2014.2.110
 

  『山の音』  川端康成                          信藤もと子

 あらすじ


山の音 
 山の音が聞こえた。鎌倉の谷の奥で、遠い風の音に似ているが地鳴りとでもいう深い底力があった。音がやんだ後で、初めて恐怖におそわれた。死期を告知されたのではないかと寒気がした。修一は信吾と同じ会社にいるが、一緒に帰らない。女をこしらえている。菊子が嫁に来たとき、新しい媚態を感じた。信吾は保子の姉にあこがれた。菊子から保子の姉を思い出したりした。

蝉の羽
 娘の房子が二人の子供をつれてきた。上が里子、下が国子。夢をみる。亡くなった人や若い娘がでてきて娘に触れた感覚が残った。毎夜、蝉が家の中へ飛び込んでくる。蝉の数や、羽音に驚いた。雀の群れが飛び立つくらいの羽音だと感じた。お父様は菊子さんにやさしくていいわねえ。と房子は言った。菊子は鬱陶しい家庭の窓なのだ。

雲の炎
 台風がきた。停電のため蝋燭ですごす。保子との会話。昔から房子を嫌って、修一ばかりを可愛がっていたという。修一がそとに女をこしらえているのに、何も言わず、妙に菊子をいたわっているという。空を見上げると、月は炎の中にあった。月のまわりの雲が炎を思わせる珍奇な形の雲だった。

栗の実
 信吾と保子の婚礼の盃のとき、栗の実が落ちた。栗の実が大きな庭石にあたって、遠くへ飛び谷川へ落ちた。婚礼の席に義兄がいるので屈辱に似た圧迫を感じた。義兄はまぶしいほど美男だった。房子が生まれた時、保子の姉に似て美人になってくれないかと、ひそかに期待をかけた。しかし、房子は、母親よりも醜い娘になった。房子は保子の田舎の家へ子供をつれていったので、修一が迎えにいくことになる。女事務員の英子が修一の女の家を知っているので、連れていってもらう。鳥山の告別式の案内が届く。

島の夢
 床の下で野良犬のテルが子供を産んだ。昨夜、松島の夢をみた。日本三景の松島に行ったこともないのに、夢をみたのは不思議だった。松影の草原で女を抱擁していた。女は非常に若く、信吾も二十代だという風だった。旧友の水田が温泉宿で頓死をした。鈴木が細君から預かった能面を持ってくる。慈童のお面に、生きた女がほほえんでいるように見え、危うく接吻しかかった。

冬の桜
 相原との結婚に失敗し、房子が大晦日に子供を連れて突然、戻ってくる。事務員の栄子が新年の挨拶に来る。会社を辞めるという。修一の女の絹子に身をひくように頼むという。息子の嫁のために、息子を感覚的に憎むのは少し異常だと気づく。熱海の宿の庭は一月の中ごろ、桜が満開だった。停電したので早く寝た。嵐模様の大雨になった。しばらく眠れなかった。信吾さあん、という呼び声をゆめうつつに聞いた。保子の姉しかない。しびれるようなあまい目覚めだった。

朝の水
 朝、菊子が信吾のために洗面器に水を用意してくれる。菊子が鼻血をだす。英子が修一の女と同居している池田を連れてくる。絹子さんには修一と別れたほうがいいといっている。二人とも戦争未亡人。池田に別居をすすめられる。妻に修一たちを別居させようかと話す。

夜の声
 男のうなるような声で信吾は目がさめた。修一が菊子を呼ぶ声だった。修一が女の所から酔って帰ったのだ。菊子に手紙が届く。友達が中絶して後がよくなくて入院しているとのこと。見舞いに出かける菊子と一緒に電車で出かける。菊子に別居の話をする。菊子はいっしょにいたい、そばを離れるのは心細い、お父様といるのが、すきなんですわ。別居させられるのは、恐ろしいという。

春の鐘
 鎌倉は仏都七百年祭で、寺の鐘が一日中鳴っていた。みなに愛されているうちに消えたいという老人夫婦の記事。鎌倉の大仏へ房子と里子と出かける。里子が振袖を着た少女の袖につかみかかろうとして倒れ、危うく車に轢かれそうになる。里子の凶悪、凶暴な性質は、誰の血筋か? もし、保子の姉と結婚していたら、里子のような孫も生まれなかっただろうか。

烏の家
 今朝、五月の半ば過ぎ、鳶の声を聞いた。烏もいるらしい。電車の中で修一から菊子が人工流産したと告げられる。今のままでは、子供を産まないという、菊子の潔癖があるらしい。菊子が里へ帰る。
都の苑 菊子の里へ電話をかけた。新宿御苑で待ち合わせることになる。お父様に電話をいただいて本当に嬉しかったという。明日の朝、帰るという。会社に英子がきた。修一が中絶の費用を絹子に出させたという。修一の精神の麻痺と退廃とに驚き、暗い恐怖におびえた。

傷の後
 みやげに和製の電気剃刀をもらった。ひげ男の夢の後でみだらな夢をみた。夢の娘は菊子ではあるまいか。結婚する前の菊子を愛したいのではないか。菊子は戻ってくると自分の傷をいたわるように修一となかよくなってしまった。

雨の中
 相原の心中事件が新聞にのる。女は死んだ。相原は麻薬の常用者らしく、命はとりとめた。英子から修一の女が妊娠していると聞かされる。絹子は子供を産むという。
蚊の群 息子の女の家へ行く。子供は私のもので、産ませてほしいと懇願される。修一とは別れたし、修一の子ではないといいはる。信吾は小切手を手渡した。夢の中で蚊のかたまりを日本刀で切りまくった。バケツいっぱいの蚊を見て目がさめた。

蛇の卵
 肝臓がんの友人を見舞う。夜明けに長い夢をみる。白い卵が二つあり、一つは蛇の卵で穀が割れて子蛇が頭を出していた。修一に良心について問いただす。絹子は沼津へ行き、子供を産むらしい。
秋の魚 急にネクタイが結べなくなる。菊子に別居をすすめるが、修一がこわいから別居は嫌だという。夕飯に鮎の塩焼きを一家七人が揃って食べる。みなで田舎へもみじを見に行こうと誘う。もみじを菊子にみせたいと思う。


  感 想

 山の音を死の予告のように不安に感じている。友人の死や夫婦の心中などいろいろな死が多く出てくる。年老いていくことの心情が出ている。この小説を書いたのは、50歳すぎなので、信吾の年よりもひとまわり若い。年老いることを想像して書いている。
 若い美女が好み。不美人に対して冷淡。房子は醜いから幸せにはなれない。
 老妻、息子、嫁、出戻りの娘という家族構成は、現代なら殆どないだろう。かなり、緊張感を伴う関係で、とても息苦しい。戦後は二世帯同居があたりまえで、義父が家長として、一番偉かったのだろうか? 信吾が若くきれいな菊子を好むのは、わかるが、菊子も別居が怖いといい、夫より義父に安らぎを感じている。作者の願望のあらわれか?
 菊子が潔癖のため、人工流産することや、戦争未亡人だから、子供を産むという気持ちが女性としては自分勝手に思う。男性の視点でかかれている。
 日常的な暮らしが、「菊子」、「おとうさま」と互いを呼び合い、進行していく様子は、まるで映画をみているようで、小津安二郎の映画を思い出させる。


  「山の音」研究     「川端康成論」 鶴田欣也著より抜粋

 冒頭の山の音を聞く信吾と、最後に瀬戸物を洗う音を輝く信吾では、かなりの相違がある。
 約一年と三ケ月の間に信吾の内部に大きな変化があった。62歳の主人公の内部にどのような変化がおきたのだろう。
 夢の中で信吾が回を重ねるごとに時間を逆行させ、しだいに青春を取り戻していくのだが、その直接の刺激は若くて美しい嫁、菊子である。
 「秋の魚」では信吾はすでに向こう側への旅も終わらせ、菊子のこともほぼ諦め、現実を受け入れようとしている。「今は身を水にまかすや秋の鮎」この俳句で秋に死んでいく魚に自分の身をたとえるだけのゆとりを得ている。瀬戸物を洗う音で菊子の耳に信吾の言葉がとどかなかったという最後の一行は、さりげない描写でありながら老主人公の淋しさを的確に表している。



 
 川端康成年譜―Wikipediaより

・1899年(明治32年)―大阪市天満此花町で、開業医の家の長男として生まれる。
・1901年(明治34年)―父栄吉、結核で死去。
・1902年(明治35年)―母ゲン、結核で死去。祖父母と共に大阪府下三島都豊川村(現在の茨木市)へ転居。
・1906年(明治39年)―祖母カネ死去。
・1912年(明治45年)―旧制茨木中学校(現大阪府立茨木高等学校)入学。
・1914年(大正3年)―祖父死去。大阪市の母の実家に引き取られるが、通学のため茨木中学校の寄宿舎に入る。
・1917年(大正6年)―茨木中学校を卒業、旧制第―高等学校(現東京大学教養学部)に入学。
・1918年(大正7年)―伊豆を旅する。
・1920年(大正9年)―東京帝国大学英文科に入学。
・1921年(大正10年)―国文科へ転科。『招魂祭―景』発表
 (大学時代に第8次『新思潮』に発表した作品をきっかけに、菊池寛に認められ、交流を持つようになり、文壇への道が開けた)。
・1924年(大正13年)―東京帝国大学卒業。文学士(東京帝国大学)取得。同人誌『文芸時代』を創刊。この同人誌には、新感覚派と呼ばれた、新進作家が集まった。
・1925年(大正14年)―『十六歳の日記』『孤児の感情』を発表。文化学院で文学部教師となる。
・1926年(大正15年)―『伊豆の踊子』を発表。青森県八戸市の松林慶蔵の三女・秀子(1907年生まれ)と結婚。秀子は文芸春秋『オール読物』の編集長・菅忠雄の家で手伝いとして働いており、菅宅に長期滞在にきた川端と出会う。
・1927年(昭和2年)―『美しい!』(福岡日日新聞)、『海の火祭』(中外商業新報)の新聞連載。
・1929年(昭和4年)―『浅草紅団』の新聞連載開始。
・1933年(昭和8年)―『禽獣』『末期の眼』を発表。
・1935年(昭和10年)―『雪国』を発表。
・1942年(昭和17年)―『名人』を発表。
・11943年(昭和16年)―高槻市の従兄黒田秀孝の三女・政子(麻妙子とも)を養女にする(のちに山本香男里を入り婿に迎える)。『故園『夕日』『父の名』を発表。
・I1945年(昭和20年)―志賀直哉の推薦で海軍報道班員となり、特別攻撃隊を取材する。
・1947年(昭和22年)―『哀愁』を発表。
・1948年(昭和23年)―第4代日本ペンクラブ会長就任。『反橋』を発表。
・1949年(昭和24年)―『しぐれ』『住吉』『山の音』『千羽鶴』『骨拾い』を発表。
・1950年(昭和25年)―『新文章読本』『歌劇学校』を発表。
・1957年(昭和32年)―国際ペンクラブ副会長として、国際ペンクラブ大会を日本で開催(京都と東京)。
・1961年(昭和36年)―文化勲章受章。『古都』執筆のため、京都で暮らす。
・1965年(昭和40年)―NHKの連続テレビ小説で「たまゆら」が放映される。
・1968年(昭和43年)―ノーベル文学賞を受賞し、美しい日本の私―その序説」という講演を行う。
・1969年(昭和44年)―茨木高校の文学碑除幕、茨木市名誉市民。鎌倉市名誉市民。
・1972年(昭和47年)―仕事場にしていた逗子マリーナのマンションにて長さ1.5メートルのガス管を咥え絶命しているところを発見され、自殺と報じられる。
・1985(昭和60年)―茨城市立川端康成文学館開館。

受賞
・1937年(昭和12年)―『雪国』で文芸懇話会賞
・1944年(昭和19年)―『故園』『夕日』などで菊池寛賞
・1952年(昭和27年)―『千羽鶴』で芸術院賞
・1954年(昭和29年)―『山の音』で第7回野間文芸賞
・1958年(昭和33年)―東京国際ペンクラブでの努力により第6回菊池寛賞
・1962年(昭和37年)―『眠れる美女』で第16回毎日出版文化賞
・1968年(昭和43年)―ノーベル文学賞

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