井上ひさし著 [父と暮せば]   報告者 安藤みどり  2016.1.11


【あらすじ】

 ところは、広島市比治山の東側。バラックに毛が生えた程度の簡易住宅。

ときは、昭和23年7月最終の火曜日の夕方。稲光がする。

23歳の福吉美津江は、両手で目と耳を塞いで、「おとったん、こわーい!」

 死んだはずの父竹造が押入れの襖を開いて、美津江に隠れるように指示する。

 美津江は、女子専門学校の陸上競技部の時はお転婆で、ドンドロさん(雷)が鳴ろうが平気で運動場を走り回っていたのに、ピカが落ちてからほたえ騒ぐのが情けないという。

 富田写真館の信ちんは、広島でも五本指に入る写真屋だったが、マグネシウムがピカッと光るもんにほたえまくる。

竹造は、ピカを浴びた者は、光るもんにはなんであれほたえまくっていい。それこそ、被爆者の権利だと教える。

 図書館勤めをしている美津江の前に、文理科大学の助手をしている木下という青年が現れ、原爆関係の資料を探しに来るが、美津江は、「原爆資料の収集には占領軍の目が光っていて、公表は禁止されている。もし資料が残っていれば処分したい気持ちです」と伝える。竹造は、木下に一目ぼれをした美津江の恋の成就の手助けをするために、美津江のときめき、ため息の数で、死んだはずの自分の身体が出来上がったのだと話す。

 しかし美津江は、同級生の美人で勉強ができて人望がある昭子がピカで亡くなったが、ピカが落ちてた時、昭子にもらった手紙を読もうとして石灯篭の下に落として、拾うとして助かった。昭子のお母さんは、美津江をみて、「うちの子じゃのうて、あんたが生きとるんはなんでですか」と言った。生きとるんが申し訳ない。だから自分だけ幸せになってはいけないと心していた。

 夏休みには、図書館員が子どもたちに、土地に伝わる昔話のおはなし会を開いていた。

美津江は、おはなし会の準備を始める。むかしから広島は、「七つの川にまたがる美しい水の都」と知られ、学生時代に、北の方で一本にまとまった太田川沿いの村むらへ出かけて土地に伝わる昔話を聞いて回っていた。欲の深いおじいさんと働き者のおばあさんの話の練習をしていると、竹造が、木下が自分の原爆資料を使ってええ話が作れないかと言っていたのを聞いて話を作り始める。その話を辛らそうに聞いていた美津江をみて、広島の人間には辛いことかもしれん、悪いことをしたと謝る。

 木下は、原爆で焼かれた瓦や一升瓶を集めたものを美津江の家で預かってほしい頼む。

 新聞紙を敷きつめた部屋には、高熱で奇妙に歪んだ一升徳利や8時15分を指したままの丸時計などが積み上げられた。庭に目をやると、石灯篭の上部に混じって、顔面が溶解した地蔵の首。美津江はあの時のおとったんを思い出す。

 昭子さんらに申し訳ないと思っていたが、おとったんを地獄よりひどい火の海に置き去りにして逃げた自分がしあわせになる資格はないことを思い出す。

 竹造は、美津江にあのようなむごい別れが何万もあったという事を覚えてもらうために生かされている。それを伝えるのがおまいの仕事だと。


【作品の上演】

 1994年 こまつ座初演。その後モスクワや香港などの海外公演も行われた。

 2004年 映画化され、美津江役には宮沢りえ、竹造役には原田芳雄、木下役には

浅野忠信が演じている。

前口上で、「ヒロシマ・ナガサキに落とされた原子爆弾は、日本人の上に落とされたばかりでなく、人間の存在全体に落とされたものだと考える。私の一生は、ヒロシマとナガサキとを書き終えたときに終わる。この作品はそのシリーズの第一作である」と書かれています。

ナガサキをテーマに、「母と暮せば」の題は決まっていたにもかかわらず2010年に逝去し、残念ながら成し遂げることができませんでした。その意思を継いで山田洋二監督が映画化し、只今上映中です。

【著者紹介】

小説家・劇作家・放送作家
 

1934年11月17日、山形県東置賜郡川西町生まれ。

1960年、上智大学外国語学部フランス語学科卒業。

放送作家としてNHK人形劇『ひょっこりひょうたん島』(共作)などで活躍を始める。

「ブンとフン」で小説デビュー。

以後、小説、戯曲、エッセイなど多方面で多くの著作がある。

2010年4月9日満75歳で肺がんのため死去。

 
【代 表 作】

『ひょっこりひょうたん島』(1964年、人形劇)

『手鎖心中』(1972年、小説)

『薮原検校』(1973年、戯曲)

『ドン松五郎の生活』(1975年、小説)

『イーハトーボの劇列車』(1980年、戯曲)

『吉里吉里人』(1981年、小説)

『四千万歩の男』(1986年、小説)

『父と暮せば』(1994年、戯曲)

『東京セブンローズ』(1999年、小説) など


【主な受賞作品】

 『ムーミンのテーマ』日本レコード大賞童謡賞

 『十一ぴきのネコ』斎田喬賞

 『道元の冒険』岸田國士戯曲賞

『手鎖心中』直木賞

『しみじみ日本・乃木大将』『小林一茶』紀伊國屋演劇賞個人賞

『吉里吉里人』日本SF大賞、読売文学賞、星雲賞

『シャンハイムーン』谷崎潤一郎賞

『太鼓たたいて笛ふいて』毎日芸術賞、鶴屋南北戯曲賞 など


【報告者の感想】 安藤みどり 

 作者は、1945年8月6日広島に原爆が落とされたとき、遠く離れた東北で盆踊りの練習をしていた小学生だったそうです。人類史上ない惨劇を作品にするため、原爆の膨大な資料を渉猟し、被爆者の多くの手記を読んだことが、この短い戯曲の中に凝縮されていることがよくわかりました。

 生き残った者が生きていくのは、どんなにか辛いだろう。そこに、亡霊として父竹造を登場させ、ユーモアを交えて娘に叱咤激励していく。私たちにも原爆の恐ろしさを永劫に伝えるようにメッセージをいただいたようです。



【みんなの感想】


・まず父親の娘への愛情の深さを感じた。娘も父親を助けられなかった悔恨がトラウマとなって幸せを拒否するが、この辺り哀れを感じる。

・とくに原爆の描写が素晴らしい。台詞では方言がよく効いている。舞台を見たが感動的であった。映画「母と暮らせば」もよかった。

・同じ作者の『吉里吉里人』もよかった。原爆の悲惨を強く感じた。その惨禍は目を背けたくなるが、直視しなければならない。

・『野火』の人肉食といい、この原爆といい、戦争は非人間的だ。それを伝えようとするメッセージを強く感じた。

・この作品からは平和への願望の強さ、劇作術のうまさ、方言の良さを感じた。父親の正体が亡霊であることが次第に判る筋運びもウマイ。

・著者の名言「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く」を自ら実践していると感じた。


【わたしの感想】 川地元康

 二人の会話だけの本ですが実にいろんな事が読者にわかるよう書かれていて、感心しました。井上ひさしさんの才能がいかんなく発揮された、傑作だと思いました。

 会話だけで、お父さんが生きてない存在である事、恋をしてはいけない自分だと思いながら、恋心を抑えきれない自分が呼び出した幻だと、読者にだんだん悟らせる所が素晴らしいですね。

 美津江さんは、死んでいった多くの人たちに、自分だけが幸福になったら申し訳ないと言う気持ち、原爆症に苦しんだ自分が結婚したら相手の人に迷惑を掛けるのではないか、子供が生まれたら障害のある子が誕生するかもしれない、だから自分は結婚してはいけないと思いながらも、木下さんに魅かれる切ない思いが、父との会話を通じ見事に描かれています。

 それだけでなく、多くの一般市民が焼けただれ、悲惨な死に方をした事、さらに生き残った人々も原爆症に苦しまねばならぬ事、さらにその子供にも影響が及ぶことなどが、読者にわかって来ます。

 とくに感心したのが、美津江さんの親友昭子さんのお母さんの言葉、「なひてあんたが生きとるん」「うちの子じゃのうてあんたが生きとるんは何でですか」。こんなに悲しい言葉を知らなかったです。人のエゴイストの本性を見事突き、母の悲しみ、原爆の理不尽さを見事に表現していました。

 美津江さんは、一番心に悲しく重たくのしかかっていたのが、瀕死の父を迫る火の中置いて逃げた事でした。それを父に告げ、恋人の許を去ろうとしたときの父の言葉が素晴らしかったです。美津江が父を置いて逃げてくれたことを、父は心からに喜んでいる事、美津江に生きて結婚をして幸せになって欲しい、自分の分も生きて欲しい、出来たら孫も生んでほしい、孫にこの悲惨な体験を伝えて欲しい、そんな父の必死な思いが伝わってきました。

 最後の方の台詞「今度いつ来てくれるの」「おまい次第じゃ」「しばらく会えんかもしれんね」の言葉で、美津江さんが、恋人の愛を受け入れる決心がついた事を、示している気がします。彼女が父の必死の言葉を受け入れた気がして本当によかったと思いました。

 この物語の竹造さんの人柄がとても好きです。愛情深く、どこかひょうきんで、冗談好きで、女好き、物語の中でも、思わずにっこりする場面が出てきました。饅頭の意味を考えなさい、おとぎ話に入れ歯が転がっている話、なぬか用か九日十日、男は女のハンカチに弱いなどなど。女性の裸の写真を撮って将校さんに渡し、軍の物資を手に入れる事、友達昭子さんのお母さんへのラブレターなどの、女好き、要領のよさなどが、悲惨な物語をソフトなものにしています。

 竹造さんは作者の人柄、思想を示している気がしました。人生には笑や、ユウモアーが必要なこと、どんなに悲惨な状況にも遊び心が必要なこと、真面目だけでなく、要領の良さも大切な事、男は女好きでなければならない、など井上さんの生き方、思想が表れている気がしました。

 みじかくて、二人の会話だけで、沢山の事を読者に悟らせ、感じさせるこの作品の素晴らしさに、感心しました。


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