幸田文『父』     2015713    伊藤いち子

【あらすじ】

 昭和22年夏、幸田文が父露伴の看病の様子、日常生活における細々としたきまり、気むずかしい父を看取る苦労が書かれている。

 711日に歯ぐきから出血し、30日に亡くなるまでの様子。特に物資の乏しい中、父のために氷を調達し、つてを頼って往診してもらう気苦労。そして父に対する思いがつづられている。そして逝去後の葬式の様子、親を見送る子供の気持ちなどがが書かれている。

【略 歴】

1904 父露伴 母幾美(幾美子)の次女として東京向島で生まれる

1910 母死去

1912 父が児玉八代と再婚

1928 酒問屋 三橋幾之助と結婚

1929 長女 玉出産

1938 離婚 実家に戻る

1947 露伴没後「露伴先生記念号」に「雑記」を発表。文筆活動の出発となる。

1950 断筆宣言

1951 柳橋の芸者置屋で住み込み女中として働くが、病気のため2ケ月で帰宅

1957 日本芸術院賞

1976 日本芸術院会員

1990.10.31  心不全で死去 86

   11.2  告別式 弔辞 阿川弘之 安江良介


【言葉の意味】

P14        7            要品       お経、妙法連華経要品

P14        16          気先       気力の発するところ。気勢

P19        9            点綴       てんていの慣用読み。点を打ったようにあちこちにいろんな要素が調和して全体で一つの美を形成すること

P20        10          せしめ    不明。動詞せしめるはある。ブログの中にも未だわからないという記事有り

P27        11                     直角を測る定規

P31        6                       夜具

P33        2            薑桂の性剛直な人は年老いても変わらずますます激しくなる。

              11          慳貪邪見              欲が深く間違った考えをする

P34        4            峻拒       厳しく断られる

P50        11          低徊       考えごとをしながら行ったり来たりする

P60        3            ひぞり言              すねて無理を言うこと

P64        17          峻剤       強い薬

P74        17          アブセント absent          ぼんやりしていること

P75        7            神色泰然              常に落ち着いて顔色を変えたりあわてたりしない様子

P77        1            撞木       鉦などを鳴らす為のT字型の棒

P101      9          盤台       魚屋が魚を入れて運ぶのに使う浅くて広い長円形のたらい

P102      1          ふけさめ              やることに差がありすぎること

P104     11          かす       自分の能力や知恵を他人のために使う

P105      5          ふんけい              かぐわしい、香りが良い



【親子で作家】

萩原朔太郎 18861942  「月に吠える」

萩原葉子 19202005            母稲子との長女として生まれる「蕁麻の家」「閉ざされた庭」「輪廻の暦」三部作

太宰治    19091948

津島祐子 次女 1947          「火の山ー山猿記」 
   
   太田治子 1947             心映えの記」

水上勉    19192004

窪島誠一郎    1941   「父への手紙」

吉本隆明 19242012     評論家

吉本ばなな    1964   「キッチン」「TUGUMI」(山本周五郎賞)

井上光晴 19261992     「虚構のクレーン」「死者の時」

井上荒野       1961   「切羽へ」(08年直木賞)

有吉佐和子 19311984  「恍惚の人」「華岡青州の妻」

有吉玉青       1963   「身がわりー母・有吉佐和子との日日」

金原瑞人 1954~ 翻訳家

金原ひとみ    1983   「蛇にピアス」2004年芥川賞

朝吹登水子、石井好子 大叔母

朝吹真理子    1984   「きことわ」2011芥川賞


【森茉莉と幸田文】

 二人とも明治の文豪を持つ娘としてしばしば比較される。

 ともに父の死後に書き始めたが生活全般はかなり違っていた。

 露伴自信が7人兄弟の4番目で貧乏暮らしの中、朝から晩まで家事一切、拭き掃除・障子貼り・薪割り・草取りと何でもやってきたせいなのか、幸田文は厳しいしつけの下、家事はすべてこなしてきた。それに対し森茉莉は父に溺愛されて育ったため、家事は全般に不得意だが、料理だけはできたという。「甘い蜜の部屋」はゴミ部屋の中で書かれた。

 森茉莉の著作に「幸田文氏のこと」より抜粋

「父の33回忌に記念碑をみなさんにみてもらうためにお招きしたときである。誰かが「幸田さんだ」といった。瞬間非常にきれいな人の印象だった。」

「私は余り他の人のものを読まないのは怠け者のためというのも真実だが恐怖もある。うっかり他の人のものを読んで萎縮したくないのである。今度否応なしに読むことになり、この人はしてきた苦労が身についてそれが光ったものになってきた人のようである。「苦労」とか「苦労人」とか私のあまり好きでないものが、そういうものをつきぬいて別のものになり一種の美になっている。」

【感 想】

 戦後 私には想像もつかないような物のない時代に、こうまでして親の看病をしたということにまず脱帽。氷一片を手に入れるためにしなければいけない苦労、自分だったらとうの昔に放り出していただろう。

 また、見舞い客達は親切そうに心配そうに振る舞いながら、押しつけがましく勝手に口出しをしてくるのは今も昔も変わらないようだ。

 文章も父の亡くなった夏の暑さが伝わってきて、畳み込むような文章を読んでいると、自分の方がつい前のめりになっているような気がするし、そこここに引きずり込まれる表現がある。読み直すたびに新しい出会いがあるような、そして机に向かって背筋を伸ばして読まなくてはと思わせてくれるこの人の文が私は大好きです。

【その他】

 ・露伴住居 向島蝸牛庵について

       この家で明治30年から約10年間過ごしている。

       現在、明治村3丁目26番地に移設されている。

 ・文中武見先生は後の医師会会長武見太郎氏と思われる。

 ・土橋さん 本名塩谷賛(19161977)編集者 幸田露伴研究家

 ・柳田泉(18941969)明治文学研究者、翻訳家



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【出席者の感想】       記録  川地元康

・生活者の感覚を感じた。偉大な父を持ったものの気持ちが、表わされていた。兄妹の真ん中の者の悲哀感が出ていた。父に認められたいと言う気持ちを強く持っていた。最後は海山より親の愛が勝ると、作者は感じた。

・看護の大変さを感じた。暑い日に氷が手に入らなく、一日さまよう大変さを感じた。父に愛されてなく恨んでいた自分を、父に詫びたい、自分は愛されていたと看護するうち感じたのだと思いました。 

40年前住んでいた所が出てきて懐かしかった。日記風に心理も含め克明に書かれていた。言葉難しく表現が独特で、興味深く読みました。父を敬い愛していたのを感じました。

・文がうまく無駄がない。父から愛されてないと思っていたが、看護の中で自分が愛されていたと作者が感じた。自分の葬儀の事を考えた。

・父と娘の愛憎を感じた、死に行くことの大変な事を感じた。独特の言葉が出てくる、江戸言葉が文を味わい深いものにしている。

・死が繊細な文で書かれていた。お葬式で着物をみんなで縫って着せた事を思い出しました。葬儀で義理だけで来る人、死んで表情が変わる事、などがよく観察されていると思いました。全体的に難しく感じました。

・レジメがよく出来ていました。江戸言葉か古語なのか、言葉が難しく、しかし自然に滑らかに作られていました。父娘の愛憎の感情、特に女性が持つ感情がうまく表現されていました。自分の死の事、自分が看取られる時の事を考えました。

・父や義父を看取った時は心のゆとりがなかったので、感動しました。文豪の父を持ったため、体面が有るので大変だと感じました。まだらボケの所、見舞いの人の所が共感できました。2回目は病院に入れてよかったと思いました。

・立派な父を持った文さんの葛藤を感じました。父に愛されたかった文さんの気持ちを感じた。

・学のある父の為かえって看取るのが大変だと感じた.最善の看護をしたと思いました。

・きっちりと調べられておられるのに、感心しました。肉親の死を看取ったばかりで、本が読めなく成りました。

・看病しながら自分の人生を振り返っていると感じた。わからない文が有り、凝縮された文が有り、ちょっと難しい言葉があった。



父を読んで】      川地 元康

 文さん、大変でしたね。家を消失し、なじみのない土地で、寝たきりの父の看護。食糧や物のない時代、看護の不手際を怒る父、医者の言うことを聞かない父、毎日夜中の出血、医者を呼びにしょっちゅういかなければならないこと、氷を求めての毎日の買い出し、だんだん父でなくなってゆく父、寝不足、疲労の中不安に駆られ、逃げ出したくなったり、誰かに頼りたくなったり、もういやだと思ったりしながらも、見こと父を見送った文さん。足かけ三年、立派に勤めを果たされ、ご苦労様と言ってあげたいです。

母を看病した私と妻には、文さんの苦労が痛いほどわかります。親子ゆえの遠慮のなさが、お互いを傷つけあうこと、お互いに老いてますます頑なで意固地になっていくこと、長い生活で付いた生活や習慣、考えはもう変えられないことでお互いいがみあわなければならないこと、悲しいけれどこれが現実です。あとある日ちょっと来て親切そうに忠告やら、世話をやき、好物を食べさせたりする人、病人には新鮮でうれしいことであっても、看護するものにとっては、意地悪としか思えないこと、などは私たちも感じたことです。特に食べ物はあとで下の世話が大変です。

あるとき蚊取り線香をもらったとかくの噂の寡婦、若い体を元手に生きるふてぶてしさ、逞しさに、かつての自分がよみがえり、いやだなあと思いながらも、なつかしかつたというところに、彼女に非常に苦しいときがあったことがわかりました。父が氷を欲しく、子供の様にぽかんと口をあけているのを見たとき、ああもうだめだ、どうしてもだめだと思ったと書いてあったことで、彼女は父が父でなくなることが耐えられないほどつらいことだったようですね。

 あと名文と思う所を原文で取り上げたい。それは父から命を剥奪して行ったのではなかったこと、父はもはや抗わなかったに違いない、むしろ任せていたのではなかろうか。したがって死は、父から切り取って奪うべき何物もなかったのだし、何の傷をも与え得られないほど父は自若としていたろう。死の表現は父幸田成行の上において確となされたけれど、死の挑戦と残虐と眩惑とは、実は私に対ってなされていたのではなかろうか。それなら効果は挙がった。私はいまだに癒えぬ痛恨を残している。  

 死は本人に向かうのでなく、看取る人に向かうと言うのは、鋭い指摘ですね。あと、私が父にして父にあらざるものと見て、恐れおののいたものは、実は父のからだの上へ死が這いあがっていたのだ。私は死の顔を知らなかっただけである。父が父でなくなってゆく怖さが見事に表現されています。

 それから,ときどき短い間を、ほんとうの父にかえってくれるとき、怒涛のような悲しさとなつかしさが押しよせた。「お父さん、わかりますか」「文子だろ」それはしみ入るような悲しさであり、尊敬すべき父の姿だった。

 瀕死の状態であってもなお高い処に寂として父の姿でいた。はるかの隔たりを仰ぎ見るおもいがしたことを忘れない。一人のこして行く文子を愛おしみつつ慈しみつつ憐れみつつ、微笑していたその顔、まことに慈父であった。いま私はみずから愛子、文子と信じて疑わない。

 彼女の父への愛情と尊敬がよくあらわされています。父を失う悲しみが伝わってきます。父は出来の悪い近親より、出来のいい他人の子を尊び、かわいがったことを嘆いていましたが、すぐれたものを尊ぶことが父を偉大な文豪に育てあげた気がします。文子さんも出来の悪い子じゃなく、お父さんの才能を受け継いで立派な文章を書かれ、逞しく生きていける、出来のいい、賢い子だと思いますよ。

 叔母が訪ねてきて、辛いことがあったと、書かれて有りました。何があったかわかりませんが、実は妻の母も長い間、絶交状態にあった兄が突然訪ねてきて、涙のお別れをしたことが思い出されました。

 私は葬儀については、3回出しました、最初、初めてで何もわからず、葬儀社の言う通り葬儀を行い、莫大なお金がかかったことが有りました。懲りて2回目から6分の1で出来ました。苦い思い出です。

 『こんなこと』の方も読みました、博学で厳父で慈父であって、子供とよく遊びおちゃめなところもある、素敵なお父さんでしたね。そんなお父さんだから、大好きで尊敬していたから、つらく困難な看病も見事やり遂げられたのだと思いました。そして文子さんの逞しさ、生きる巧みさを感じました。慣れない所に行ってもすぐ話相手を作り、困ったときにはすぐ助けを求めることが出来、細かいことにもよく気が付き、すぐ行動が出来ることなど、女性は腰が軽く、おしゃべりであるべきだと、言われますが、本当にそのとうりだと思いました。彼女の文章の才能、賢くて生きることの巧みさ、逞しさを感じた本でした。


【幸田文『父』作品中の語句について】        若林 孝之

人の気というものも暑さに弛緩して 生命の根源となる勢い。活力の源。

なまじいに新しいだけなおみじめに見える なまじい 出来そうにも無いこと       

 を無理に 万葉集 すべきでない又はしなくてもいい事をする様 太平記

 なまじ なまじいの約 泉鏡花「眉かくしの霊」 なまじっか

こっぱ小屋でしかなく 取るに足りないつまらないもの 「浮世風呂」

地上満目の焦土  満目粛条

間がな暇がな読んでいた人が  間がな隙がな 浄瑠璃「心中宵庚申」

その楽しみを投げてまじりまじりとしていた 狂言「骨皮」

急にこわいように居しかんだり  居敷かる「東海道中膝栗毛」どっかり坐る

いらいらしさを    造語?  苛立たしさ  

一種のイズムのある家庭では    主義主張のある  家風厳格の

悶着煩累のほかに何がありよう筈は無かった 悶着 浄瑠璃生写朝顔話 

机は沢を失ってされていた 曝る 日光や風雨にさらされ色が変じて朽ちる 

                          日本霊異記 下

はむき おべっか 機嫌とり 浄瑠璃「傾城四十八手」

ひぞり すねて怒る 浄瑠璃「新版歌祭文」

耳立つ  聞いて心ニ留まる 聞き捨てにできない 源氏 若菜上

古枝についていた葉はこずんで小さく  一つ所に片よって集まる

空はすかりと晴れて    造語?

その眼は岸離れするほど見開かれ  造語?  父同士は幼立ちの親しい友達              

さし荷いでとぼとぼと   父の訪問にはふけさめということがなく続いた

段々深の思慕の情

これから生きる何年のわが朝夕、寂しくとも父上よ、海山ともしくない

ともし  心がひかれる 「父上のご恩、海山どころか」の意か?