レジュメ 千葉敦子 『死への準備日記』 報告者 伊藤いち子 

                        
平成29年11月13日(月)

【著者略歴】

1940.11.06

上海で誕生

1946

帰国して福島県に住まうが、その後千葉県に転居

1950

小学5年に東京都太田区へ転居

1959

日比谷高校卒業

1962

父、死去

1964

学習院大学卒業。東京新聞入社

1967

ハーバード大学大学院に留学

1981

都立駒込病院で乳癌の手術を受ける

1983

癌再発。ニューヨークに引越

1984

癌再々発

1986

4度目の癌再発

1987.07.09

死去 享年46

1988

ニューヨークに財団法人「千葉敦子基金」設立

1990

ハーバード大学ニーマン基金本部と合意、学内に「千葉・ニーマン基金」設立



【著作】

1981

「乳がんなんかに敗けられない」

1982

「ニューウーマン」,「わたしの乳房再建」

1983

「寄りかかっては生きられない」

1985

「ちょっとおかしいぞ日本人」

1986

「ニューヨークでがんと生きる」

1987

「よく死ぬことは よく生きることだ」,「死への準備」日記



【作品について】

 三度目の癌が再発した1986.11.23~1987.07.07に亡くなる2日前までの著者の闘病日記。

 副作用に苦しみながらも日々の生活や病気のことだけでなく政治や経済についてまでも書いたもので、自立した考え方や強い精神力には驚かされる。


【作中に出てきたあれこれ】

 (1)中曽根発言
   1986.09.22 知的水準発言
   「アメリカには黒人とかプエルトリコとかメキシカンとか そういうのが相当おって 平均的にみたらまだ低い。」
   これに対しアメリカの各方面が強く反発し、日本大使館には抗議の電話が殺到した。
   日本航空ニューヨーク支店日本領事館には爆発予告があった。

 (2)ニーマン財団
   対象は中堅の記者で3,40代が多い。受賞者はハーバードを拠点に1年間研究する機会を与えられ、十分な生活費の他にも子供のいる家庭にはベビーシッター代が支給され、配偶者でも 授業やセミナーに参加することができた。設立当時は男性のみだったが、今では毎年アメリカ枠12名、世界各国枠12名で、男女比も半々となっている。

 (3)超電導について
   超電導とは特定の金属や化合物などの物質を非常た低い温度で冷却した時に電気抵抗が急激 にゼロになる現象。
   1911年にオランダ物理学者オンネスが水銀の電気抵抗が"-268.80C"で無くなることを発見した。これが始まりとされる。 
   文中に出てくる超電導は1986年までは金属が主役だったが酸化物(絶縁体)の超電導は発見されたこと、液体窒素(-1960C)で実験ができるようにうなったことを言うのではないだろうか。

 (4)米沢富美子
   1938年生まれ。京大理学部物理学科卒業。慶応大学名誉教授。1983,84年の2回に乳癌の手術を受けている。

 (5)イラン・コントラ事件
   1986年11月、ホワイトハウスの国家安全保障会議がイランに対し1985年夏から86年秋にかけてイスラエル経由で武器を輸出し、その代金の一部をニカラグアの反政府右派ゲリラ「コントラ」への援助に流用していたことが発覚した。当時アメリカ政府はイランと交渉せず武器輸出もしないと国際的には宣言しており、コントラへの援助も議会によって法的に禁止されていた。ホワイトハウスがこれらに違反し、レーガン大統領も禁止しなかったことが非難され、政府は最大の危機に見舞われた。

 (6)ゴッホ「ひまわり」について
   1987年3月 安田火災が約3,992万ドル(当時レートで 約58億円)で落札。当時、贋作ではないかと噂されたが、ゴッホ美術館の学芸員によって本物と確認されている。現在は東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館が所蔵している。1986年の入館者は3万人だが1987年24万人、1988年21万人と「ひまわり」効果が現れている。


【当時の日本とアメリカ】

日本

アメリカ

/

1986

総理大臣 中曽根康弘

男女雇用機会均等法施行

NTT株式を売出(11,117,400)

伊豆大島噴火で全島民、島外避難。

スペースシャトル「チャレンジャー号」が打上爆発

自由の女神誕生100

大統領はロナルド・レーガン

202.00

1987

国鉄の分割民営化

ロッキード事件で田中角栄の控訴棄却。

朝日新聞名古屋本社銃撃事件

ブラックマンデー10/19㈪ 

(NYD先週比▲$508)

158.26



【がん関連の本】

佐野洋子 『死ぬ気まんまん』

・「”癌との壮絶な戦いをする人” と ”'闘病記” が大嫌いだ」という著者は癌再発後、余命を知らされると老後の心配が無くなったと言って外車を買い、残りの人生を楽しく過ごすためには     どうしたらよいかを考える明るい癌患者の本。

米原真理 『打ちのめされるようなすごい本』

・卵巣癌の手術後に読んだ癌治療本を試してみた結果をまとめたもの。本人納得の人体実験レポートといったところでその経過について、興味津々で読んでしまう。


【わたしの感想】 伊藤 いち子

20数年前に読んだ時は唯々、著者のパワーに圧倒されて、その生き方をすごいと一言で片づけていたような気がする。

今回改めて読み直してみると確かに著者の考え方生き方は多くの人と違っているし、意思の強さも並大抵のものではない。

周りの手助けはもちろんあるが、最後まで自分でできることは自分でやろうとし、人生を楽しむことをやめない行動力には頭が下がる。

しかしその反面、前回気が付かなかった事に目が行くようになる。例えば、多くの面でアメリカはとても優れているという思いや、日本の人口など時代の違いはあるものの素直にはうなずけない。


【みんなの感想】 記録&文責 安藤 邦男

・感銘を受けた文章がある。「人は喪失体験を通じて成長する」、「死なずにいることと生きることは同じではない」、「死を見つめるより死ぬまでどう生きるかに関心がある」など。また平家物語の中の「見るべきほどのことは見つ」や、映画「南太平洋」の人種差別などを思い出して読んだ。彼女の生きる勇気には感心した。

・死を覚悟しての生きる力、精神力に感動した。アメリカと比較して日本の現状、とくに医療などの違い、その遅れを知った。また困難が成長を促すという考え方に同感した。

・自意識が強く独立心もあり素敵だが、ややエリート意識が鼻についた。民間療法を批判しているが一概に悪いとは言えないと思う。基金を作ったのは素晴らしい。まだまだの年齢で亡くなったのは惜しまれる。

・すごい生き方、死に方をした人だと感心した。それができたのは、彼女の信念の強さ、友人の支え、女というより人間としての生き方、困難の克服法を考えることなどだと思った。

・自分と同じ年代で、アメリカに憧れがあった。がんになってアメリカへ渡ったのも憧れからか。だががんと闘いながら、日米の文化の比較をしているのはえらいが、無理に背伸びをしている感じもした。

・賢い人だと思った。「移動型の人間」という言葉があったが、彼女も私も同じである。両親が労働運動をした人で、その反骨精神を受け継いでいるのではないか。がんになった友人も明るかった。私もそうなりたい。

・がん患者と聞いて、死の準備をしている人かと思ったが、全く違った。彼女の妹は「姉はわがままな人」といったが、自我意識は強かったようだ。私の友人も死の間際まで活動した人がいるが、立派だと思う。

・アメリカ第一の考え方が随所にみられる。がんで苦しい中にこんな文章を書く力は大したものだと思う。書くことで自分の気持ちを整理したのかとも思った。彼女は書くことが使命の人か。

・声を失ったものは書く以外に表現欲を満たすことができない。死を前にしての文章。自分もこんな文章を書きたいと思って読んだ。ただ人間的には、自分本位で、好きになれないタイプの人である。


【わたしの感想】 川地 元康

作者は素晴らしい人ですね、知的で、社交的で、沢山の良い友人を持ち、おしゃべりで、愛嬌が有り、勇気があり、度胸があり、なんにでも好奇心を持ち、文才があり、仕事の鬼であり、旅が好きであり、料理が好きで、おいしいものを愛し、花を愛し、歌、絵、芝居、踊りを愛し、またそれらを楽しむ経済的余裕も獲得し、やり手であり、成功者であり、まさしくスパーウーマンですね。生まれながらの才能もあったでしょうが、見えないとこで必死の努力をされたと思われます。

私の母たちなら、女にしておくのはもったいない、と言ったと思います、こんなことをいうと、きっと女性差別だと怒られそうですが。 

最後まで仕事を愛し、そのため、非常に辛い制癌剤の治療、放射線と、壮絶な戦いに挑んだのは、彼女らしく、敗北よりは玉砕のような勇ましさでした。たぶん緩和ケアーを受けるのは、彼女の生きざまから考えられなかったものと思われます。最後まで自分らしく戦いぬいた一生で、悔いは無いと思います。 

彼女は恋もされたみたいですね。二人はお互い生き方がすれ違ったのか、それとも仕事と自由のため別れたのか、知りたいですね。

彼女は女性差別や人種差別に関心があり、色んな場面で戦って行く強い意志と正義感や義務感がありましたね。とくに日本の差別のひどさ、女性の従順さや、消極的さに腹を立てていたみたいです。   

日本人の性に対する倫理観の欠如にも腹を立てていることを感じました。性産業の盛んな日本人には耳の痛い話です。日本社会の伝統なのでしょうか。日本の女性はその伝統に寛大なのでしょうか。

彼女は現代科学に対する信頼が厚く、合理的科学的に生きることを信条としています。だから神も信じないのだと思いました。私の若い時みたいです。後年、私は不合理のものにも価値を認めるようになったので、ひょっとすると彼女も年を取ると変わるかもと思ました。 

アメリカと日本の医療の違いが書かれていました。これについては、癌治療は現代では少し変わったと思います。ぜひ彼女の感想を聞きたいですね。 

アメリカ人は苦難にある人を慰めるだけでなく、何か楽しいことをして人生を楽しもうとすることを勧めるのが素敵で素晴らしいと思いました。 

文中に難解な部分が有りました。「神自身神の{意志的な死}によって死んだように思われる。(中略)愛に導かれて自分が消えて行くその瞬間に、彼は現実世界の悲劇的な美しさと人間の自由とに席を譲ることであろう。神の死を語る神学だけが現代という時代にふさわしい神学である」。この文章はよく理解が出来ませんが、現代に神は死んでおり、辛うじて神の代わりに愛と悲劇の美しさと自由が死に行く人の慰めになっている、と言っているように感じました。彼女はこの言葉に慰められ、また表現の詩的美しさに心打たれたようです。 

彼女の「子供を作るのは罪悪である」の言葉は理解できますが、残念にも感じました。もう一つ、学生時代の友人の電話で、何度もアメリカに来ながら一人も友人がいなく、子供が生きがいで、心躍ることが無いと言ったのに対し、詰まらないと感じたことが書かれていました。この友人は私自身みたいです。妻子を抱え,危ないことは出来ず、経済的理由や会社のノルマでいっぱいの生活、自分の楽しみは殆どあきらめ、生きている彼の気持ちがわかるだけに悲しいです。  

イランコントラ事件の時に党利党略だけでなく、与党も野党も国のため、真実を追求する姿にアメリカの民主主義の厚みを感ました。  

その他では、癌が寝ていれば良くなる病気でなく,仕事をし、楽しいことを体力が許せば楽しむという彼女とアメリカ人の考え方が素晴らしいと感じました。

ゴルバチョフ氏、サッチャー首相、レーガン大統領、中曽根首相、円高バブル経済など、懐かしい言葉が出て来ました。この激動の時代に立ち会えなかったのが、彼女にも私にも残念です。どんな記事を書くか見てみたかったです。 

彼女は私と全く逆の性格でした。積極的で社交的じっとしていることが出来なく、絶えず興味有ることに突進していきました。私は一人が好きで、暇が出来ると自然の中に何時間もボーとするのが好きでした。母の都合で引っ越したこと以外、自分で引っ越したことはありません。私は単身赴任は何回かありますが、そして彼女の生き方に尊敬は感じますが,自分には出来そうもなく、もしそうしたなら自分でなくなってしまう気がします。 

彼女がじぶんらしく生き抜いたように、私も自分らしく生きたいと思います。


            終わり