水上勉  『うつぼの筐舟』  27年4月13日(月)  報告  岡本 恵子

 昭和35年11月号「オール読物」に発表された。

【あらすじ】

 舞台は佐渡小木の港、昔は佐渡金山の公金積み出し港として栄えた町、今はうら寂しい漁港に変わり果てている。
 漁師の子瀬沼糸吉(14歳)が丸木舟を出して地引網の結び目を見届けに海へ行き、岩と岩の間に黒い箱のようなものを見つける。竿でつついてみると中身がゴトンゴトンと音をたてるのを聞いて、「何かが入っている」、人間が入っているような気がして、大急ぎで浜に向かって漕ぎ出し、村人に知らせる。箱の中には美しい女の人の死体が入っていたため、警部補多田利吉によって殺人事件として捜査が始まる。
 多田は新潟大学の地質学者内浦博士を訪ねる。そこで、柳田国男の『うつぼ舟考』という文庫本を渡される。多田は老巡査部長岩島と一緒に歌垂村の寺大工木沼を訪ねる。木沼は京都の相国寺の修繕に行き、京都塔頭瑞雲庵の和尚の隠し女睦子を好きになり、歌垂村に連れて帰るが、追手がやって来たので、睦子は命を絶ってしまう。
 木沼にとって睦子は一生に二度と現れない女であり、かけがえのない睦子が死んでしまい悲しかった。昔母から聞いた親不知の海の穴の話を思い出し、その穴へ睦子を沈めれば誰にも知られない、私だけのものになると考え実行する。しかし、木沼の優しさが災いし海の穴に沈んでしまうことができず、岸に流されて発覚し、殺人事件として捜査されることになる。木沼を捕らえて話を聞くと睦子は自殺したのだと言う。

【感想】

 厳しい日本海に面した小さな村の情景を交えながら、『うつぼ舟考』という裏日本の昔から伝わる民族的伝統を下地に、悲しい民話を活かし、薄幸な男女の運命を浮き彫りにした作品。


水上勉 1919年3月8日~2004年9月8日(満85歳)
(ウィキペディアWikipediaより)

代表作
『雁の寺』(1961年) 『越前竹人形』(1963年) 『飢餓海峡』(1963年)
『一休』(1975年)
『金閣炎上』(1979年)

水上 勉(みずかみ つとむ、みなかみ つとむ、1919年(大正8年)3月8日 - 2004年(平成16年)9月8日)は、日本の男性小説家。福井県大飯郡本郷村(現:おおい町)生まれ。苗字の読み「みずかみ」は本姓であり、筆名(ペンネーム)としては、長年「みなかみ」が使用された。一時、筆名(ペンネーム)としても「みずかみ」を使用するも、徹底しなかったために「みなかみ」に戻したとの説もある[要出典]。


以下は、フリー百科事典「ウイキペディア」よりの抜粋です)

【水上勉の生涯】 

 福井県の棺桶職人の家に生まれ、5人兄弟の次男として育った。生家は乞食谷(こじきだん)という谷の上にあり、そこは死体を埋める谷のとば口で、一家は地元の素封家の所有する薪小屋に住んでいた。

 貧困から、9歳(一説には10歳)の時、京都の臨済宗寺院相国寺塔頭、瑞春院に小僧として修行に出される(この時、寺に住み込んで画の練習をしている南画家の服部二柳を見ている)が、あまりの厳しさに出奔。 その後、連れ戻されて等持院に移る(これらの経験がのちに『雁の寺』、『金閣炎上』の執筆に生かされた)。10代で禅寺を出たのち様々な職業を遍歴しながら小説を書くが、なかなか認められず、また経営していた会社の倒産、数回にわたる結婚と離婚、最初の結婚でできた長男(窪島誠一郎)との別離など、家庭的にも恵まれないことが多かった。

旧制花園中学校(現・花園中学校・高等学校)卒業。1937年(昭和12年)、立命館大学文学部国文学科に入学するも生活苦のため半年で中退。

作家デビュー

1944年郷里に疎開し国民学校助教を務める。戦後上京し、文潮社嘱託ののち虹書房を興して雑誌『新文藝』を創刊、石川啄木、樋口一葉などの作を刊行し、1946年(昭和21年)頃、宇野浩二の『苦の世界』を刊行したことから宇野の知遇を得、文学の師と仰ぐようになる。虹書房は解散、1947年(昭和22年)に刊行された処女作『フライパンの歌』がベストセラーとなるが、その後原稿依頼がなく、しばらくは生活に追われ、また体調も思わしくなく、文筆活動からは遠ざかった。

服の行商のかたわら、菊村到に励まされ、松本清張の『点と線』をむさぼるように読みながら、日本繊維経済研究所に勤めていたときの経験から1959年(昭和34年)に日本共産党の「トラック部隊」を題材にした『霧と影』で執筆を再開。この作品は、友人川上宗薫の紹介で、河出書房の編集者坂本一亀の手に渡り、4回の書き直しを経て、出版へとこぎつけた。当時生活を支えるために妻がキャバレーのホステスとして働いており、坂本がその店へ原稿料を届けに行った際、「奥さん、長い間ごくろうさまでした。これで水上は作家になりました」と言ったという。川上宗薫とはその後、互いに、相手を誹謗するモデル小説『作家の喧嘩』と『好色』を書きあった結果、不仲となる(のちに佐藤愛子のパーティで再会し、人を介して和解)。

1960年(昭和35年)、水俣病を題材にした『海の牙』を発表し、翌1961年(昭和36年)に第14回日本探偵作家クラブ賞を受賞、社会派推理作家として認められた。しかし水上自身は推理小説に空虚感を感じており、「人間を描きたい」という気持ちから自分がよく知る禅寺の人間たちを題材に『雁の寺』を執筆、同年に第45回直木賞を受賞、華々しい作家生活が始まった。

直木賞受賞後

『飢餓海峡』(1963年)、『くるま椅子の歌』(1967年)などを続々と発表。小説『越前竹人形』、『はなれ瞽女おりん』、『五番町夕霧楼』、『櫻守』、伝記文学『良寛』、『一休』、童話『ブンナよ、木からおりてこい』、そして数々のエッセイなどを旺盛に書き続ける。1989年(平成元年)、自ら団長として訪問先の北京において天安門事件を目の当たりにし、帰国直後に心筋梗塞で倒れる。その後も網膜剥離の手術を受けるなどしたが、執筆意欲は衰えず、死去の場所も長野県にある仕事場であった。

次女が二分脊椎症という病気であったことなどから身体障害者の問題に関心を持ち、前述の『くるま椅子の歌』の他に、『拝啓池田総理大臣殿』等、社会福祉の遅れを告発する発言や文筆活動もしばしば行った。また1985年(昭和60年)、福井県大飯町(現:おおい町)に「若州一滴文庫」(特定非営利活動法人 一滴の里が運営)を創設、竹人形を使った人形劇の上演にも力を尽くした。

晩年

1997年(平成9年)頃から、パソコンやインターネットに強い関心を示す。長野県小諸市の仕事場にMacintoshを複数台購入し、「電脳小学校」と名づけて地元の子供たちにも開放しようとしていた。また、上京する際はPowerBookを持ち歩いていたこともある。本人もワープロソフトで執筆したり、電子メールを知人とやりとりしたりしていた。自ら描いた絵をスキャンして、その画像をインクジェットプリンタで竹紙に印刷したものを「版画」と呼んで楽しんでいたこともある。当時「たとえば早稲田大学も、これからは早稲田<検索>大学になるんだ」と話すなど、今でいうeラーニングにも関心があったようである。パソコンやインターネットを障害者や高齢者、地方に住む者のハンディキャップを補う道具としてとらえていたと考えられる。

2004年(平成16年)9月8日肺炎の為、長野県東御市で死去。85歳没。死後、正四位に叙され、旭日重光章を授けられた。没日は直木賞受賞作『雁の寺』に因んで帰雁忌と呼ばれる。

2006年(平成18年)、横瀬夜雨の伝記小説『筑波根物語』(1965年に『中央公論』に連載)刊行。

家族

1941年に加瀬益子と同棲。長男凌(窪島誠一郎)をもうけるが、戦争と生活苦のため靴の修繕屋に養子に出し、東京大空襲で行方不明になる(のちに再会)。1943年に松守敏子と結婚し長女蕗子をもうけるが、1949年敏子が子どもを置いて印刷会社の息子と駆け落ちしてしまったため離婚。1956年に西方叡子と再婚し、次女誕生[6]。長女蕗子は、俳優・京極潔(本名・勝亦純也)と結婚するが、京極は1973年に自宅の火事で焼死した[7]。



【参加者の様々な感想】      記 録 者   大畠 啓三


○ 知人の叔母さんが, 国民学校の助教をしていた頃の水上勉を知っていたという紹介があり, 興味をもって聞く。

○ きびしい日本海の情景をまじえて「うつぼ舟の民話」を生かしながら, 薄幸な男女の出会いが描かれており, 心にひたひたと深く沁みこんでくる作品

○ 海にだよう棺桶から死体が発見され殺人事件になっていく過程は, 読んでいて引きつけられた。単なる殺人事件とはちがい「うつぼ舟」の民話をからませ, 刑事ものから純文学へかわっている。愛の重さが感じられる

○ このひとの作品は他にも読んでいる。暗らくて救いがないが, すごい作品が多い。この作品は「越前竹人形」などの原形なのか。柳田の民話を題材としていて, 暗らいけどあたたかみがある。愛が大切である。

○ 逮捕され自殺とわかる結末は肩すかしの感じ, 睦子は木沼との生活に満足していたのに, 何故生きる方の選択をしなかったのか。死ぬことにより生が輝いている。

○ うつぼ舟伝説、即身成仏の話, うばすて山の話, 徐福の話も根は同じなのでは。補陀落渡海信仰につながっている。

○ 海流の話はよく調べてあるし, 柳田の民話が副テーマになっている。

○ 図書館ではこの作品は民話の部にあった。うつぼ舟やならやまで死体をすてるが、本当にすてたのではなく愛情をこめてほおむったのだと思う。

○ かくし女が印象てき

○ 窪島誠一郎が「父への手紙」で父をさがすが, それが水上勉だつたという実話がある。

○ 最後が教授のことばで唐突に終わっている。この終わり方はどういう意味があるのか

「うつぼ舟」の効果をねらったのではないか。ストンと終わって余韻がのこる。

○ 独特の水上文学のにおいがする作品。推理小説の中にもこんなのがあるのかという印象。

○ 木沼のつくる筺舟は愛情表現のひとつと思う。暗い中にもあたたかみがある作品

○ 推理小説として面白く読んだ。清張の作品ににているところもある。自殺した者を手あつくほおむることに感動

○ 柳田の「うつぼ舟の民話」が底流にあり作品に深みを与えている。出だしと結末が印象に残る

○ 水上の作品に共通するモチーフがある 寺 吃音 貧困

○ 昭和25年に佐渡で実際にあった「うつぼ舟」の事件にも大学教授も出てくる。舟の石が富山にしかないという話をする。犯人は夫だった。これを題材にしたとしても, 三面記事を文学作品にまでふくらませている。          (2015/04/14  記)

  (お詫び この報告は感想をまとめた部分や割愛させていただいた部分もあります。)


【感 想】               川地 元康

 海に漂う異様な棺桶のような木箱から死体が出てきました。若い美人で、首に絞めたような跡があり、警察捜査一課の多田利吉さんは殺人事件として担当しました。木箱は、厚い松板で釘づけし、化粧カンナがかけられ、セロテープで目張りがしてあり、さらに小石が入れてありました。女性は化粧がされており、またゆかた一枚にシュミーズだけの姿で、同意の上の情交の跡もありました。着ているゆかたから、粋筋の女性らしいなど、謎が謎を呼ぶ物語に、私は引きつけられました。

 死体を海に沈めるだけにしては、丁寧すぎる扱いに単なる殺人と違うものを感じさせます。さらにこの地方に伝わる伝説うつぼ船の話が出てきて、読者の興味を引き寄せます。うつぼ船は無用になったお年よりや子供を入れて海に流したり、泳げないひとを船の難破の時わずかな可能性にかけ流したりしたもののようです。

 さらに女性が妊娠5ケ月だったこと、京都から六、七軒のへんぴな村へやってきたこと、何年も人の住んでないぼろ屋に住んでいたこと、京都から男が訪ねて来たこと、源造と女は仲が良く喧嘩などしたことがないのに、村を出る前に大声で諍いをしていたことなどから謎が深まり、読者を引きつけます。

 木沼源造さんが逮捕され、その述懐から女性は自殺と判ります。私はどんな怨念、愛憎劇がでてくるかと期待していましたが、見事に肩透かしを食らった気がしました。

 源造さんと睦子さんの悲しい恋を知ると、刑事ものの推理小説から純文学へ途中で変わっていると感じました。

 孤児で育ち、いちも淋しかった源造さんがやっとつかんだ睦子さんです。彼女はきっと宝物だったと思います。亡くなった遺体に化粧を施し、頑丈な箱を作り、カンナまでかけ、痛くないよう小さい石を入れ、母から聞いた海のお墓に送ろうとした行為に、その愛の思いがこもっています。

 昔、女性を買いにしばしば行く友に、私は女性をお金で買うのは好きでないと言ったことがありました。その時ひどく怒られた事がありました。彼はいいました。「女性は好きで商売しているのではなく、ほとんど親兄妹を救うため、借金のために働いているのだ。そんな女性を少しでも援助したくて行っているのだ」と。たぶん睦子さんも家族を救うため、和尚さんの隠し女になったのだと思います。愛情の無い和尚さんとの暮らし、孤独で寂しい源造さん、お互いにその寂しさが伝わったのでしょうね。二人は源造さんの故郷へ逃げ帰りました。
 
 睦子さんは辺鄙な田舎暮らしも粗末な家も気なならないほど、源造さんとの生活は救いであり、安らぎだったと思います。そして源造さんの愛もいっぱい感じていたと思いました。たとえ他人の子でも源造さんは受け入れてくれると感じていたはずです。

 和尚さんの使いの人が来た夜に首を吊ったのは、お金の話か、ヤクザを差し向ける話が出たのでしょうか。それでも、源造さんは受け入れてくれると感じたはずです。その深い愛ゆえに却って迷惑を掛けたくない、迷惑を掛けて生きる自分が許せないと思ったのでしょうか。

 私はどちらかと言うと、必ず生きる方に選択すべきだ、たとえそれが悪くずるがしこくても、そうすべきと思っています。とくに、彼女には長い寂しい生活をしてきた源造さんのため、生きて欲しかったです。でも彼女の源造さんに対する思いと彼女の苦しみを考えれば、死ぬ気になれば何でも出来るとか、お腹の子供のため生きるべきだとか、源造さんのため生きるべきとか、そのようなことは彼女が亡くなった今、とても言えない気がします。

 死ぬことにより、美しい彼女は一層美しく輝き、幸せ薄い彼女の人生を彼女らしく精一杯生き抜いたと思いたいです。それは、日本人が好きな桜の花のように、短く儚いゆえに美しく感じるのだと思いました。


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