レジメ 遠藤周作『沈黙』 報告 安藤 邦男 H.29.09.11

著者略歴】 (ウィキペディアによる)

1923年(大正12年)327日 東京巣鴨に次男として生まれる。長男は2歳上の正介。

1926年(大正15年=昭和元年)銀行員の父の転勤により、一家で満洲関東州大連に転居。

1929年(昭和4年)大連市の大広場小学校に入学。

1933年(昭和8年)父母の離婚により母に連れられ兄と共に日本に帰国。神戸市六甲小学校に転校。

1935年(昭和10年)私立灘中学校に入学。兄とともに西宮市のカトリック教会で受洗。洗礼名ポール。

1941年(昭和16年)4月 上智大学予科に入学するが、1年で退学。別居中の父の許へ入り同居。

1943年(昭和18年)慶應大学文学部予科に入学。医学部を受けなかったため勘当され、父の家を出る。

1945年(昭和20年)慶應義塾大学文学部仏文科に進学。翌年勘当を許され、父の家に入る。

1947年(昭和22年)12月 処女評論『神々と神と』を『四季』第5号(角川書店)に掲載。

1948年(昭和23年)3月 慶應義塾大学仏文科卒業。

1950年(昭和25年)6月 戦後初のフランスへの留学生として渡欧。10月リヨン大学に入学。

1953年(昭和28年)体調を崩し入院。2月 帰国。7月『フランスの大学生』刊行。12月 母死去。

1954年 (昭和29年)4月 文化学院の講師を務む。『マルキ・ド・サド評伝』『アデンまで』を発表。

1955年(昭和30年)7『白い人』で第33回芥川賞を受賞。9月 岡田幸三郎の長女順子と結婚。

1956年(昭和31年)6月 長男龍之介誕生。上智大学文学部の講師を務める。

1958年(昭和33年)10月アジア・アフリカ作家会議参加。12月『海と毒薬』で第5回新潮社文学賞、

1960年(昭和35年)4月 体調を崩し、東大伝染病研究所病院に入院。年末慶應義塾大学病院に転院。

1961年(昭和36年)1 3回肺の手術を行ない、一時は危篤状態となるが、奇跡的に回復、翌年退院。

1963年(昭和38年)3月 町田市に転居。新居を「狐狸庵」と名付け、「狐狸庵山人」と名乗る。

1966年(昭和41年)3月『沈黙』を刊行。10月『沈黙』で第2回谷崎潤一郎賞を受賞。

1967年(昭和42年)8月 ポルトガルのアウブフェーラでの「聖ヴィンセントの300年祭」で記念講演。

1969年(昭和44年)1月『薔薇の館・黄金の国』の下調べで、イスラエルに旅行し、2月に帰国。

1971年(昭和46年)ローマ法皇庁からシルベストリー勲章を受ける。

1972年(昭和47年)3月 ローマ法王謁見のためローマへ。『海と毒薬』『沈黙』が欧州で翻訳出版。

1975年(昭和50年)2月 北杜夫、阿川弘之とともにヨーロッパへ行き、在留日本人のために講演。

1976年(昭和51年)9月 ジャパン・ソサエティの招待を受け、ニューヨークで講演。

1978年(昭和53年)6月『イエスの生涯』で国際ダグ・ハマーショルド賞を受賞。

1979年(昭和54年)2月『キリストの誕生』で第30回読売文学賞評論・伝記賞を受賞。

1980年(昭和55年)5月 劇団「樹座」のニューヨーク公演。『侍』で第33回野間文芸賞を受賞。

1981年(昭和56年)日本芸術院会員になる。

1985年(昭和60年)6月 日本ペンクラブ第10代会長に就任(1989年まで)。

1987年(昭和62年)5月 ジョージタウン大学の名誉博士号を受ける。

1990年(平成2年)2月『深い河』の取材でインドに旅行。10月 アメリカのキャンピオン賞を受賞。

1993年(平成5年)5月 腹膜透析の手術を行う。危篤状態になるも、奇跡的に回復する。

1995年(平成7年)9月 脳内出血で順天堂大学病院に入院。11月 文化勲章受章。12月 退院。

1996年(平成8年)4月 腎臓病治療のため、慶應大学病院に入院。

            929日 午後636分、肺炎による呼吸不全で死去。73歳。

【あらすじ】時は1630年代、日本は三代将軍家光の時代、幕府は何度目かの禁教令を出し、キリシタンの布教活動を禁止し、従わない者には穴吊り、火あぶり、水攻めなどの過酷な拷問を行っていた。
 そのころ、イエズス会の司祭で日本に派遣されていたクリストヴァン・フェレイラが、その拷問に屈して棄教したという報せがヨーロッパのイエズス会にもたらされた。
 
かつてフェレイラに教えを受けた弟子セバスチャン・ロドリゴとフランシス・ガルペは、その真偽を確かめるため、日本への渡航の旅に出る。途中、マカオに立寄り、そこで出会った日本人キチジローに案内され、長崎県五島列島に潜入する。
 隠れキリシタンたちに歓迎されるが、やがて長崎奉行所に追われる身となる。キリシタンたちをはじめガルペとも別れたロドリゴは、ある島に身を隠し彷徨っていると、偶然キチジローに再会した。だがキチジローはロドリゴを銀三百枚でキリシタン狩りの役人に売り、ロドリゴは捕まってしまう。
 ロドリゴは何人かのキリシタンとともに、牢に入れられた。裏切ったキチジローが詫びを入れにやってきたが、役人に追い返される。やがて踏み絵が始まった。
 ある日、ロドリゴは牢から出され、海岸の広場へ連れていかれた。そこに溺死刑を受けるために、す巻きにされた三人のキリシタンと、久しぶりに見る同僚のガルペの姿があった。だが、最後まで転ばなかったガルペは、ロドリゴの眼前で三人の死刑囚と共に海の藻屑と消えた。
 
見守るしかなかったロドリゴはおのれの無力を悔いるとともに、沈黙したままの神に絶望する。追い打ちをかけるように、取り調べの通辞が言った。「お前たちが身勝手な夢を押しつけたばかりに、どれだけの日本人が犠牲になったか考えろ」
 
それから何ヶ月かが過ぎたころ、ロドリゴは牢から出され、とある寺院に連れて行かれる。そこにはなんと、はるばるポルトガルから探し求めてきたフェレイラ司祭がいた。彼はここで沢野忠庵という日本名をもらい、いま天文学の本を書いているという。そして「この国は沼地のようなもので、キリスト教は根づかない」と言い、ロドリゴに棄教をすすめる。だがロドリゴは、頑としてそれを拒否する。
 
牢に戻ったロドリゴは、変わり果てたフェレイラを悲しく思いながら、自分に処刑の日が近づいたと覚悟する。ある夜、彼は遠くに鼾のような物音を聞いた。牢番どもが呑気に眠っているものと思った。だが、そのときやって来たフェレイラはドリゴに言った。「あれは鼾などではない。宙づりの拷問にかけられているキリシタンたちのうめき声だ。彼らは踏み絵を踏んで、転ぶと言った。だが、お前が転ぶと言わないかぎり、彼らは拷問を受け続け、やがて死んでいくのだ」
 
自分が神への信仰を守れば彼らは殺される、信仰を放棄すれば彼らは助かる、究極のジレンマを前にして懊悩の一夜を過ごすが、フェレイラが転んだのも同じ理由だと知って、ついに決意する。
 
夜明け、ロドリゴは踏み絵を踏んだ。その足に重い痛みを感じつつも、これはフェレイラの言う愛の行為だと思いながら―。銅板のイエスは彼に語りかけているようだった。「踏むがいい。私はお前たちに踏まれるためにこの世に生まれ、お前たちの痛さを分かつために十字架を背負ったのだ」と。
 その後、ロドリゴは岡田三右衛門という日本名をもらい、長崎奉行所でキリシタン捜索仕事に協力しながらも、終生彼の頭から離れなかった疑問があった。それは、自分がキリスト像を踏んだのは、拷問に苦しむキリシタンたちを神に代わって助けるためであったか、それとも拷問に耐えきれなかった自分の弱さのためであったかという、厳しい問いであった。
小説の最後は、次の言葉で締めくくられている。「あの人(主)は沈黙していたのではなかった。たとえあの人は沈黙していたとしても、私の今日までの人生が、あの人について語っていた」。ロドリゴの生き方が神の声だという。彼がこれまで悩み、苦しみ、棄教した半生は、すべて神の意志がそうさせたのであって、神はロドリゴの行為を通して語っているという。そして「ともに苦しんでいた」のである。神と自分との見事な一体化の宣言であった。

【参考資料】

『沈黙』のモデルについて

・クリストヴァン・フェレイラCristóvão Ferreira1580 1650
1609年(慶長14年)ポルトガルのイエズス会から派遣され、日本で布教をはじめる。2代将軍徳川秀忠の時代に「伴天連追放文」が公布され、宣教師たちはマカオやマニラに追放されたが、フェレイラは37名の司祭たちとともに、密かに日本に居残り、潜伏キリシタンとして活躍する。だが、1633年、長崎でついに逮捕され、穴吊りの刑を受けたが、苦しさに耐えられず棄教した。その後フェレイラは沢野忠庵を名乗り、日本人妻を娶った。その間に天文学書『天文備用』、医学書『南蛮流外科秘伝』などを出版し、西洋科学を日本に伝えている。165011月、長崎で死去。仏教徒として葬られた。

・ジュゼッペ・キアラGiuseppe Chiara(ロドリゴのモデル)16021685
 棄教したという噂のフェレイラ神父を求めて1643年6月筑前大島に上陸し、潜伏布教を試みたが、たちまち捕縛され、長崎奉行所から江戸小石川牢獄に送られた。ここで井上筑後守の訊問と「穴吊り」の刑を受けて棄教した。岡田三右衛門の名前を与えられ、日本婦人を妻として切支丹屋敷に住み、キリシタンの情報を幕府に提供したり、棄教政策に協力したりした。1685年、84歳で死去。

 キリスト教宣教師の称号について

「パードレ」はポルトガル語 padreで「父」の意味、転じてカトリックの「司祭」。日本語では訛って「バテレン」「伴天連」と言った。カトリックの序列として「パードレ」の下に「イルマン」と呼ぶ宣教師がいる。今日ではカトリックの宣教師は「司祭」priest)、敬って呼ぶときは「神父」Father)という。プロテスタントの宣教師は「牧師」(pastor)という。「牧師」の名の由来は、聖書の中でキリストが自らを「羊を飼う牧者」に譬えたことからである。(ヨハネによる福音書21章15~17節「私の子羊を飼いなさい」「私の羊の世話をしなさい」)。それ故にプロテスタントでは、神の前では平等であるとする人間観から、自由で形式張らない。牧師は結婚も自由だし、教会も簡素、十字架にはキリスト像を掲げない。

 タイトル『沈黙』に込められた二つの意味

「沈黙」という題名には二つの理由があるという。一つは、ロドリゴが苦しいとき神に祈っても何の救いも得られず、神は「沈黙」を続けていたということであり、もう一つは、殉教者たちはキリスト教の歴史の中に取り上げられ、賛美されるが、棄教した者に対しては教会関係者は「沈黙」を守るし、棄教者本人も沈黙を続けている。いわば歴史から抹殺されている。そのように歴史に埋もれた弱い人たちに光を当てたいというのが、著者がこの小説を書いた動機である。

 隠れキリシタンとは

隠れキリシタンとは、江戸幕府が禁教令を布告してキリスト教を弾圧したにもかかわらず、その後も密かに信仰を続けた信者のことをいう。ただ、かくれキリシタンには二種類あるとして、江戸幕府時代に棄教して仏教徒になったと見せかけて密かにキリスト教信仰を続けている者を「潜伏キリシタン」と呼び、明治になり禁教令が解かれた後も江戸時代の秘教形態を守り、カトリック教会に戻らない信者を「カクレキリシタン」と呼ぶ場合がある。

「カクレキリシタン」は、1873年に禁教令が解かれて信仰の自由が認められた後も、カトリックとは合流せず、潜伏時代より伝承されてきた信仰形態をずっと維持し続けている。長年カトリック宣教師が不在であったので、その間に日本の民俗信仰と深く結びつき、マリア観音を崇めるなど、仏教的信仰に傾斜、祖先崇拝、現世利益などの傾向を強く示すようになった。現在も長崎には、そんなキリシタンが1500人ぐらいいると言われる。

 キリシタンを描いた作品

長与(ながよ) 義郎(よしろう)  「青銅の基督」1923年(大正12
 フェレイラに頼まれ踏み絵を造った鋳物師が、出来が良すぎてキリシタンだと疑われ、処刑される話。

芥川 龍之介 『尾形了斉覚え書き』1916年(大正5年)
 医師了斉の治療むなしく死んだ娘が、キリシタン宣教師の祈祷で蘇生、了斉はその宣教師を邪教と告発。
芥川龍之介『きりしとほろ上人伝』 1919年(大正8年)
 きりしとほろ上人が重い少年を背負って川を渡ると、少年は世の苦痛を全て背負ったキリストだった。

芥川龍之介『南京の基督』 1920年(大正9年)
 病気の娼婦にハーフの男が客となる。娼婦は彼をキリストと思うが、実は無銭遊興を自慢する軽薄男。

芥川龍之介『神神の微笑』1921年(大正10年)
 南蛮寺の宣教師が庭で出会った神の姿をした老人は、「天主教はいずれ仏教に負ける」と預言した。

芥川龍之介『おぎん』 1922年(大正11年)
 キリシタンの少女おぎんは捕らえられが、殉教して天国に行くのは申し訳ないと言って処刑寸前に棄教。
芥川龍之介『おしの』 1923年(大正12年)
 十字架のキリストが「神はなぜ私を見捨てるのか」と言ったと聞いて、女はその司祭の治療を拒否した話。

 遠藤周作の言葉  (少々簡略化してある。)

①『人生の踏み絵』より
・『沈黙』の主題のもう一つは、フェレイラがロドリゴに向かって言った次の言葉にある。「日本ではキリスト教は決して根を下ろさない、下ろさないというよりは、根が腐り始めるんだ」
・私は子供の頃洗礼を受けさせられたが、自分の意思ではなかったし、いわば借り着であった。何とか自分の身の丈に合うようにしたかった。これは私の人生のテーマであった。
・強いものと弱いもの、いわば強虫と弱虫という考え方は、主題の一つになっている。

『沈黙の声』より
・フェレイラについては、長与善郎の『青銅の基督』がある。それほど名作とは思わなかった。キリシタン小説の中で、もっとも素晴らしい作品を残しているのは、芥川龍之介だと思う。
・フェレイラもキチジローもロドリゴも井上筑後守も私(遠藤)なのである。私の中で共存しているものを作中人物として独立させて書いた。
『沈黙』というタイトルは出版社がつけた。はじめ『ひなたの匂い』という題をつけて出した。しかし出版部の友人は、これでは迫力がない、この内容なら『沈黙』ではないかと言ってきたので、そうした。
(察するに「ひなたの匂い」陽光の跡、神の姿は見えないが、神がいたことは感じられるという意味か。)・この小説は挫折した左翼の人たちが読んだと聞く。また、カトリックは禁書にしたが、プロテスタントの人たちがよく読んでくれた。
・「キリシタン屋敷役人日記」の中の文、「岡田三衛門儀、宗門の書物相認め申し候様にと遠江守申付けられ候」の文は少々判りにくいが、「書物」とは誓約書のことで、彼は転んで誓約書を書いたが、その後転んだのは本意では無かったと言ったため、再度拷問にかけられ、再度誓約書を書かされたのが真相である。
・隠れキリシタンの信仰が本物のキリシタンの信仰と違う点は、負い目を持つ者の信仰だということである。

【報告者の感想】 安藤 邦男
 この小説はキリスト教の信仰を取り上げているが、それも迫害と棄教いう側面に焦点を絞って、そこに浮かび上がった信仰のあり方を描いているという点で、日本文学の中では珍しい作品である。
 著者の語っている言葉がある。「戦争中、私は自分の信念や思想を捨てて戦
争の中に死んでいかなければならなかった人間を多く見た。踏み絵に足をかけていった人びとの話は、私にとって決して遠い話ではなかった」(『沈黙の声』より)。また著者は講演の中でも、繰りかえし語った言葉がある。「私はなんども転んだ」と。彼の語るように、「踏み絵」や「棄教」は遠く徳川時代だけのものではなく、現代にも形を変えて存在する出来事である。
 大正から昭和にかけて共産党弾圧にともなって続発した事件に、「転向」問題がある。宗教と思想の違いはあるが、大きな外部の権力が個人の信念を強制的に変更させる点では、棄教も転向も同じだといえる。昭和20年の敗戦で、日本人はすべて転んだと言っていい。軍国主義思想は強制的に民主主義思想に転向させられた。わたしの場合もそうだったが、少々違うところもあった。
 9月のある日、授業で教科書に墨を塗らされたとき、歴史の教師は言った。「いいか、今からいう箇所を墨で消すのだ。これは占領軍の命令だから消すのだ。しかし私の教えは間違っていなかったし、君たちも間違っていなかった。大東亜戦争は絶対に正しかった」と。 私は尊敬の眼差しでその教師を見上げた。だが、1ヶ月後その教師は言った。「この戦争は間違っていた。戦死者は犬死にだった」。私が教師不信に陥ったのはそのときだった。私の気持ちはさらに大人不信に発展し、しばらくの間「隠れキリシタン」ならぬ「隠れ軍国主義者」となった。私が「転んで」民主主義思想を受け入れたのは、何ヶ月も後であった。
 その後も、私はなんども転んだ。時の流れや周囲の雰囲気に飲まれて、心ならずも自分の意思に反して言ったこと、行ったことは数知れない。
 
著者にとってのもう一つのテーマは、日本人として大きな違和感のあるキリスト教に対してどう向き合うかであった。彼は比喩を用いて次のように言っている。「日本人としてキリスト教信徒であることが,ダブダブの西洋の洋服を着せられたように着苦しく,それを体に合うように調達することが自分の生涯の課題であった」(『沈黙の声』より)。
 むかし雑種文化という言葉がはやったとき、昭和の論客、故加藤周一は日本文化を「伝統を基盤とする雑種文化」だと説いたのを思いだす。だからといって、周作が雑種文化を代表する小説家というのではない。日本文化の伝統の中での悪戦苦闘ぶりは、まさに雑種文化ならではの姿だといいたいのである。
 隠れキリシタンの子孫たちは、明治になってキリスト教が解禁された後も、仏教と混交したキリシタン教の伝統を守ったという。雑種文化の伝統はここでも生きていた。
 
いずれにしても、この小説は本物のクリスチャンになりきれなかった著者の心の軌跡であるとともに、仏教文化の中にキリスト教文化が流入したとき何が起こるかを描いた、文明史のひとこまでもあると思った。
 ところで、これは小説の感想というより、歴史的事実に対する感想というべきであろうが、私の心にはいまだに二つの疑問がわだかまっている。一つは、なぜキリシタンたちは殉教してまで信仰を貫こうとしたのか。棄教者の気持ちは分かっても殉教者の気持ちの分からないのは、自分が無宗教の人間だからだろうか。
 もう一つの疑問は、神仏混淆の多神教のわが国の風土において、なにゆえにヨーロッパのキリスト教迫害に勝るとも劣らぬひどい虐待が行われたのか。それは国民性なのか。遠くは関東大震災時の朝鮮人虐殺の歴史、また戦時中に中国の当時匪賊と呼んだ中国人への人体実験の事実、近くはオウムのサリン事件など、日本人には残虐嗜好の血が流れているのか、思い出すにつれ、陰鬱な気分にならざるを得ない。



【みんなの感想】 記録&文責 安藤 邦男

・狐狸庵山人の随筆及んでいたのでこれまでの印象とはずいぶん違っていた。キチジローの生き方に作者の思いを感じた。

・映画を見たが原作に忠実で、大変よかった。実話に則った話しなので、拷問の苦しみなど、痛々しい感じであった。また心理描写も巧みで思わず引き込まれた。でもキリスト教のことや殉教者の気持ちなど、分からない箇所もあった。

・読むのが大変だった。権力の恐ろしさを感じた.信仰心のない私には理解できない箇所が多々あった。キチジローを通して人間の弱さと生きるための知恵を知った。

・この世では不幸でも死後の天国では幸せななれるという殉教者の気持ちは、自分と比較すると素晴らしいと思った。でも同じ宗教者でも布教活動で苦しんでいる人と、苦しまない上層部の人たちとの矛盾を感じた。またキチジローや転んだ人たちは自分だと思った。

・秀吉の時代や明治時代などのキリスト教の禁止や許可の方針は、宗教自体ではなく、貿易による利益や国家の安全という国策が理由のようであると思う。家畜のように働く農民にキリスト教が浸透したのは、彼らへの愛情と暖かさがあったからでないか。仏教は上層階級に入りこんでも下層社会には入りこまなかったではないか。

・遠藤周作は大好きな作家である。キチジローがいるがために迫害や殉教がいっそう真実味を帯びてくる。この世の苦しさを脱するために死んで天国に行くという考えが、キリスト教を受け入れたのではないか。

・教会へ行っているが信者の人たちの奇跡を信じる話にはついて行けない。宗教はやはり自分の生き方に繋がるものでなければならないと思う。

・狐狸庵山人の随筆及んでいたのでこれまでの印象とはずいぶん違っていた。キチジローの生き方に作者の思いを感じた。

・映画を見たが原作に忠実で、大変よかった。実話に則った話しなので、拷問の苦しみなど、痛々しい感じであった。また心理描写も巧みで思わず引き込まれた。でもキリスト教のことや殉教者の気持ちなど、分からない箇所もあった。

・読むのが大変だった。権力の恐ろしさを感じた.信仰心のない私には理解できない箇所が多々あった。キチジローを通して人間の弱さと生きるための知恵を知った。

・この世では不幸でも死後の天国では幸せななれるという殉教者の気持ちは、自分と比較すると素晴らしいと思った。でも同じ宗教者でも布教活動で苦しんでいる人と、苦しまない上層部の人たちとの矛盾を感じた。またキチジローや転んだ人たちは自分だと思った。

・秀吉の時代や明治時代などのキリスト教の禁止や許可の方針は、宗教自体ではなく、貿易による利益や国家の安全という国策が理由のようであると思う。家畜のように働く農民にキリスト教が浸透したのは、彼らへの愛情と暖かさがあったからでないか。仏教は上層階級に入りこんでも下層社会には入りこまなかったではないか。

・遠藤周作は大好きな作家である。キチジローがいるがために迫害や殉教がいっそう真実味を帯びてくる。この世の苦しさを脱するために死んで天国に行くという考えが、キリスト教を受け入れたのではないか。

・教会へ行っているが信者の人たちの奇跡を信じる話にはついて行けない。宗教はやはり自分の生き方に繋がるものでなければならないと思う。


【わたしの感想】 川地 元康  
 
わかりやすい文章でした、殉教覚悟でやってきた司祭の心の中の苦闘が描かれていました。 拷問に対する恐怖と、貧しい信者に自分がいるために却って迷惑だけを賭けているとの疑問、何も罪のない信者たちに加えられる拷問、惨殺にも、神はただ沈黙されていることに対する疑問、ひょっとすると神などいないのではないかとの恐ろしい疑問、苦痛の中十字架にかけられたキリストを思い、聖句を唱え、信仰を全うしようとする宣教師。 でも奉行の巧みな戦略に掛り、優遇され、自由にされ、信者との交流も許され、心が緩み、棄教したフェレイラ師は本当のキリスト教の神ではなく、日本人独特の神を信じていることを聞かされ、さらに信者の拷問の呻き声を聞かされ、あなたが転べば信者は助かるとささやかれ、ついに棄教してしまう宣教師の心の苦しみ、心の動揺は、ドラマチックで読者の心に迫り迫力ある物語でした。 この作品が名著と言われる理由がよくわかりました。日本人が自然に感じる神、それは母のようにすべてを受け入れ大きく包み込んでくれる神であって、キリスト教のような人間を超えた絶対正義の唯一の神、心の中まで見透かし罪を暴きだし、罪ゆえ罰する父のような厳しさのある神を想像することが出来ない、いや母のような神を必要としていることを作者は知っており、この物語を書いた気がしました。 作者の思想がこの物語で示されている気がしました。それは殉教した人はもちろん立派で神の祝福を受けるでしょうが、恐怖で棄教した人たちも心に痛みを感じれば神は許されると、作者は主張しているようです。そればかりかキチジロウは棄教したばかりか、仲間を裏切り、金で司祭を売り渡したのですが、その彼さえ許しを請えば許されると主張しているようです。   これはもうすべてを受け入れる日本人の神や仏のようです。 自分を顧みれば、弱虫で臆病、苦しい事から逃げてばかりいて、利益のため人を裏切りつたことがある私はまさにキチジロウその者であると感じます。そんな私にとっては、救われたような気がした物語でした。 神の沈黙については、こうした棄教した人々に対して、神の許しと愛を人々に悟らせるためだったと、キリスト教の信者らしい作者の物語の作り上げ方でした。それは見事な構成の作品だと思いました。 殉教した人々が非常に貧しく働くばかりの苦しい生活だったこと、そしてイエスの苦難の死の姿を見つめることで自分を励まし、死後は天国に行けて楽しい暮らしが待っているとの希望と、神に見捨てられてしまうのではないかとの恐怖で、苦痛に耐え抜いたことを知りました。 作者は、教会が殉教を美化し、奨励するのは間違いだと知ってほしく、出来たら命が危ないときは棄教してよく、あとでチャンスが有れば戻ってくればいいと、信者に言ってほしいと、言っているようです。 この物語はキリストの二面性、世の中から蔑まされた人々に向けられる愛の優しい眼差しと、心の中まで見透かし罪を暴き出す厳しさとの二面性を突いた作品で、キリスト教の矛盾を突いている作品のような気がします。 こうした矛盾は色んな宗教、思想に見られます。また人間自身も平安を願いながら変化を望む矛盾した存在です。 真実の最後の拠り所だった物理学も、最近は物質の最終の姿が、波と粒であると言う矛盾した物である考えられています。こうした矛盾だらけの世の中を感じると、神様は人間に人間として置いておくため、また驕り高ぶらないため、真実を悟られないよう矛盾した世界に作られた気がします。最近は物事を真剣に突き詰めなくなり、矛盾の中で、もがき右往左往する人間が面白く、愛しい存在だと思うようになってしまいました。 この本を読んで、日本人の神のイメージと西洋人の神のイメージが違うと見抜いた作者の観察眼に敬服しました。 何事も契約を結ぶ西洋人と、大部分は阿吽の呼吸で済ます民族の違いなのでしょうか、洗礼を受けるときの、まるで神と契約を結ぶような感じはきっと民族と歴史と伝統の違いなのでしょう。私がキリスト教に抱く違和感が、本を読んで少し理解できた気がしました。 神道が聖典を持つと必ず矛盾を含んで仕舞うと、昔の人が感じ取り、聖典を持たなかったとしたのならそれはそれで、一つの見識だと最近感じています。