通わせることにした。同じころに鵙屋に奉公に上がった13歳の佐助は、春琴の守り役となり、彼女の手を引いて三味線の稽古に通うことになった。

・春琴は裕福な薬種問屋の娘として育てられ、我儘で気難しい娘に育っていた。目が見えなくなってからはさらに我儘になり、佐助につらく当たったが、佐助はむしろ邪険に取り扱われるのが好きなようであった。

・一方佐助は、春琴の稽古を次の間で待っているうちに、自然と音曲を覚えるようになり、小遣い銭で古三味線を買い、ほかの奉公人たちが寝静まった夜、押し入れの中で稽古した。それを知った春琴は両親の許しを得て、夕食後佐助に教えることになり、ここに11歳の少女と15歳の少年とは主従の上に師弟の契りも結ぶことになる。

・しかし、春琴の佐助への稽古は厳しすぎて、佐助はいつもひいひいと泣いた。このままでは外聞も悪いし、娘のためにもならないとして、鵙屋夫婦は春琴に佐助への稽古を禁じ、佐助を春松検校の許へ入門させた。それからは二人で三味線の稽古に通うことになった。

・そんなころ母親が気付いてみると、春琴の体がただならぬ様子である。そのうちに誰の目にも妊娠だと判るようになった。春琴に腹の子の親は誰かと問い詰めても、知らぬ存ぜぬ、まして佐助ではないという。佐助に問い質しても、身に覚えはないと言い、遂にはこいさんとの約束、口が裂けても言えないという。

・両親は春琴に佐助との結婚を勧めるが、彼女は「丁稚と結婚などできるか」と言って拒否。そして17歳のとき、佐助そっくりの子を出産する。だがその子はすぐに里子に出されてしまう。

・二人はそのままの関係を続けていたが、春琴が20歳のとき、春松検校が死去したのを機会に独立、親の許しを得て一家を構え、佐助はそれに同行した。

・春琴は弟子をとって三味線の教授をしたが、入門者はそれほど多くなく、家計は苦しかった。一つには父親が亡くなり、家督を継いだ兄は以前ほど資金援助をしてくれなかったし、もう一つは春琴の鶯や雲雀を愛玩する趣味に、多額の費用が掛かったことである。

・春琴はますます吝嗇になり、月謝が滞りがちで付け届けの悪い弟子を破門したり、イライラが高じて、出来の悪い弟子につらく当たったりした。

・「春琴伝」によれば、そんな3月の夜、佐助は春琴の苦吟する声に驚き、駆けつけてみると、賊はすでに逃げた後であったが、鉄瓶の熱湯が春琴の頭上に投げつけられ、火傷を受けていた。その時以来、春琴は縮緬の頭巾で顔を覆い、誰にも傷跡を見せなかったとある。

・犯人が誰であるかについては諸説がある。恨みを持った弟子ではないかという説、そんな弟子の一人に雑穀商の倅である利太郎がいるが、彼は稽古の出来が悪いと言って春琴に額を撥でたたかれ、出血した。また恨みを持つ者に、春琴の女弟子の父親がいて、少女への折檻の傷痕が額に残ったとき、父親が怒鳴り込んできたという。そのほか、春琴の商売敵である検校や女師匠が彼女を恨んで犯行に及んだかもしれないし、また佐助を妬んだ者が佐助を悲しませるために春琴を傷つけたという説もある。

・「春琴伝」では、その10日後、佐助は白内障を患い、俄かめくらになったと書いてある。彼は春琴の前に出て曰く「一生お師匠様のお顔の(きず)を見ずに済む也」。だが語り手は、この記述は当てにならない書く

鴫沢(しぎざわ)てるなどの証言によれば、賊は春琴に熱湯をかけるのが目的で、まともに熱湯を顔に注ぎ、春琴は気を失い、皮膚はただれるほどの重症で、乾くのに2か月はかかったという。

・春琴の死後、10年以上経ってから、佐助は自分の失明の経緯を側近の者に語ったという。それによれば、春琴は佐助に、やがて傷も癒えれば繃帯をとることになり、そうすればこの顔をお前に見られるのが悲しいと泣いたという。それからしばらくして、佐助は女中部屋から鏡台と縫い針を持ってきて、鏡を見ながら目の中に針を突き刺した。白眼は堅かったが黒目は柔らかく針が簡単に入り、たちまち眼球が白濁し、視力がぼやけた。両眼ともそうすると、10日程のちには完全に見えなくなった。

・しかし佐助は春琴に対しては、自分がめしいになったのはお師匠様を守れなかった罰をお与えくださいと神仏にお願いし、その念願がかなって目が見えなくなりましたと言い、自分でつぶしたとは決して言わなかった。しかし、春琴は佐助が自分で目をついたことを知っていたように、行間からは読み取れる。いずれにせよ、このあたりは本書随一の感動的な場面である。「ほど経て春琴が起き出たころ・・・」

・その後、俄かめくらになった佐助は春琴を助けながら、自らも弟子に教える生活を続けた。その二人の面倒を見たのは鴫沢てるであった。

・てる女が佐助から聞いた話では、盲目になることは不幸せではなくて、この世が極楽浄土のように思える。目明きのときに見えなかったものがいろいろ見えてくる。琴三味線の美しさ、お師匠さんの声の美しさ、肌の滑らかさなど、目しいになってから一層感じられるようになったという。

・てる女は春琴の死後は佐助に仕え、佐助が検校になった明治23年まで仕えた。

・春琴は明治19年に58歳で死に、佐助はその21年後の明治4083歳で死んだ。

・天龍寺の峨山和尚(実在)は佐助の行為は「醜を美に転換」という禅機(悟りの境地)だと賞賛したという。

【映画化】(ウィキペディアより)

・映画

1935年「春琴抄 お琴と佐助」(制作:松竹蒲田、監督:島津保次郎)春琴:田中絹代/佐助:高田浩吉

1954年「春琴物語」(制作:大映、監督:伊藤大輔)春琴:京マチ子/佐助:花柳喜章

1961年「お琴と佐助」(制作:大映、監督:衣笠貞之助)春琴:山本富士子/佐助:本郷功次郎

1972年「讃歌」(制作:近代映画協会等、監督:新藤兼人)春琴:渡辺督子/佐助:河原崎次郎

1976年「春琴抄」(配給:東宝、監督:西河克己)春琴:山口百恵/佐助:三浦友和

2008 「春琴抄」(配給:ビデオプランニング 監督:金田敬)春琴:長澤奈央/佐助:斎藤工

・テレビドラマ・舞台(省略)

【谷崎潤一郎 略 歴】

1886(明治19724日、東京市日本橋区蠣殻町(現、中央区日本橋人形町)に誕生

1901(明治3415 東京府立第一中学校(現、日比谷高校)に入学、辰野隆らを知る

1905(明治3819 第一高等学校英法科入学

1908(明治4122 東京帝国大学国文科入学

1910(明治4324 小山内薫、和辻哲郎らと第二次『新思潮』を創刊。『誕生』『象』『刺青』など発表

1911~12(明治4445)『少年』『悪魔』発表

1915(大正429 石川千代子と結婚 『お艶殺し』発表

1917~19(大正68)『異端者の悲しみ』『母を恋ふる記』発表

1923(大正12)箱根で関東大震災に遭い、関西に移住

1924~29(大正13~昭4)『痴人の愛』『卍』『蓼喰ふ虫』発表

1930(昭和5)妻千代と離婚。千代は佐藤春夫と結婚する旨発表する

1931(昭和6)古川()未子(みこ)と結婚

193133(昭和68)『吉野葛』『盲目物語』『武州公秘話』『蘆刈』『春琴抄』発表

1934(昭和9)妻()未子(みこ)と離婚

1935(昭和10)根津松子と結婚

1937(昭和12)帝国芸術院会員となる。『猫と庄造と二人のをんな』

193941(昭和1416)『潤一郎訳源氏物語』全26巻刊行

1943(昭和18)『細雪』連載開始するも軍部の忌諱に触れ、発表禁止

194447(昭和1922)『細雪』上・中・下巻発表

1949(昭和24)文化勲章受章。

195061(昭和2536)『少将滋幹の母』『鍵』『夢の浮橋』『瘋癲老人日記』

1965(昭和40730日、心不全のため死去。京都市左京区の法然院に葬られる

【報告者の感想】        安藤 邦男

文体について

・句読点や改行のない文章で、一見読みにくいように思えるが、さすが文章の達人、全体のリズムに乗って流れるように読み進むことができる。『文章読本』では、英文と日本文とを比較しながら、いかに意識的に書くかを述べているようだが、『春琴抄』では古い日本語の文体の持つ味わいを出そうとしている。

構成について

・潤一郎は『春琴抄後語』のなかで、「私は春琴抄を書くとき、いかなる形式を取ったならば、ほんとうらしい感じを与えることが出来るかの一事が、何よりも頭の中にあった」と書く。事実に基づいた歴史小説のスタイル。『鵙屋(もずや)春琴傳』(これは佐助が書いたとしている)を拠り所にし、春琴と親交のあった鴫沢(しぎざわ)てるの話を援用したり、結びの文章では天龍寺の峨山和尚という実在の人物を登場させたりして、考証を重ねて史実の正確を期したかの如き描き方をしている。

狭い人工的世界

・この作品の特徴は社会から隔絶した趣味あるいは芸能の世界、そこで濃縮された官能の世界を描く。「社会が書けていない」という批評があるが、美は社会性を切り離したところに一層純粋なものが生まれるという唯美主義の考え方である。健常人の目には世界は雑然と映じるが、盲人の世界には一切の夾雑物がなく、暗黒の中にこそ鮮明なイメージが存在するからだ。

心理描写について

・『春琴抄後語』の中で、「春琴や佐助の心理が書けていないという批評に対しては、何故心理を描く必要があるのか、あれで分かっているではないかという反問を呈したい」と書いている。潤一郎にとって佐助は自分自身であり、その気持ちは十分描いたという自信がある。しかし春琴は女性であり、その気持ちは忖度する以外にない、女性はその美しさを外側から眺め、それを賛美すればよいと思っている。

心の通じ合った二人

・気位が高く、我儘で、自分本位だった春琴は、事故の後は第に優しくなっていった。佐助が自分も盲目になったと春琴に語ったとき、春琴にはそれが佐助の自損行為だと判かり、春琴の自我は音を立てて崩れた。初めて二人の心が通じ合い、ともに泣いた場面は感動的であった。


【出席者の感想】     記 録   平野 友子

・報告者の解説に全て尽きている。「無法松の一生」に通じる。奉仕する、尽くす姿と似ている。佐助が自分の目を突いて盲人になる場面はゾッとするが、強烈な印象である。刺激の中で男女の関係を表している。句読点が無いが読みやすく、文章の長さも丁度よかった。家業を継ぐために奉公に出た佐助が、春琴に一生仕えることになり、こんな人間がこの世にいるのかと驚く。世俗を容れず、80数年の生涯を送るが、一筋に生きていけることが素晴らしい。芸術を探求する人は、こんな風だから成功するのだとも思える。

・字の小ささや句読点のない文章が読みづらく、文章が上手いと言われているが、自分は味わうことができなかった。句読点のない文章というのはきっと意味があるだろう。二人の関係のような滅私奉公的なものは苦手である。春琴の性格の悪さも作品も、共々受け入れがたい。

・第三者の視点として描かれているので、小説の中になかなか入り込めなかった。春琴の性格についても苛々したり、腹立たしい気持ちになり、受け入れがたいものがある。大阪商人の主従関係の特殊さなのかと思う。なかなか感想が書けない作品であった。

・佐助の春琴への献身に圧倒された。苦難が人を成長させ、心の通じる夫婦になった。自分の父母のことを思い出した。かつては体罰も愛情表現であり吝嗇も生活の知恵。愛の理想だが三条件(盲人の為世界が狭い、裕福、子供が無いなど)が必要。濃密な空想が作り出したファンタジーであると思う。

・流れるような文章で読みやすく、朗読に使いたいほどである。佐助そのものが谷崎である。とことん美を追求し、女性を最高の姿まで持っていこうとするが、現実にはいない。佐助は自分を犠牲にして一生尽くせる女性に出会えて幸せだったのだと思う。

・当初、実在した人物なのかフィクションなのかわからないことが多かったが、今日の解説でよく理解できた。佐助は谷崎の気持ちであり、男性はこういう感情になる。断片的な事件で主人公の人間性がわかる。旋律的な流れで読みやすく、難しい語句も注釈があってわかりやすい。

・文体、日本語が美しい。句読点が無くて読み辛かったが、流れるようだ。レジュメで物語の背景がわかり勉強になった。クライマックスの描き方は究極の愛であり、観念的世界を文章で味わえる。谷崎の被虐的な性格の表れであり、美に対する憧れの強さでもある。

・谷崎は好きな作家である。究極の愛であるが、崇めるだけではなく、春琴のケチなど嫌らしい部分も書いている。被虐的ではなく、美を追求している。「痴人の愛」の後に書かれているが順当な感じ。同じ盲人を題材にしたものでも、井上ひさしは「藪原検校」で悪の世界を描いていて面白い。

・再読して傑作と思う。作家の河野多恵子も最高傑作と絶賛していた。個人的経験を二つ(押し入れの中での寒中の勉強と鶯の鳴き声にまつわる話)思い出した。お墓の話など実話めいた表現が上手い。松子夫人への手紙など、ひれ伏すさまがまるで佐助のようである。

・句読点のない文章だが、流麗で苦にならない。第三者の視点で描かれているので、生々しさが緩和されている。盲人の世界の捉え方が絶妙。谷崎の子供嫌いなど美意識がある。今の若い人たちには「ツンデレ文学」の最高峰という、新しい受け入れ方をされている。

【感 想】   川地 元康

まず佐助のこいさんへの献身に、圧倒されました。良家で大事に育てられた美人で聡明なこいさんを、田舎育ちの佐助にはきっとまぶしかったと思います。こいさんのお供をしていくうち、佐助のこいさんへの憧れ、尊敬、献身が、お嬢さんに伝わったのでしょうか。恋仲になっていきましたが、家来筋の佐助を夫として迎えることなど、自分を侮辱することであり、目下の人間と肉体の縁を結んだことを恥だと感じたのか、結婚の話を断り、子の父親の名前を明かすことも強硬に拒否しました。身分の上下に厳しい封建の時代の価値観だったのでしょうか。

こいさんは先生の検校亡きあと、門戸を構え独立していき、佐助もあくまで弟子兼使用人として春琴に従いました。佐助は師匠の洗濯、飲食、寝起き、入浴、排せつ、服の脱着、爪の手入れ,あんま、冷えるときは足を温めたりと、美食家の師匠のため少しずつでもたくさんの種類のおかずを用意して食べさせたり、きれい好きの師匠のための掃除、三味線の稽古など、考えただけでも大変だと思います。しかし佐助は苦労と感じず、春琴にしてあげることを自分の喜びとしていました。不思議ですね。人に大事にされるのは嬉しいことですが、逆に人のためにしてあげることもうれしいと感じるのは、人間の素晴らしさですね。まして大好きな人を喜ばすことが佐助にとって、大きな喜びと満足を感じ取っていたみたいですね。

春琴が顔に熱湯をかけられ、その美貌が失われ、「お前にだけは見られたくない」の言葉に、佐助は自ら針で目をつぶしめくらになりました、この行為が春琴を変え、師匠と弟子、主人と奉公人の関係から、本当に心の通じる夫婦になり、お互いにいたわり合う二人になったみたいですね。苦難が人を成長させ、強くさせると言われますが、春琴は佐助と本当の夫婦になり、佐助は春琴の体を隅々までよく知り、師匠の三味線の本当の素晴らしさを感じるようになりました。そして何時までも変わらない、美人で、気高く、凛としたこいさんを手に入れました。

若いころ、私は世の中はすごく不公平だと思っていました。大金持ちがいればまた赤貧の人もいます。美人で聡明な人もいれば、そうでもない人もいます。でも苦難が人を成長させると思うようになってから、そんなに不公平じゃないと思うようになりました。

また父と母のことも思い出しました、春琴は非常に厳しく指導し、時には力で罰しました。父も足や頭に傷がありました。大工の修業中に親方から叱られた跡です。父たちの時代には、体罰は愛情の表現だと考えられていたみたいです。これで一人前の大工に成れたと言っていました。私たちの子供時代も、叩かれることは、怒られる方も叱る方も当然のことと思っていました。

春琴は、外面はいいが内面は悪く、付き合いのための出費は思い切って出しますが、非常につつましく生活していました。これは私の母と同じです。たぶん昔の人は家族、親戚、近所の人たちの集団中で暮らし、そこで助け合い、情報を得、話し相手を得て生活をしいました。村八分になることを非常に恐れていたみたいです。これも昔の人の生活の知恵なのでしょうか。

生きて来ていろんな御夫婦を見ましたが、仲がいい御夫婦はほとんど御主人が優しく寛大で、奥さんの美点も欠点も全部を受け入れ、奥さんそのままを大切にされています。奥さんが生き生きして幸福そうにしています。その究極の夫婦が佐助と春琴の二人なのでしょうか。美人だけれど気難しく、威張っていて、わがままで、ひにくれていて、すぐへそをまげる、そんな春琴をそのまま受け入れ、愛しつづけた佐助を、愛の理想としてこの小説を書いたのでしょうか。でも、私は自分の目を針で突くことは出来ないと感じました。

この物語にはいくつかの条件が付きます。まずこいさんが目が見えないこと、で佐助以外の人と知り合う機会が極端に少ないこと、裕福な家庭であること、お手伝いさんを複数雇うことができること、働かなくてもよい経済状態であること、仕事があり生活に追われては、このような濃密な二人だけの生活が出来ないこと、子供が生まれましたが、3人とも養子に出し育てなかったこと、二人の間に子供がいたらこのような密着した二人ではいられないことなど、私には実際にはあり得ない空想が作り出したファンタジーのように感じました。作者に愛の理想を描いたのか、美しい愛のファンタジーを描いたのか、聞きたい気がしました。

鶯、ひばりの話も興味深く読めました。あと鶯のふんやへちま水は母が使っていて懐かしく感じました。

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