【レジュメ】 平成29年7月10日

樋口一葉『たけくらべ』 報告者 若林孝之
               

【著者略歴】

一葉という人 「一葉の四季」森まゆみ

「一葉女史、樋口夏子君は東京の人なり」と、彼女の死後まもなく出た「校訂一葉全集」の巻頭に齋藤緑雨が書いている。緑雨は一葉の死後、彼女の妹邦子に、姉の作品の保全と公開を依頼された。

明治5年旧暦2月25日、一葉は現在の千代田区内幸町1-5-2で生まれた。父則義は東京府の役人で、明治8年より士族となった

明治29年11月23日、現文京区西片1-17-8の崖下の家で亡くなるまで、正味24年8ヶ月、9千日ほどの短い人生で、一葉が東京を出たのは、師中島歌子のお伴で埼玉の大宮公園に秋草見物に行ったただの一度でなかったろうか。 身長五尺たらず、髪はうすく、美人ではないが目に輝きがあった。

 

【作品の系譜】 (筑摩書房刊現代日本文学大系5から)

明治24年(1981)20歳

1月 未発表小説断片「かれ尾花一もと」

4月 日記「若葉かげ」を記しはじめた。

この年、小説10編ほど習作するも、公表に至らず。

明治25年

3月「闇櫻」半井桃水主宰の同人誌「武蔵野」に発表。以後

「たま襷」「別れ霜」「五月雨」「経つくえ」「うもれ木」

明治26年 「暁月夜」「雪の日」「琴の音」

明治27年 「花ごもり」「暗夜」「大つごもり」

明治28年 「たけくらべ」(1月より29年1月にかけて)「ゆく雲」「うつせみ」

「にごりえ」「やみ寄る」

明治29年(1896)25歳「この子」「裏紫」4月改稿「たけくらべ」発表

「めざまし草」の合評「三人冗語」が絶賛。5「月われから」

  日記の一節、「若葉かげ」(明治24年4月~5月)

花にあくがれ月にうかぶ折々のこころをかしきもまれにはあり。おもふこといはざらむは腹ふくるヽてふたとへも侍れば、おのが心にうれしともかなしともおもひあまりたるをもらすになん。さるはもとより世の人にみすべきものならねばふでに花なく文に艶なし、ただその折々をおのづからなるから、あるはあながちにひとりぼめして今更におもなきもあり、無下にいやしうてものわらひなるも多かり。名のみことごとしう若葉かげなどといふものから行末しげれの祝ひ心には侍らずかし。  卯のはなのうきよの中のうれたさに
     おのれのれ若葉のかげにこそすめ


【あらすじ】

「廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝に燈火うつる三階の騒ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行来にはかり知られぬ全盛をうらなひて、」と吉原裏竜泉寺町の情景描写から筆を起こし、この町に住む子供たちの対立する二つのグループに触れる。

 横町組の頭はとび職の息子長吉で16歳。親父の代理で、仁輪加の金棒曳き(警備役)を勤めたことで、幅を利かしている。しかし年末の祭りの喧嘩で表町に負けた口惜しさから、竜華寺の住職の子、藤本信如の応援を当てにしている。

 表町のリーダーは、質屋「田中屋」の孫息子、正太郎で、13歳。彼が想いを寄せるのは、遊女屋大黒屋のお職おいらん「大巻」を姉に持つ「美登利」である。彼女は切れ離れよき気象、お小遣い豊富で、気前がいい。

 20日は千束神社の祭礼日、表町グループのたまり場「筆や」で幻灯を出し物にすることになり、横町の三五郎が口上役に招かれる。三五郎は裏切り者なりとして、長吉一味に襲われ、殴り倒される。「相手には私がなる」と息巻く美登利の額には泥草履が投げつけられる。

 美登利と信如は、グループは違うものの、通う小学校は同じ「育英舎」。かつては、転んで羽織を汚した信如に、美登利は絹ハンカチを差し出した。高枝の花を折ってくれとの美登利の頼みを、人目を気にして、渋々果たす信如。

 横町の襲撃事件の裏に信如ありと知った美登利は反感の思いをつのらせていたが、雨の中、朴歯下駄の鼻緒が切れた信如に、友仙ちりめんの切れはしを手渡しもならず、投げ与える。

 信如は拾い上げるも憚れるところへ姿を見せた長吉が、履いていた下駄を貸してくれる。

 大鳥神社の酉の市の日、島田髷を結って様変わりした美登利は憂鬱そのもの。対応に困り果てながらも、正太郎は、信如が宗派の学校へ入学するために町を離れることを告げる。ある朝、美登利は格子戸の隙間から差し入れられた白い水仙を手にする。

 

【報告者の感想】 若林 孝之

1、思春期の屈折した恋心を描く。道具立ては「ロメオとジュリエット」をな

ぞった「ウエストサイドストーリー」を連想させる。

2、文体の魅力 雅俗混淆体 人情本の影響か 為永春水「春色梅暦」

3、下町の風俗を描ききり、古典教養の一端も披露

4、大鳥神社 酉の市への郷愁 今宮恵比須の初戎 縁起物 福笹 熊手

5、若くして他界した天才への思慕と痛恨

滝廉太郎 菱田春草 佐伯裕三  言文一致の波に呑まれたか?

6、ジェンダー問題の観点から

田中優子「樋口一葉(いやだ!)と云ふ」

一葉作品の登場人物は突如「いやだ!」と叫ぶ。

自由民権運動家渋谷三郎の影響か。「雑記」男女同権に触れる。


【みんなの感想】 記録&文責  安藤 邦男

・江戸の下町の様子がうまく描かれている。信如が下駄の鼻緒を切った辺りの場面、気持ちは現代にも通じる。鴎外や露伴の絶賛の意味がよく判る。

・この読書会に入って自分の経験が深くなった。現代語で読んだ。人物の衣装や吉原の状況などもよく書かれて印象的。とくに信如と美登利の淡い恋心のやりとりも印象的。

・中学のとき小遣いを貯めて初めて買った本がこの『たけくらべ』。当時の社会の中での少年や少女の生態、気持ちの描写など、さすがにうまいなと思った。『にごりえ』も素晴らしい。一葉の記念館で見た彼女の写真や筆記にも感銘を受けた。信如の純粋さは、父の俗物性で一層際立っているのもうまい。

・思春期特有の恥じらいがよくでている。信如の切れた鼻緒に美登利がスイセンの柄の切れ端を渡そうとする場面、信如がスイセンを美登利のために残しておく場面など、感動的だ。

・同じ文語調の文章でも幸田露伴の『五重塔』はよく読めたが、この『たけくらべ』難しすぎた。でも、なんとか読めたのは読書会があったればこそで、その点は感謝している。

・難しかったが、あらすじの解説を読んでから取り組むと、割と読める。また巻末の語彙の説明は大いに助けになった。一葉の筆跡を見て、印刷に起こす人は大変だろうと思った。

・「たけくらべ論争」というのがあったが、美登利の意気消沈した様子は、初潮のためかそれとも水揚げを悲しんでいるのか、二派に別れたという。それは美登利の気持ちがハッキリ書かれていないことに原因がある。そこに日本文学の特徴がある。

・文章が長すぎて切れ目がつかめず苦労した。皆さんのお話しを聞いてもう一度読み直したい。

・明治の男女の仲は、今の若者とはまるで違う。こんな文化があったことを知るためにもこの本を読んでもらいたい。

・信如の暗い性格は、彼の両親の俗っぽさへの反発が然らしめたのではないか。



わたしの感想】  川地 元康

 大変難しい本でした。何回も読んでやっと子供が大人になってゆく時の、何とも言えない淋しさ不安の気持ちが伝わってきました。そして初恋のこと、誰もが経験するあの気持ちが思い出され、この作品が名作と言われる理由が分かった気がしました。

 3人の主な人物が出てきます。正田は性格がよく愛嬌があってお金もち、主人公の美登利の遊び相手ですが、正田は美登利が大好きですが、美登利には遊び相手であって男としては魅かれなかったようです。

 信如は気難しく陰気な性格で社交的ではないようです。これは父母の行いが僧侶としては問題があって、これを真如は恥ずかしく思い、いつもびくびく暮らしていたのが原因のようです。これも少年のころの正義感や潔癖症で、やはり若いころはよくあることだと思います。

 こうした性格のため、美登利が話しかけてきても、周りの人にからかわれるのが嫌で、わざと無視したり、そっけなくしてしまい、二人は遊ばなくなってしまいました。これも子供時代にはよくあることですね。陰気で気が小さいけれど勉強ができたため、皆には一目置かれていたようです。これも良く分かります。 

 鼻緒が切れ困った場面で二人は、あまり男女を意識しない関係から、異性として魅かれあい、男と女として意識するようになり、言動がぎごちなくなってしまう。男女が大人に成長していく過程がうまく描かれていました。

 美登利は姉が華魁のため、お金に困らなく、遊び仲間にばらまき、女王様みたいな暮らしぶり。遊芸、手芸を習い、私立の学校にも行き、わがままで気が強い女性ですが、美人で愛嬌が有るため、矢張り皆から一目置かれていたようです。男性は勉強、女性は美人が大切にされるのは、いつの時代も一緒ですね。

 あるとき、髪を島田に結び、正田がいくら誘っても遊ばなくなりました。島田に結ぶのは大人になったしるしだと聞いたことが有りました。たぶん生理があったのではないでしょうか。

 正田に泣いて、大人に成りたくないと訴えました。なんの心配もなく、無心に遊んでいた時代の終わりを感じ、これからは辛い責務の有る大人に成ってゆく不安、恐れ、淋しさがよく描かれています。

 真如が修行に行くことに決まった時、水仙の花を置いたのが、真如の精一杯の愛情の表現と詫びの気持ちだと思いました。

 美登利は一家で世話に成っている恩義があり、またゆとりのある暮らしに慣れてしまっていていますが、華魁になっていくようですね。でも借金はないので、出来たら身請けされ、奥さんに成ってほしいですね。花柳病がこの頃は不治だったのも、心配です。できたら修行の終わった真如に身請けされるといいですね。

 私は中学校の時赤線と言われるところに住んでいました、たくさんの女郎さんに出会いました。彼女らの男性を引き付ける能力を見てきましたから、彼女らを蔑む気持ちはありません。むしろ尊敬していました。

 彼女らはプロです。思わず見とれてしまいました。その時、女郎さんたちの悲しさは感じませんでした。むしろ陽気で明るく、その職業に馴染み、楽しんでいるように感じました。それは表面的だったのかもしれませんが、その職業が彼女らの性格に合い、誇りに思って楽しそうに働いていたように感じました。きっと女郎と言う職業に合う人もいたと感じています。

 こうした吉原が巨大な産業に成っていたのだと感じました。たくさんの裏方さんが働き、幇間や歌、踊り、曲芸、三味線、笛、太鼓の人たちの、働き口に成っていたことを知りました。

 また、祭りの時の喧嘩、これも私たちの時代と同じだと感じました。祭りの興奮が喧嘩を誘発するようです。 

 この小説で、子供から否応なしに大人に成長しなくてはならない年ごろ、それまで一緒に遊んでいた友達が大人に成るための準備に、一人ひとりばらばらに成っていき、淋しく、不安で、切なく不安定な年代の気持ち、また好きなためかえってぎこちなくなってしまう若すぎる成長期、そんなことを懐かしく思い出しました。

              【終わり】