高 瀬 舟     森 鴎外                                             報告者  若林 孝之

 

出 典:   江戸時代の随筆集「翁草」中の「流人の話」から。

     「翁草」は神沢杜口(1710〜1795)著。初めの100巻は1772

(安永1)成立、後に100巻を追加。1905(明治38)刊。

     鎌倉〜江戸時代の伝説・奇談が諸書から技粋されている。

 

梗 概:   罪人を遠島するため高瀬川を下る舟に、弟殺しの罪を犯した喜助が

   乗せられていた。護送する同心羽田庄兵衛は、喜助の余りにも晴れやかな表 情に不審を抱き

  、その理由を尋ねる。

 

主 題: 「知足」

      「安楽死」

      「妻は好い身代の商人の家から向かへた」という庄兵衛の設定は、日英同盟 (1902年明治35 
      
      年締結)に対する寓喩であり、「知足」は対華21か条 要求(1915年大正4年  )への批判とする 
      
      見方がでてきた。歴史に依拠しながら、現代性を備えた作品との解釈が生じてきたのである。

 

鴎外年譜

     文久2年1862年2月17日 石見国津和野で誕生。本名林太郎。

     明治7年1874年 12歳 東京医学校予科へ入学

     明治14年 19歳 東京大学医学部卒業

     明治17年 ドイツ留学 明治21年9月帰国

     明治22年 西周の媒酌で赤松登志子と結婚

     明治23年 「舞姫」「うたかたの記」長男出生 登志子と離婚

     明治32年 小倉の第12師団軍医部長に補せらる

     明治35年 荒木志げと再婚   「即興詩人」刊行

     明治44年 「雁」の連載を始める

     大正 4年 「山椒大夫」を「中央公論」に発表

     大正 5年 「高瀬舟」を「中央公論」に発表 「渋江抽斎」を連載

        陸軍軍医総監・陸軍省医務局長を辞任

     大正11年1922年 60歳 7月9日死去

        生前「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」遺言口述筆記。

 

山 椒 大 夫    森 鴎外

 

出 典:中世末から近世に行われた語り物である説教節の「五説教」とよばれた名高い演目の一つ

     
「山椒大夫」から作品化された。

 

梗 概:: 安寿・厨子王とその母親は筑紫にいる父親に会うため旅立つ。人買いに騙され親子は離      

      れ離れとなる。安寿と厨子王は、山椒大夫に売られ、奴隷として、柴刈り潮汲みの労役に      

      就かされる。姉の勧めにより厨子王は脱走をはかるが、安寿は沼に入水する。厨子王は中     

      山の国分寺の曇猛律師に助けられ追っ手から逃れることができた。入京し、清水寺で一夜     

      を明かす。参篭していた関白師実がお告げにより厨子王と対面。彼が姉から渡されていた     

      守本尊で、師実の養女の病気が回復する。師実の庇護のもと、成人し丹後の国主になった     

      厨子王は人身売買を禁止する。佐渡へ渡り失明していた母親との再会を果たす。守本尊      

      のご加護で母親の視力は蘇った。

 

主 題: 説教節という出自からくる、勧善懲悪(復讐)と、仏の功徳尊重が基調ではあるものの、明治     
  
      44年制定の工場法批判が秘められているとの説もある。

   石川淳の評: 「山椒大夫」は無慙にも駄作である。よほど俗っぽく情緒纏綿としないと、こういうもの             
       
             は出来上がらない。俗情を伝説の中にすべりこませて、あまり奔放でもない空想で肥 

             大させて、美文の衣を着せたものである。褒め上手の人は詩があるとでもいうかも知れ

             ないが、あいにくその詩が恬然として腐臭を放っているのだから、褒めたことにはなる 

             まい。仕上げがきれいに行っているだけ悪質である。失敗の危険もないところに美があ

             るはずもなかった 。鴎外集中、くそおもしろくもない作品である。

 

     山崎説:  評論家・劇作家山崎正和は、著作「鴎外 闘う家長」

        一家の長としての 森鴎外  弟の養子縁組を断る 妹の結婚の決定

   「高瀬舟」の喜助は病身の弟を一家の長として引き受けていた。弟を庇護する

    無限責任の延長として自殺を助けた。彼にとって自殺幇助は公的な社会の

        次元では明白な罪であるが、家長という私的な世界でのみ、ほかに逃げ道

        のない正義として感じられていた。この私的な世界が十分な重みを持って

    いてその前のは公的な裁きもさして恐るるにたりないものに見えたにちが

    いない。「山椒大夫」の安寿も家長的決断をしたとみることができる。

     「反・悲劇的」人間

    逆境のなかでいきいきと蘇り、逆に自分の行動に新たな確信を感じ始める一群の人物たちであ    る。

     「雁」のお玉

     「最後の一句」の桂屋いち

     「護持院ヶ原の敵討」の山本りよ

     「安井夫人」

     「政江抽斎」の五百

     「山椒大夫」の安寿

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