米原 万里 『嘘つきアーニヤの真っ赤な真実』 

      報告者 伊藤 いち子   2017年1月9日


【米原 万里の略歴】

1950 4.29 父 米原 昶、母美智子の長女として誕生。

1953 妹ユリ誕生。

1957 大田区立馬込第三小学校入学

1959 父の仕事のためチェコスロバキアのプラハに移住。

1960 チェコの8年制ソビエト大使館付属学校第二学年に編入。

1964 第7学年で中退、帰国。

1965 大田区立貝塚中学校二年に編入。

1966 同校卒業。

1969 私立明星学園高等部卒業。

1975 東京外語大学外国語学部ロシア語卒業。

1978 東京大学大学院人文科学科ロシア語ロシア文字専攻修士課程修了。

1980 ロシア語通訳協会設立。初代事務局長就任。

1985 ゴルバチョフ書記長の通訳担当。ペレストロイカを打ち出したため仕事量が急増。

1990 エリツィン大統領来日時に同時通訳務める。

1995 「不安な美女か貞淑な醜女か」 第46回読売文学賞受賞。

2002 「嘘つきアーニヤの真っ赤な真実」 第33回 大宅壮一一ノンフィクション賞 受賞。

2003 「オリガ・モリソヴナの反語法」 第13回Bunkamuraドウマゴ 賞 受賞。

2006 5.25 卵巣がんのため死去。享年56歳。

               (米原 万里 公式サイトより)


【そのころの世界と日本】

本の場面   世界   日本 
 ソビエト学校時代  1959 キューバ革命  1959 伊勢湾台風
   1960 OPEC結成  1960 安保条約調印
   1961 ケネディ・フルシチョフ会談  1961 名張毒ぶどう酒事件
   ベルリンの壁ができる  
     
 父が再渡欧  1968 プラハの春  1968 東大紛争 
   1969 アポロ月面着陸  
     
 アーニャとの再会  1995 サラエボ空爆  1995 阪神淡路大震災
        イスラエル・ラビン首相暗殺       地下鉄サリン事件
        WTO発足       PL法施工

【あらすじ】

 チェコスロバキアのソビエト小学校4年生の私はそこでルーマニア人のアナ・ザハレスク、通称アーニヤと仲良くなる。共産主義国であるルーマニアは社会的平等だけでなく経済的平等も実現させようという国であるはずにもかかわらず、アーニヤの家族が住んでいた家は巨大なシャンデリアや24人掛けのテーブル、屋根裏にお手伝いさんとその夫の運転手が住まいする部屋があるなど、ブルジョアそのものの生活をしていた。

 アーニヤは優しくて友達を大切にする女の子であったが、大げさな言葉を使い、まじめな顔でよく嘘をついた。また、クラスメイトの誰よりも愛国心が強かった。1964年の春、彼女がルーマニアに帰り、その半年後にわたしも帰国した。帰国後は交わされた文通は3,4回程度だった。それはお互い自国の生活に慣れることが大変だったためだ。

 1969年夏、父がルーマニアに出張することになり、アーニヤ宛の手紙と写真を持って行ってもらった。2週間後に戻ってきた父はアーニヤからの手紙と写真を携えてきた。その手紙には彼女が結婚したことや相手の夫がイギリス人で自分は今ロンドン大学で古典を学んでいること等々が書いてあった。何より驚いたのはアーニヤのロシア語が間違いだらけだったことだ。

 1995年ブカレストを訪れることになった。アーニヤが思い出帳に記した住所を訪れると、そこには彼女の両親が住んでいた。そこで彼らが実はユダヤ人であることを知る。次に兄のミルチャと再会し、彼からは長兄、次兄の事、アーニヤが英国人と結婚したいきさつ、その他、多くのルーマニア人の生活などを開いた。

 プラハのバツラフ広場ヤン・ジフコプ銅像前で二人は約30年ぶりに再会する。しかし会話を重ねるほど、アーニヤの現在の実生活と彼女の話に違和感を感じ、そのまま受け入れられなくなってしまった。

 翌日二人で母校を訪れ、音と変わっていない校舎の中で彼女の話を聞いていると学校時代の愛国心の強かった少女はもうそこにはいなかった。言いたいことは山ほどあるがその言葉を飲み込み、彼女の「21世紀には国境はなくなり人類はたった一つの文明語でコミュニケートする」という話を聞く。そう語るアーニヤの瞳は学校時代と変わっていなかった。


感想】  伊藤いち子

 自分の学んだ学校とはあまりにも違っていて、驚かされることが多かった。スクールバスの運転手が生徒をからかったり、(今日の日本なら大問題!)提出用ノートはペン書きにすることなどだ。また、50か所以上の国々から生徒たちが集まっていることから起こるトラブルはなかったのだろうか。現在も民族間紛争は激しいが、この冷戦の時代は穏やかな日々を送ることができたのだろうか。

 共産主義社会は資本主義の国以上に特権階級と一般の人々の生活に差があって、私たちがなかなか見ることのできない東側の様子を知ることができ、興味深いものがあった。

【 大宅壮-ノンフィクション賞」

 大宅壮一の業績を記念して毎年優れたノンフィクション作品を表彰。1970年より始まり、対象は前年1/1~12/31まで。2014年から書籍部門と雑誌部門に分かれる。

主な受賞作

1970 石牟礼 道子    「苦海浄土 わが水俣病」

1971 イガヤペンダサン  「日本人とユダヤ人」

1972 柳田 邦男     「マッハの恐怖」

1973 山崎 朋子     「サンダカン八番娼館」

1975 吉野 せい     「洟をたらした神」

1979 沢木耕太郎     「テロルの決算」

1983 小坂井 澄     「これはあなたの母 沢田美書と混血児たち」

1986 杉山 隆男     「メディアの興亡」

1987 猪瀬 直樹     「ミカドの肖像」

1989 中村 紘子     「チャイコフスキー・コンクール」

1990 辺見 じゆん    「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」

1991家田 壮子      「私を抱いてそしてキスして」

1995 櫻井 よし子    「エイズ犯罪 血友病患者の悲劇」

1998 阿部 寿美代    「ゆりかごの死 乳幼児突然死症候群」

2001星野 博美      「転がる香港に苔は生えない」

2002 米原 万里     「嘘つきアーニヤの真っ赤な真実」

2004 渡辺 一史     「こんな夜更けにバナナかよ」

2007 佐藤 優      「自壊する帝国」

2009 平敷 安常     「キャパになれなかったカメラマン」

2012 森 健       「つなみの子どもたち」

2013 舟橋 洋一     「カウントダウン メルトダウン」

2016 児玉 博      「堤清二『最後の肉声』」

     堀川 恵子     「原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年」

 

【大宅壮.一】          

1900.9.13生~1970.11.22死去。ジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家。

妻は大宅昌、三女は大宅映子。       

彼の造語: 一億総白痴、駅弁大学、口コミ、太陽族、緑の待合。



【わたしの感想】   川地 元康

 とても興味深く読みました、チェコのプラハに留学した時の
3人の友達を通し、プラハの春からワルシャワ条約機構軍の進駐、チャウシェスクの失脚、ユーゴスラビアの内戦、ソビエトの崩壊、と東欧の激動を、内側から友人を通し、中でどんなことが起こったのか伺い知ることが、少しできた気がしました。新聞で事件は知っていましたが内情は全く知りませんでした。

 政権の変化に翻ろうされる
3人の女性を通じ、共産主義の光と闇、文化の違いを教えられ、作者の人間の本質や文化や愛国心などを見る目の確かさ、聡明さ、優しさ、強い好奇心、積極性、社交性、語学力の高さが伝わって来ました。

 男は歯で良し悪しが分かる、男は女の目と足に魅かれる、と作者が言えば、信じて仕舞いそうです。

 休みの日には宿題は出さない、とか教師は一方的に喋るのではなく、必ず生徒に喋らせること、ノートは必ずペンで書くこと、ノートには正式のノートと鉛筆で書くプライベートのノートがあることなど、外国の教育や文化の違いに興味を引かれました。

 アーニャは優しい人柄だけど走る姿が不格好、全ての人を同士と呼び、貴族のような暮らしをしていて、気恥ずかしくなるほど共産主義を褒め称えること、強烈な愛国心、誇張癖と誠実面でつく嘘など、欠点が有りながら、嘘をつかないアーニアなんてつまらない、と皆に思われ、愛されていたと書かれていたことに、作者の人間を見る目の確かさが感じられました。

 確かに欠点は人をホットさせ安心させる力がある気がします。決点を補いあう形の夫婦が多い事からも、欠点が人を結びつける役割をする気がします。美点は人に尊敬されますが、欠点は愛されると、私も思います。

 それから故国への愛着は、時間と距離と政治的、文化的距離が離れれば離れるほど強くなること、愛国心は、大国より、小国、弱い国の方が強いこと、それと故国が不幸なときほど強くなると書いて有ること、ヨーロッパ人のギリシャ文明に対する尊敬など、作者の鋭い観察眼が感じられました。

 チャウシェスクの幹部としての特権を十分利用し、豊かな生活、外国への留学、外国人との結婚と、幸福な生活を手に入れたアーニア、絶えず体制側に就くアーニア、困窮の中のルーマニアの人々に心が痛まないように見えるアーニア、だけど兄ミルチャの立派さ、特権を受けることを拒否して普通のルーマニア人として生活していること、この国がまともな国になることを望んでいることを話すと、嫌な顔することなどを考えると、彼女は心が痛んでいる気がしました。

 アーニャは、昔は白か黒かで割り切っていたが、今では白、黒なんてあり得ず、現実は灰色だと学んだとか、愛国心などの民族主義は世界を不幸にする元であると、今の自分を正当化するような主張を誠実な面持で作者に言ったことから、作者米原が感じたようにアーニャも、痛みを感じているに違いありません。

 アーニアのお父さんが作者米原の耳元で囁いた「後悔しています」と言ったことで、この国の体制が救いようのないことを悟っていたようです。それは子供たちを外国へ出すよう勧めたことでも解ります。理想の国を作る情熱は何処で間違ってしまったのか、貴族やブルジョワの代わりに共産党幹部が取って代わっただけに成ってしまった現実に、困惑しているみたいです。

 作者が言っているように、自分がアーニャとミルチャの立場なら、アーニャの取った道を拒むことが出来たろうか、ミルチャの道を取る勇気を持ち合わせていたろうか、持ち合わせ無かった方が確実だろうと言っていることに、作者の人間の弱さを見る目の確かさが感じられました。結婚して子供を持つと、優先順位は家族のことが一番になって行きます。理想は捨てざるを得なくなる人間の弱さを、作者は知っている気がしました。

 ナショナリズムについて、アーニアが言っていることが気になりました。異国や異文化に接したとき、自分を自分足らしめている祖先、文化、自然に親近感を感じ、自己保全や自己肯定本能が働き、自国と自民族を誇りに思うものです。そう思わない者は人間として最低である、そんなヤツは結局世界中どの国もどの民族も愛せないと書いてありました。普段、愛国心について考えたこともない私自分が叱られているような気がしました。

 アーニャの黄色いノートの嘘が兄の、フランス亡命を隠すためだったことや、純粋のルーマニア人と聞かれたときの異常な怒り方も、実はアーニア一家がユダヤ人だったからだとわかり、謎が解けましたが、このような謎解きのようなな面白さがありました。

 共産主義が失敗したのは、人間の利己的本質を見誤ったことと、競争の無い社会が発展しないことに原因があった気がしています。

 旧ユーゴスラビアの内戦も西側の報道しか知らず、セルビアが一方的に悪者にされたことも、ロシア側から見ればまた違ったものだったこと、ロシア人は冷酷な人と思っていましたが、実は親切でお人よしであることなども知りませんでした。チャウシェスクが失脚した時、本人がいなくなっただけで体制はそのままだったことも、知りませんでした。

 自分の国を愛することの大切さを教えられ、私は愛国心を危険なものだと、考えていましたが、少し考えが変わった気がします。作者の観察力の鋭さを、強く感じました。名著だと思いました。